わが家の3才になる息子は、犬のごとく今を生きている。
犬は悲しいかな、今しか認識できないと何かで読んだ。
(いやそんなことはないと言う犬愛好家の人の意見は、失礼ながらさておく。)
しかしそれでも彼には、過去らしき時間は存在しているらしい。
それは「きのう」という言葉で全て表現される。「きのうばあちゃんちへいった」「きのういちごをたべた」それが本当に昨日のことでも1週間前のことでも、彼の表現は全部「きのう」になる。
では「きょう」についてはわかっているのか。
朝起きて日が高くなりやがて日が沈み暗くなる、そのくらいは大丈夫だろう。でもときどき昼寝してわからなくなる。「いま朝?」「もう夕方?」というような疑問が生じる。彼の中には数字が存在しないので、時刻を刻めないのは当然なのである。
そして言葉が達者になってきた頃から、もう一つ彼の脳の発達を思わせる言葉が出てきた。それは「むかし赤ちゃんのとき」というやつだ。
赤ちゃんのときこうしていたとか、赤ちゃんのときこう言っていたとか、現在の自分を過去の自分と比較して表現するときに使うのだ。でも、本当に赤ちゃんのときを覚えていてそう言っているのではないようだ。「今はこうでしょ」とこちらに同意を求め、今を確認しているのだ。
いまときのうとむかし。
彼の時間3段活用。
今を夢中に生きるものにとって、時間感覚なんてその程度のものじゃないかと、いまはむかしのおとなこどもも思うのである。