声は、姿かたちよりも、存在感を強く訴える。その人をより感じることができるのは、声のような気がする。存在を認識するどこか脳の箇所に、聴覚はダイレクトにつながっているのだろうか。
ラジオを食い入るように聞いてしまうのもそのせいかしら。
NHKFMでこの春から始まった佐野元春の番組。もちろん、かつてサウンドストリートを聞いていたかつての若者は、懐かしくて仕方ないはず。歳をとっても全然かわらない元春トーク。
あの頃、親しい友人や親元を離れて始まった大学生生活の中で、真新しいラジカセから聞こえてきた彼の声は、忘れられない私の人生の一部だ。気恥ずかしいようなしゃべり方だけど、それがひとつのパーソナリティとして確立されていることに、そうかそれでいいんだという気持ちがした。目を閉じて聞いていると、ふとあの頃に自分がスリップしていってしまいそうになる。まわりはすべて何もかも変わってしまったけど、かわらない私の中の記憶。
それにもうひとつ。その同じ時間帯の月1で大貫妙子の番組が入れ替わりにオンエアされている。彼女も声も、特別なかんじ。おしゃべりしている内容も好きだけど、ただ声を聞いているだけで、なにか染み入るようなものを感じ取る。耳を澄ましてじっと聞いている。
好みの容姿っていうのはあまりないけど、好みの声ってあるなあ。