今年初っ端のお楽しみ企画だった、100万回生きた猫、観てきました。去年の10月に前売りを買ってのお待ちかね。
演出、振り付け、美術のイスラエル人二人組は期待通り。面白い!舞台の面白さを堪能。とてもオープンな二人は、現場で役者やスタッフたちと共にお芝居をつくりあげていくって解説されていたけど、まさしく、そういう現場でのつくり込み感や、おもしろがり感が、随所にちりばめられていた。あれこれ説明したいけど、説明は面白くないからしません。森山未來くんはすごい身体能力。ずっと出ずっぱりだったし動いていたし、前半もう息もつけないとら猫さんでした。彼は多才で多彩な役者なんだね。銀粉蝶さんもさすがだ。ダンサーたちも魅力的。椅子や机や壁を使ったり、ダンスが表現要素としてすごく能弁でした。歌も歌詞がよく聞こえてきてきれいだったし。ただ、後半しろいねことの、動きがなくなってからの最後のシーン。ちょっともの足らなかった。とりのこされたような時間だった。どうしてなのかと、ずいぶん終わってから考えてしまいました。原作の絵本も読み返して。
どんな世界の誰の猫として生きても、面白くなくて嫌いで、死んでも平気で、自分のために生き、しろいねこと共に幸せに暮らした後に、初めて死を感受する。ほんとうに生きたから、ほんとうに死ねたのか。もう生き返らない猫に安堵感を覚えるような、そういうイメージのおはなしだったんだけど、果たしてそうなのかと。
嫌われても人の愛を受け入れずとも死をなんとも思わなくても、そんな生き方でもいいじゃないか、愛することで何か失っちゃうよりいいじゃないか、死んじゃうことほどせつないものはないじゃないか。佐野洋子さん亡き今は、そんなふうにも思ってしまうのでした。