毎年、年末年始の非日常に疲れて体調を崩しがちな頃ですが、今年は比較的元気。余力を残して、さー新年なにしよっか、と前向きな気分です。年賀状に、のりたま更新希望のお言葉があって、すっかり嬉しくなって、今年はがんばっちゃおうかなと。ひとつの言葉で、人間その気になるものなのです。ありがたいことです。
写真は、昨年のトップニュースだった、クレー展手芸コンテスト入賞の展示風景。今年も、ご褒美もらえてももらえなくても、日々精進。
図書館徒然
今現在、利用している図書館は、計6コ。常時、10冊くらいは図書館の本がうちの本棚に並んでいる。こんなにむしゃむしゃと本を読みあさっているのは、人生のうち2度目くらい。本屋で買った本はなかなか読み始めないけど、借りた本は期限があるからとにかく読む。時間があってもなくても期限はやってくるから、とにかく読む。ご飯作りながらとかちょっとした時間も本を手に持っている。おかげでなんだか読む速度が速くなって来た。まあ、じっくりゆっくり時間をかけて読みたいような本はどちらかというと避けて借りてくるので、早く読めるのかもしれないが。うちの家族は二人とも読むのがすごく早くて、ぶあつい本でも短時間で集中して読み切っている。私もそれに近いようになってきた。
図書館の本棚に向かって、アーコレ読もうかなどうしようかな、あこんな本がこんなところに、と頭を巡らしているのはとても楽しい。わたしの心のオアシスと言ってもいい。昔は喫茶店に通ったり、行きつけのお店の人とおしゃべりしたり、プールへ行って泳いだり、気持ちのいい河原に行ったり、そういうことが生活を支えてくれていたのだけれど、その代わりが今は図書館。
子供の学校の図書委員になったので、図書室に出向いて作業をする。古い本のにおいを嗅ぎながら整理整頓をしたり、新刊本の処理をしたり。おかーさんたちが今子供の間で流行っている本の話をしているのが聞こえてきたり。私も小学校では常連の図書委員で、誇らしげに(たぶん)カウンターに座っていたはずだ。今はもうどこもバーコード処理だけど、本のカードや、自分のカードの紙の手触りも懐かしい。そんな時に、タイミングよく、長嶋有の「ぼくは落ち着きがない」(光文社)を読む。高校の図書室の一角で繰り広げられる図書部員たちの話。いいはなしだった。
「ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー」白石美雪 武蔵野美術大学出版局
その吉田秀和の新聞記事で紹介されていたのがこの本。4分33秒ピアノの前にただ座っておわりのジョン・ケージ、という認識しかなくて、こういう了解の仕方は全然だめね。曲の作り方や音楽的な難しい話はささっと読み飛ばすような読み方しか出来なかったのだけど、どうしてあのような作品をつくるのに至ったのか、ケージはどういう時代の流れのなかにいたのか、どんな人生を送ったのか、というような彼の音楽の背景がよくわかった。ケージの耳、ケージの骰子、ケージの茸、ケージの笑顔。
吉田秀和「くりかえし聴く、くりかえし読む 新・音楽展望1997-1999」朝日新聞社
朝日新聞で時々読みかけていたのだけど、その時読んだ記事がとても素敵(すてきって、あまり私使わない言葉だけど、あえて使ってみたい)だったので、ちゃんと読んでみようと思って手にした本。もちろん、偉大な音楽評論家であり、文章も魅力的なことは知識としてあったけど、いつか読むかも的な存在だった。
いやあ上手な文章。クラシック音楽のこと知らなくても、ついつい引き込まれてあっと言う間に読み終えてしまった。聞いたことのない曲や指揮者や演奏家のことなのに、言葉が巧みでなんだか充分納得してしまう。音楽のことを語るのにうってつけの言葉使いなんだろうと思う。批評やら評論やらを読んで、こんなふうにしみ込んでくることはあまりない。そんな感覚的な表現で言い切ってしまっていいのかしらんという疑問は、この際全然問題ないやと思いながら、素直に吉田先生の講義を聞きました。クラシック音楽も楽しんでみたいなと思うけど、時間も労力も(お金も)かかりそうね。
初釜
昨年設計させていただいたお茶室(高須の家5)で、初釜を体験しました。そういうものを経験したことの無い身で大丈夫かしらんと緊張しながらでしたが、同席の方々や、優しいご主人の手ほどきで、楽しくお勉強してきました。美味しい食事にお酒にお茶に、目を楽しませるお道具に、なんて楽しいお勉強でしょうか。
お茶室は、お施主の好みをできるだけ実現できるようにつくられたものですが、こうして実際に茶事を執り行う姿を拝見していて、この空間が本当に彼女によくお似合いだと実感しました。お酒やお茶に酔いしれ、午後には陽の光でより明るくなったお茶室で、緊張も解きほぐれてすっかりぽーっとなり、夢見心地でお開きとなりました。贅沢なお正月遊びでした。