植え替え

やらねばと思いながらなかなか手を付けられなくて、季節が何度も見送られ、この7月のはじめなんとか実行した、鉢植え観葉植物たちの植え替え。充分な数の植え替え用鉢を用意できず、あるだけで帳尻を合わせようと、あれをこっちに、これをふたつにわけてそっちにと、もう考えるだけで面倒で、本当に怠惰な世話人でごめんなさい。でも始めたら、なんとかみんなそれぞれ収まって、半日仕事でおしまい。それで夏の暑さも今年は遠慮がちなので、うまく生き延びる事ができるかなあと思っていたのが、数日前から元気に新芽が登場した。嬉しいなあ。植物は、新しいものを手に入れた時は新鮮だし美しいし可愛いけど、時間が経って、剪定したり植え替えたり処分したりの段階になると、なかなか一筋縄ではいかなくなる。でもまあなんとか付き合っていくうちに情が育まれ、同居人のような関係になる。ただし生かすも殺すも私次第。今回はとりあえず元気になったようで、よかった。

オキナワ

夏だっ!という空気感がまだないので、勢いに欠けながらも、オキナワ行って参りました。いろんな沖縄の顔があると思うのですが、今回は、伊平屋島での日食と近藤等則、というのがメインイベント。メロディアスなトランペットと、太陽と月の天体ショウを味わってきました。今、目を閉じていろいろと思い出すなか、ずっとやさしく吹き続ける風、オキナワの風、忘れられません。湿気を帯びたまとわりついてくるような風、苦手な人もいるでしょうが、私はOKでした。砂浜にて、ごろりと朝まで寝てしまいました。

こしあん携帯

携帯電話3代目となりました。なにせそういうはやりものツールにはめっぽう弱く、携帯電話も電話機能しか使わず、その電話にすらあまり出ない。というか気がつかない。というか気が回っていない。だから、買い替えにも行かず、1台目さんざん使い倒し、2台目もついには故障するまで使うことに。1台目は、Kのすすめられるままに従い、2台目は誰やらがデザインしたオレンジボタンの、バーのタイプ(?)。これはなかなか気にいっていた。ぱこっと開けて携帯電話いじってるしぐさがなんか嫌いだったのよね。でも3台目はぱこっと開けるタイプになった。仕方ない、なかったのよねいいのが。でも焦げ茶色で小さくてゴムがついていて(これはちょっと新鮮)、あまり主張していないデザイン。まるでこしあんのような風貌。水ようかんとか赤福餅とか、そういうかんじ。末永くよろしくこしあん。

同級生

眠たい月曜日が吹っ飛んでしまった。
AERAに野田秀樹と大竹しのぶの対談が載っていて、この二人今はどうなのかと、週刊誌的な興味で読み始めた。お互いの才能は認めるところであり、一緒に仕事はするのだという話、最後の方の友情よねっていうやりとりなんかに、なんとなく二人の思い合うような空気が感じられてちょっとせつないような…
そしてそのお芝居、ザ・ダイバー。だれが出るのと見てみれば、きゃーいっけいくんじゃない。この圧倒的な二人と、この演目で、あと二人の共演者のうちのひとりがいっけいくん。
目がここで覚めました。いっけいくんとは、渡辺いっけい氏。高校の同級生です。ただの同級生ではない様々な顛末はありましたがそれはさておき、なんだかいてもたってもいられないかんじ。彼は、幾度か野田さんの舞台も出ているし、(観に行ったこともあるし)、舞台でもTVでも活躍しているようだし(それらはあまり見ていない)、なんとかやってるんだろうなあ、とは思っていましたが、こういうかたちで目に飛び込んでくるとびっくりする。年齢的にも、今そういう野田さんの舞台にでることってすごいことなんじゃないかって。
彼は昔、まだこれからどうなるかわからない人生の途中にありながら、自身の成功について私が嫉妬するんじゃないか、と思わず口走った事がある。そんなことない!と首を振ったけど、そうねえ、やっぱり少しだけ嫉妬はしているかもしれない。だって、同じスタートラインにたって、世の中へ飛び出していくエールを送り合った仲だものねえ。
そういう気持ちを隠さないにしても、やっぱり感無量なできごとでした。
観に行きたいなあ。チケットとれないだろうけど…

声は、姿かたちよりも、存在感を強く訴える。その人をより感じることができるのは、声のような気がする。存在を認識するどこか脳の箇所に、聴覚はダイレクトにつながっているのだろうか。
ラジオを食い入るように聞いてしまうのもそのせいかしら。
NHKFMでこの春から始まった佐野元春の番組。もちろん、かつてサウンドストリートを聞いていたかつての若者は、懐かしくて仕方ないはず。歳をとっても全然かわらない元春トーク。
あの頃、親しい友人や親元を離れて始まった大学生生活の中で、真新しいラジカセから聞こえてきた彼の声は、忘れられない私の人生の一部だ。気恥ずかしいようなしゃべり方だけど、それがひとつのパーソナリティとして確立されていることに、そうかそれでいいんだという気持ちがした。目を閉じて聞いていると、ふとあの頃に自分がスリップしていってしまいそうになる。まわりはすべて何もかも変わってしまったけど、かわらない私の中の記憶。
それにもうひとつ。その同じ時間帯の月1で大貫妙子の番組が入れ替わりにオンエアされている。彼女も声も、特別なかんじ。おしゃべりしている内容も好きだけど、ただ声を聞いているだけで、なにか染み入るようなものを感じ取る。耳を澄ましてじっと聞いている。
好みの容姿っていうのはあまりないけど、好みの声ってあるなあ。