なかなか梅雨が明けません。時折日射しのきつい日があっても、だってまだ蝉ないてないもんねえというのが、おきまりの文句。で、この蝉。これはうちの屋上にシマトネリコの鉢があって、そのシマトネリコの華奢な幹にとまっていた、今年初の蝉。でもこれまだ一声も発していない。なぜに鳴けぬか。まだ晴れの空を信じていないのだ。立派な蝉なのに、ああお天道様のいじわる。結局一声も発せずに、やがて彼はいなくなった。明日は晴れて、どこかで鳴けるか?
かもめ食堂
久々に上映を心待ちにして映画館に脚を運んだのですが、まず女性客の多さにびっくり。かつての、そうなんだっけえーとアメリか、あのときと一緒だ。もちろん金曜日レディースデイなので、それを考えれば当然なんだろうけど、それにしてもなんなんだこのおばさんたちは。とっても意外。日本人俳優は小林聡美、片桐はいり、もたいまさこの3人だし。ラブストーリーでも泣かせる話でもないし。北欧流行はどっちかっていうと若い世代のものだろうし。なぜに?まあいいけど、なんか嫌な予感が。
イッタラとマリメッコとアアルトと、ムーミンと港町と森とのんびりといい人と、ってほんとーにステレオタイプのフィンランドしか描かれていなくて、なにを今更と思うことしきり。この3人でフィンランドの食堂で何をするのかって、すごいおもしろそうな設定、って思ったのに、それだけだった。北欧色のプリントの服を着て、アアルトの家具の店内で、イッタラの食器を使って、おままごとしているようだった。まあそれはそれで、ある空気感は表現できているけど。期待し過ぎちゃったかなあ。
観葉植物
縁あって、我が家には3鉢の観葉植物(大)がある。フィロデンドロン・セロウムとアラモドキとゴムノキである。いずれもこの季節、我が意を得たりといわんばかりに、めざましく成長する。ぬーと棒状のものを天に向けて突きだし、やがてゆるゆると葉っぱを広げていく様は見ていて気持ちがいい。暑い気候が故郷の観葉植物たちは、ちょっとなまめかしい容姿で、むき出しの生命力のようなものを感じる。夏が来るのよ、いけいけどんどん、なのである。
「アンリミテッド:コム デ ギャルソン」
「アンリミテッド:コム デ ギャルソン」清水早苗・NHK 平凡社
広島県立図書館
2002年にNHKで放映されたものをもとに編集された本。川久保玲の言葉や関係者のコメント、コレクションの映像などで構成されている。ファッションの世界は時代の徒花というか、追いかけるむなしさがつきまとうので、いつも横目で眺めているような感じなのだけど、ギャルソンの身体の様々な場所にパッドが入った服を見たとき、これはいわゆるファッションの世界のことじゃないような気がした。川久保玲という人は、ファッション界というくくりの中で生きているわけではないのだ。ここにある様々な人々の証言や、彼女の言葉がそれを裏付けている。真に創造的なものは、あきられることなく時代を超えて刺激的だ。それにつけても、会社の経営とデザインの仕事を共に成功させていることの凄さ。常にその時々の自分の中の感覚をデザインに繋げ、まわりの優秀なスタッフを引きつけていく力。そしてそれを20年もの間やり続けていること。いつ、ものがつくれなくなるかもしれないという危機感が常にある、という言葉は、彼女の生きていることへの緊張感が伝わってくる。でも事実、コムデギャルソンの服は、長く着ることができる。10年以上前のものだって愛用しているし。デザインのみならず、素材、縫製等のクオリティが高いのだ。アンリミテッドを掲げられるデザイナーもそうはいないだろう。
チリーダ!!
行ってきました鎌倉。エドゥアルド・チリーダ展!!長崎(県立美術館)を逃し、三重(県立美術館)を見送り、今月から鎌倉の神奈川県立近代美術館で開催しているのを、夏休みを待ちきれずに速攻で行きました。チリーダは、以前働いていた画廊に版画のストックが数点有り、ここぞというときにひっぱりだしてお客さんに勧める(なかなか売れませんでしたが)、お気に入りの作家でした。時々図版等で見かけることはあっても、作品をまとめて観られることなど考えてもみないことだったので、今回の展覧会は本当に楽しみにしていました。
鉄、石、紙の彫刻は、それぞれその素材以上の魅力が引き出され、かたちを越えて訴えるものがあります。版画もエンボス(空刷り)が効果的で、彼の作品がいつも空間と共にあることを示唆しています。ちょっとした手がモチーフのスケッチ風の作品も、鉄の彫刻の形態と重なるようなフォルムでした。海辺に突き出すように設置された鉄の彫刻写真が今回の展覧会のポスターにも使われているのですが、ヨーロッパを中心にチリーダの大きな彫刻が各地に存在していることを知りました。特にヒホン(スペイン)にある「水平線礼賛」の写真に、今回同行したもの全員が心を奪われ、「ここにいかなくちゃならない」決心を皆で誓うのでした。ものの重みという存在感、グラデーションではない一本の線の強さ、素材に埋没することのない意思。「こういうものをつくりたい」と思うのは大作家に対して失礼な物言いですが、共感と愛情と嫉妬が沸々と溢れる幸福感に浸りながら、展覧会場を歩くのでした。
この神奈川県立近代美術館は、大学の美術館実習の授業で最初に訪れた美術館であり、鎌倉を訪れるのはなぜかいつもこの季節であることも手伝い、懐かしさを何度もリピートしていました。なお、神奈川県美の葉山館の方ではジャコメッティ展も開催中。これももちろん行きました。両企画とも7月31日まで。