1.つらね 5首
【2首を紹介。詞の作者は嘉手苅林昌さんの母・嘉手苅ウシ】
あねる木どぅやしが 三筋糸かきてぃ弾ちば悲しさん 月に流ち
-作・嘉手苅ウシ-
訳 ただ の木切れに 三筋糸かけて弾けば悲しさも 月に流す
戦世ん終わてぃ みるく世とぅ思みば国ぬユサユサぬ 果てぃん無らん
-作・嘉手苅ウシー
訳 戦争も終わり平和になるかと思えば国はいつまでもユサユサと果てが無い
※訳文は小浜司氏作成より抜粋
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2.かいされー 沖縄民謡
1996年10月12日(土)の久高島の神の風は涼しかった。
♪風や北吹ちゃー小… 比嘉いずみの「つらね」が潮風に乗って頬を伝ってフェイドアウトしていく。
嘉手苅林昌の三線がゆっくりと響く。♪
やはり嘉手苅林昌には風が似合う。野外が合う。
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3.意見あやぐ 作詞・嘉手苅ウシ 曲・沖縄民謡
幼い頃、母の傍らで地謡をして、母の詩を乗せたいために三線を覚えた嘉手苅林昌が、神の島・久高で、母と語らうようにボソボソと歌う。傍らの息子の林次がそれを見守るように伴奏。
10月の風が遠くへ遠くへと運んでいく。
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4.白雲節 沖縄民謡
その境地は神がかりさえも感じ取れた。
やはり久高島を意識してか、神との語らいへと唄は囁いていく。
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5.ナークニー 沖縄民謡
解説
年をとっても忘れられないあの人の情け。幾つになっても情けだけが頼り。歌詞が深刻になっていくかと思うと、さぁーっと翻って嘉手苅林昌独特の照れか、一つ二つとカウントしていく。最後はとうとう、いろはにほへと…へ逃げてしまった。沖縄島唄のエキスはナークニーに凝縮している。現代沖縄ポップ音楽なども含め、沖縄発の音楽の根はナークニーからの進化と言えよう。これまでに何千回と歌ったであろう「ナークニー」。あの嘉手苅節のナークニーが生で聞けなくなったことは全く残念だが、それ以上に、その即興歌詞をこれまた何百と天国に持って行った事である。最後まで自分のわがままを貫き、唄と共にその歌詞まで返らぬものとしてしまった。例え呼び戻して聞き出そうとしても、風狂の歌人・嘉手苅林昌、いろはにほへと。
沖縄島唄のエキスはナークニーに凝縮している。現代沖縄ポップ音楽なども含め、沖縄発の音楽の根はナークニーからの進化と言えよう。
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6.つらね 2首 (MC比嘉いずみ)
1首を紹介。詠み人しらず。
忘ららんあてぃどぅ 波荒さあてぃん漕ぎ渡てぃ行ちゅさ恋ぬ小舟
訳 忘られぬ故 荒波も越えて漕ぎ渡り行く 恋の小舟
※訳文は小浜司氏作成より抜粋
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7.下千鳥 沖縄民謡
「下千鳥」は離別の歌。悲しい時に歌う歌。
この日の嘉手苅林昌の「下千鳥」は悲しいとか、苦しいとかの感情さえも超越した境地で歌っているように思える。
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8. 林昌さんの話し物語
久高島ミュージックキャンプはライブ終了後のこの「話し物語」が圧巻でした。
泡盛が入ったグラスを片手に出演者と観客が丁々発止のやりとり、久高島の優しい風が吹き渡り、波の音がリラックスさせてくれて、林昌さんは泡盛が無くなると隣に座る比嘉いずみさんに「ダー、チゲー。ナーヒンチゲー(注いで。もっと注いでくれよ。)」と小声で言うのですがその手にはしっかりとマイクが。はっきり聞こえるので、あちらこちらで笑い声が絶えませんでした。CDに収められている一部を再現。
女の子 「沖縄で生まれ育っているけれども林昌さんの喋っている事も半分くらいしかわからないんですね」
林昌 「半分解れば多いほうです」(爆笑)
女の子 「もうっ!おじーとっても大好きです。本当に」(指笛・拍手)
近藤 「じゃあ、チューしにきてよ」
女の子 「チューはできないんですけど」
林昌 「チュー(今日)ならんしがアチャー(明日)ないしぇー(今日はできなくても明日ならできるんじゃないか。)(爆笑)
女の子 「とにかくですね、外国の音楽聴いたり、本土発の音楽聴いたりしていて、今日オジーの音楽を聴いてやっぱりエリック・クラプトンよりかっこいいと思いました。」
凄い盛り上がりでした。私は林昌さんの標準語をこのとき初めて聞きました。この後、林昌さんは久高島の話しや神様の話と、いよいよ佳境に入ります。
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9.唐船どーい 沖縄民謡
嘉手苅林昌を囲んでの話し物語のフィナーレ!!
泡盛のおかげか三線に力がこもる。観客全員総立ちの大カチャーシーとなった。
本土から来た観客には今でもあの瞬間が忘れられないという方もいる。
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10.南洋小唄 作詞作曲・比嘉良順
一、恋し故里ぬ 親兄弟とぅ別てぃヨ 憧りぬ南洋 渡てぃ来ゃしがヨ
恋しい故里の 親兄弟と離れ離れになり 憧れの南洋に 出稼ぎに来た
二、寝てぃ覚てぃ朝夕 胸内ぬ思やヨ 男身ぬ手本 なさんびけいヨ
苦しくとも ここまで来たからには 一旗あげたい決心は 貫くつもり
三、幾里離みてぃん 変わるなよ無蔵にヨ 文ぬ交わしどぅ 無蔵が情ヨ
だから恋人よ 離れていても変わるなよありがたいこの手紙 貴女からの情け
四、明きてぃ初春ぬ 花咲ちゅる頃やヨ 錦重にやゐ 誇てぃ戻らヨ
明けて初春の 桜の花の満開の頃 故郷に錦を飾って 帰るからな
(以下略)
もし戦争に勝っていたら沖縄に戻れなかったはず。負けてよかったよ。」嘉手苅林昌弁。NHK戦争童話集第3話「ソルジャーズ ファミリー」の挿入歌。1997年録音。
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11.戦を恨む母 作詞・仲栄真ウシ 曲・ユハレ節
未発表曲
琉球の神様が最初に降りたカベールの浜での演奏。
それを大城美佐子がサポート。
雨の合間を縫っての録音だったが、また久高島に来れたことを嘉手苅林昌は喜んでいた。
この曲も1998年8月15日にNHKで放送された。
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12.遊びしょんかねー 沖縄民謡
ドイツ映画"The Great-grandson of the man who drank a cow"(トーマス・ステイラー監督)の中の一場面。
主人公の近藤等則が聖なるメロディーを求めて旅していると、嘉手苅老人に出会い、嘉手苅老人が中村家(沖縄県北中城村在)に連れて行って、大城美佐子とデュエットするのである。
近藤等則がナレーションをしている。1998年録音。日本未公開。
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13.恋しアルゼンチン
本邦初公開。1986年にアルゼンチンで創り唄った。
これまで誰も知らなかった曲。世界で嘉手苅林昌はどのように活動したのかを知りたくて、世界各国の沖縄県県人会に連絡を入れたところアルゼンチンにビデオがあった。
興奮して今回のCDの趣旨を話したところ快く送ってくださった中に、この曲が。
アルゼンチンの方は標準語よりもウチナー口が得意で、当方は敬語のウチナー口が苦手。美しい言葉を聴きたくて何度か電話を入れた。
「林昌先生はアルゼンチンビールが大好きで毎日遅くまで飲んでいましたよ。交代でお世話いたしましたが、毎日だったら大変さあ」と笑って話されました。
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