この日は、韓紙をつくっている豊山韓紙で紙を買って、河回邑に行くというコース。
朝食をお願いしていたので、板の間でお膳を囲んで食べた。
ごはんと、汁と、たくさんのキムチ類。どれも美味しかった。
バス停でしばらく待つと目指す11番のバスが到着。一応「ぷんさんはんじ?」と聞いて運転手に確認。外国人ということを認識させる意味もある。
豊山の集落が終点なので、歩いて工場に向かう。
異国の田舎をふらふら歩くというのは、妙な開放感があって気持ちいい。
観光客をまるっきり想定していないので、等身大のその国の風景と向かい合える。
いよいよ紙屋の売り場(収蔵庫?)に到着。
日本語を習っている社長の息子と言われる方が登場。日本語も上手だし、非常に好青年だし、仕事も熱心。非常に好感度が高かった。
壁に貼る紙は、厚めの紙になるので、種類は限られてくる。
漂白しているか/無漂白か。楮の黒皮が入るか。楮の繊維が入るか。
それぞれ楮の味がしっかりあって、非常に魅力的。
とりあえず100枚買って帰ることに。しかしこれを丸くまいたら結構なボリュームに。
しかし、最大の目的だったので、がんばって持って帰ることにした。船便だとえらくかかるし、航空便で送るほどのものでもないし。
その後工場を見学させてもらった。
楮を貯蔵し、煮て、漉いて、乾燥させる。
どれも非常にシンプルな工程。
工場と言うより、大きな工房という感じ。
職人さんは1日500枚漉くという。
こうした職人さん達の人件費が紙の値段ということになる。
機械で紙をつくる前は、紙は非常に大切なものだった。そういうことに気付かせて貰った。
豊山韓紙は、日本からも結構買い付けに来るらしい。韓国では一番大きな韓紙会社だし、原料もよくて品質も高いようです。
先日も日本からこられました。といって、中国の地名を・・・。おいおいと思ったけど、似たような印象なのかもと。書をやっている人が良く来るようですね。面白い紙がたくさんありましたから。
忙しいのに河回邑まで送ってくれるというので、お言葉に甘えることにしました。
見渡す限り豊かな水田の豊山地方を通って河回邑に到着です。
道路を工事しているし、前回よりもかなり観光地化した感じです。
前回は、韓国人にとって憧れの聖地みたいな印象がありましたが、今は観光地としての地位を確立した感じ。
でも、建築には手を入れることなく、大切に生活しているので、非常に嬉しかった。
なんとなくただいまといいたくなる感じです。
大好きな建物が一つの塊をつくっているわけですから。
大砲のような紙もあるので、とりあえず予約していた民泊に直行。
ネットで調べても、日本人の宿泊が一番多い「ジョヨンハン民泊」に泊まることに。
ここも観光案内所の崔さんに予約して貰いました。
河回邑に民泊はいろいろありますが、舎郎房のある宗家(本家)クラスのものは非常に少ないのです。
ほとんど藁葺きの農家です。
韓国は儒教的な先祖の供養が非常に熱心なので、宗家は単に財産を受け継ぐということではなく、祖先の法事をする義務も受け継ぐのです。
一族の神主みたいなものですね。だから年中法事をしてるようです。
それもあって、宗家が機能している両班住宅は、民泊にしにくいのです。
ジョヨンハン民泊は門が藁葺きで、建築はシャープなエッジの瓦葺きです。(写真が無いのが悔しい)
門の前の舎郎房(両班のオフィススペースですね)の横の小さな門をくぐると、広い中庭があり、女性が仕切るスペースがあります。
そこに、噂に聞くおばばがいました。
予約していたものですが、、、というと、あんた達の部屋には、まだ荷物があるから、荷物はここに置いて邑を見てきなさい!といいます。(最後までこの調子でした。)
はい。といって、邑を散策。
公開されているもので主要な建築は、、、、
養真堂、忠孝堂、北村家、遠志精舎
軽く再会の挨拶をする程度に見て回って、昼ご飯を食べに。
そこも民泊でもある両班住宅で、カルククスという豆乳スープのククス(細いうどん)を食べた。
店の主(両班の子孫)から、何処泊まっている?ここに泊まらないか?と聞かれたので、ジョヨンハンに泊まるというと、苦笑いして、あのおばばか?という顔したので、おばば五月蠅いでしょとジェスチャーすると、笑ってた。
ここは、河がUの字に曲がっている先端にできた邑なので河回邑とよばれている。
この河の向かい岸に、両班達がつくった精舎(遊びの建築)がある。
前回来たときには渡し船が廃止されていたが、復活したらしいので川岸まで行ってみた。
確かに簡単な桟橋と木製の船はあるが、人がいない。
岸に向かって適当に手を振ってたけど反応もない。
子どもと砂浜で遊んでいると、船頭さんらしき人が来て、乗れと言ったので乗ってみた。
丘の上の玉淵精舎は、シンメトリーを意識した建物で、非常にバランスの取れた配置と空間の置き方がよかった。管理はされていないので、綺麗じゃないけど、拭き掃除をして一日ぼーっとしてみたいものだ。
夕食はどうするか?ここで食べるか?とおばばが聞くので、何がある?と聞いたら、鶏一匹食べないか。美味しいぞ。食べろ。という勢いに飲まれて食べることに。
後で調べたら、安東の名物でソウルや釜山でブームだという、チムダクだった。
子どもは辛いの無理なので「アンメッケ」とさんざん言っていたのに、とどいた大鍋にはシシトウのような、真っ赤な大唐辛子ぶすぶすと突き刺さっていた。
辛くて甘くて鶏も美味くて最高なんだが、子どもはいじけてご飯だけ食べてる。
おばばに「メッケ」で子どもが食べるものがないというと、わしに任せろといって、塩鯖と小皿のものを持ってきてくれた。
さすがおばばだ。頼りになるなあと言って、安東名物でもある塩鯖を食べた。味は日本と一緒。
チムダクは、日本でも受けると思う。鶏を一匹使ったすき焼きのような肉じゃがのような甘辛の鍋料理。汁だけで三杯飯食べれるくらいです。
土日は邑に伝わる仮面劇をやっていて、夏は土曜の夜に宿泊客向けにもやるというので、松林に行ってみた。
安東の仮面劇は、両班に虐められた農民達が、両班を風刺したコミカルな劇をやることで、日頃の鬱憤を晴らしたという。両班は、河に船をうかべて花火をやったという。
先ず、金属楽器や打楽器の人たちが丸く円を描いて登場。小刻みな音で軽快な音は、島根県の神楽に近い印象。
その後あちこちの土産物屋で扱っているお面をかぶった役者が出てきて、音楽に合わせていろいろ演じる。基本的には滑稽話みたい。
子どもは馬鹿受けしてました。
宿に帰ったら、舎郎房のもう一つの部屋の人たちが裏庭で宴会中だった。韓国人のカップル2組なんですが、カセットコンロや鍋や米を持ち込んで、夕方からずっと宴会。
僕たちは、両班になった気分でぼーっと建築を堪能してるのに、地元の人は、単なる安い民宿でしかないのか。当たり前かも知れないけど納得。
この日も窓開けっ放しにして、蚊帳を吊って寝ました。