情況の囚人 1971年”スタンフォード監獄実験”とは

スタンフォード

情況の囚人 1971年”スタンフォード監獄実験”とは

1971年に、アメリカ海軍は、刑務所での問題解決のための実験を行った。
詳しくは上記の記事を読んでもらったらいいのだが、、、

うっすらと感じていた事が、実験で明らかになりすぎてぞっとした。
小、中学校では坊主頭で野球をやっていたんですが、いわゆるスパルタっぽい手法だったので、チームの一人が何かしでかすと、連帯責任として、みんなビンタや、ケツバット、脚にバットを挟んで正座、、、、など、結構たいへんな野球生活を送ってきた。
当時はどこもそんな感じでやってたと思う。
その当時不思議だったのは、1年のころ先輩に虐められたのに、上級生になると後輩を虐めること。子ども心に、なんでかな〜と思っていた。
大人社会でも似たようなことはいっぱいあるけど。

抑圧されて行動するのが嫌いなので、野球は中学校でやめて、その後は建築一筋だった。
受験勉強も、通過儀礼の為だけに成果の無い勉強するのがいやで、高専→大学編入。

そんな感じで、自由な思考と、自由な行動を求めてこれまでやってきたわけですが、そのスタンフォードの実験は、まさに僕が嫌いなシステムとは何かを探る実験だったみたい。
結局、人間は、単体で生存しているわけではなく、共通の文化や風俗を持つ社会単位で活動している。
そうした社会の一つとして僕たちが生きてゆくのは当然のことで、そこで義務や権利が発生し、一緒に力を合わせることで、高い成果を獲得することは、とてもすばらしいこと。

しかし、閉鎖的なコミュニティの中で、自由を奪い、思考や行動を制限することで、貧弱な社会が現実に誕生している。
誰かが悪い訳じゃないし、悪い人がいる訳じゃない。
あるスイッチが入ると、その小さな集団は暴走するのだろう。
アーサーケストラーは、「ホロン革命」の中で、人間の脳は、新しい部分である新皮質が急速に膨張しすぎたため、古い脳(は虫類時代)の脳との連携が時として遮断されることがあるという。
通常は理性でコントロールしているけど、ある状況下になると、古い脳が、新しい脳による理性のコントロールを外れ、暴走するということみたい。

僕たちが、安らかで幸せな生活を送るためには、新しい脳と、古い脳のコミュニケーションを遮断することないようにすることだろう。音楽や建築、美術などアートなどに要求される役割は、そんなところにあるのだろう。
お笑いもそうだろうな。極限的な社会情勢にあったなかで、トルストイや魯迅などの存在は大きいと思う。

建築は、空間で人の心を幸せにするのが役割だが、空間は、日常常に包まれているものだから、ファインアートと違って、潜在的に心に作用するもの。
だから、表現は抑えつつ、明るさと自由と未来への希望を感じさせるものとしたいと思っている。

コメントする

CAPTCHA