先日、世界平和大聖堂で外尾悦郎さんの講演会がありました。
外尾さんは、30年以上バルセロナのサグラダファミリアの彫刻家として聖堂の建設に大いに活躍してきた方です。
講演は、カソリックの教会の信者さんを対象にしていたようなので、建築や彫刻を通して感じた事、生きて会う事は無かったガウディと仕事を通して触れ合ったことなど、人が文化的に生きるというあたりの話でした。
非常に興味深い話でした。
僕は、去年の冬にバルセロナには一週間ほど滞在して、いくつかのガウディの建築を観る事が出来ました。
日本で得ていた情報や、先入観を打ち砕くいくつかの発見?もありました。
それまでは、ガウディは、強烈に個性的な造形や空間を生み出した人物でしたが、それに続く人はいなく、後のモダニズムに覆い隠されるように、歴史上の人物になってしまった・・・という印象を持っていました。
確かに、初期〜中期の作品は彫刻的な建築が多く、多くの新しい挑戦を試みてはいますが、独創的な建築家の個人的表現というものだったように思います。
しかし、サグラダファミリアの生誕の門を上から下まで見て回って、工事中の内部空間を堪能してみると、どうもガウディという人物がやろうとしていた(る)事は、単なる造形じゃないように思えてきました。
それが何なのかははっきりしないまま、翌日、グエル教会の地下礼拝堂にいきました。グエル教会は、ガウディがサグラダファミリアの二代目建築家に就任したため、建設が中断され、地下礼拝堂だけできあがっているというものです。
サグラダファミリアの直前にやった仕事なので、一部とはいえ完成している最後の仕事と言えるかもしれません。
決して重苦しくなく、構造と装飾が一体となった非常に清々しい建築でした。
ガウディは、単なる装飾家ではなく、装飾と構造が一体となった新しいシステムの開拓を目指していたのだろうと思います。
当時はゴシックが行くとこまで行ってしまって、重苦しく、過剰な装飾が醜悪な域にまで達していました。
鉄筋コンクリートが建築の主要構造部として使える状況でもない。
後のモダニストが、装飾と構造を分離する事で新しいシステムを生み出した事とまるで違うアプローチだったわけです。
しかし、その困難な建築は、手仕事でしか成し遂げられませんでしたが、現代ではコンピュータのおかげで、ガウディが目指した建築が再び時代の最先端となろうとしているように思えます。
カラトラヴァやフランク・ゲーリー、レンゾ・ピアノなどは、時代は違えど、見ている方向は比較的近い人たちではないかと思うのです。
ガウディは過去の人ではなく、これから我々が地球や環境の中に建築を生み出す上で一つの道しるべとして大きな仕事をした人だというのが、僕の感想です。