大名庭園展

県立美術館でやっている大名庭園展に行ってきました。
あの時代の庭園は茶の湯と深い関係があり、どちらも同じような変遷をしてきています。
当初は、禅宗といっしょに日本に入ってきて、お寺の中で密やかに楽しまれていた時代。
大徳寺の僧侶が堺郊外の寺に移ったことがきっかけで、商人が茶の湯を始め、李氏朝鮮やポルトガル経由でルネッサンスやバロックの影響を受けつつ近畿の武士に伝わり、織田豊臣時代に千利休が大活躍することで全盛期を迎えます。
その後、千利休、古田織部の切腹と、江戸時代のスタート。
桂離宮の造営、小堀遠州のナショナルアーキテクト就任。そして江戸時代の武家の様式の確立と同時に、茶の湯や庭園もそこに組み込まれていきます。
今回の企画は、そうした大名家のスタンダードとしての庭園とその変遷をテーマとしたもので、非常に興味深いものでした。
特に、江戸時代後期には庭園を薬草の研究に利用するなど、蘭学のブームの影響も受けています。

広島浅野藩といえば縮景園。上田宗箇。となるわけで、今回も展示の中心となっていましたが、どんな人物であったかは、書物からではわかりにくいところはありました。古田織部の弟子であり、織豊時代の猛将というと、歌舞いたバロック茶人というイメージはあります。
上田宗箇の残したもので、節のところで角っと曲がった茶杓が印象に残りました。
現在の縮景園は、とても織部とはつながらない印象だったのですが、一度大火で焼けて、何度か改修したそうです。
創建当初はもっとシンプルで大胆だったようですね。
江戸中期以降は、弥次喜多道中のように、旅行が流行しますが、庭園にもそうした影響があったようです。

江戸時代は、武人が現在で言うと公務員として行政を担っていた訳で、その時代に積み重ねられたお役所的、儒教的な様式の向こうに、ちらりと安土桃山の粗削りなエッセンスが垣間見えた。そんな展覧会でした。

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