チュニジアーデンマークー村上水軍

人間の感覚というのは不思議なもので、これまで何度となく地中海の地図や航空写真を見てるはずなのに、地中海北岸の地形は頭に入っていたのに、南岸つまりアフリカ側の海岸線の地形や形状は頭に入っていなかった。
イタリアの長靴の先と、チュニジアが思ってたより近いし、シチリア島も、もっと西側にあるかと思っていました。
チュニジアといえば、ジネディーヌジダンの親の出身地としても有名ですが、ユーロ高だったときに、安いオイルサーディンやパスタの輸入元としてもなじみがある土地です。
しかし、地形をみると、何かに似ています。
まず思い浮かんだのはデンマーク。

デンマークは、小さなバイキングビッケでも有名ですが、居直り海賊の名所です。スウェーデンのバイキングが、殺しや略奪の非道の限りを尽くして持ち帰った略奪品を、デンマークの多島海を通って本国に帰る途中、待ち構えていたデンマークの人に補足されます。
デンマークの人は、血も涙もないので、半分置いていけと命じます。
世界を恐怖に陥れたバイキングも、単に待ち構えているだけのデンマーク人にはかなわないので、半分置いていったようです。

日本では、瀬戸内海の大三島周辺海域。いわゆる村上水軍が支配していた地域です。村上水軍は、1割置いていけと言います。
そのかわり、潮流の激しい瀬戸内の水先案内もしますし、ほかの海賊から守ってくれます。

チュニジアは、地中海の中央を遮断しうる場所に立地しています。
東にはイスラム諸国、北にはイタリアの海洋都市、西にはスペインなど。
目の前を富を満載した船が行き来します。
地中海南岸つまりアフリカ北岸は、中東からモロッコやスペインに至る地域をつなぐイスラムの重要な回廊でした。
目の前を異教徒が通るのを素通りさせてたわけではなかったようです。
チュニジア海賊は、風が弱い日に立ち往生してる貿易船を、大勢の奴隷に漕がせるガレー船で強襲します。
財産はすべて没収し、捕虜の身代金を要求する手紙を実家に送らせて、届かなければ奴隷市場で売られます。男はガレー船の漕ぎ手だったようです。
そう考えると、村上水軍の誠実な姿勢は、海賊というよりも、質の高い行政とでもいうべき状況だったと言えると思います。

アフリカ北岸つまり地中海南岸が、いろいろもめてるようですが、歴史的なからみがない日本にいると、本質的な部分での問題点はわからないままな気がします。

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