ジョブズ

今朝、ジョブズが亡くなったというニュースを、車のラジオで聞きました。
いずれそういう時が来る・・・とは思っていましたが、こんなに早く来るとは思ってもいませんでした。
心からご冥福をお祈りいたします。

僕が初めてMacintoshを知ったのはデザイン系の雑誌だったと思います。
建築の雑誌でも、Macintosh plusを担いで施主のところに行ってプレゼンするという企画もありました。
初めて触ったのは、学生時代に味岡伸太郎さんの事務所で。白黒の漢字Taik6.0.8の時代でした。
大学を卒業するときに、手元にあったお金でClassicIIを買うか、旅に出るか?迷った末、旅に出ることに。
そのお金で中国からアテネまで行くことが出来ました。
その後就職した設計事務所で自分用のパソコンとして与えられたIICiが初めての僕のMacとなりました。1993年。
しかし、いずれもジョブズがAppleを去った後の、ジョン・スカリーの仕事です。
もちろんジョブズの魂を受け継いだ経営者やエンジニアがすばらしいプロダクトを世に送り続けていましたが。

じゃジョブズの仕事を最初に知ったのはいつだったのだろう?
と思って調べてみると、、、

1984年。Macintoshが発表された年に、NHKで放映されたハッカー少年が主人公のアメリカのテレビドラマ「マイコン大作戦」ですね。
電話でパソコンを行政機関のコンピューターに繋いで情報を取ったりする今考えると恐ろしい犯罪集団の話なのですが、当時はコンピューターの持つ潜在能力に夢や希望を膨らましたものでした。
この少年が使ったコンピューターが、AppleIIだったんです。
これが最初の出会いですね。

次は、CANONの支店でもらったNeXTのカタログ。今にして思えば、AppleII夢と希望を感じた少年の気持ちを再び彷彿させるようなものでした。
その次がApple復帰。
復帰してからはみなさんがご存知のとおりですが、復帰の直前にWIRED日本語版に独占インタビューが掲載していました。表紙ももちろんNeXTのジョブズ。
この時語ったことが、その後のAppleを再生させた原動力となるものを表現していたように思います。

創業者でありながらAppleを追い出され、NeXTも経営的には失敗。
革新的な製品を世に出すだけでは意味が無い。製品として成功させるには、単にそれそのものが優れているだけではダメなんだということに気づいたと言っていました。
この時に、ドイツ製の洗濯機(Miele?)がすばらしいという話をしていたのが印象に残っています。
一見、ジョブズの生み出したものと相反するような、実用一本槍の堅実な工業製品ですが、、、社会に必要なものはこういう堅実な工業製品なんだということに気づいたとも言っていました。
その後、Appleに復帰し、革新的な製品を作るだけでなく、生産や流通、音楽や電話業界の古いしがらみを打ち破って、社会が求めるものを提供してきました。
Appleの株の時価総額が世界一となったのも、挫折を受け止めて、大きく成長したからだと思います。

Appleの未来を心配する人がいますが、僕はあまり心配はしていません。
僕は、永久にAppleの製品を使い続けるつもりですが、いずれAppleという会社もなくなるかもしれない。
でも、ジョブズの生み出した世界観や、こだわったインターフェイスやデザインのポリシーは、確実にこの世界に伝わっています。
“Stay hungry, Stay foolish.”というメッセージと共に。

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