昨日、広島のペトロビッチ監督の契約満了による退任が発表されました。
一つの幸せな時代が終わるという感じです。
6シーズンもの間、広島という地で高いレベルのサッカーを目指したいい仕事をしてくれたと思います。
永久に監督をやってくれれば・・・と思っていましたが。
去年辺りに、クラブの強化担当者がマンネリが怖いと言っていましたので、今年結果がでなければ監督交代かなと思っていたので、悪い予感が的中という感じです。
2006年に最下位の状況で就任しました。
丁度、ドイツワールドカップのJリーグ中断期間です。
代表はジーコ監督。広島は小野監督でした。
小野監督は優勝を狙って戦術を大きく変えてきました。中盤をフラットに4枚並べる4-4-2です。
これが全然機能しなくて最下位を独走してた状況。
この時、広島が最初に交渉したのが、鹿島を辞めたトニーニョ・セレーゾでした。彼はコーチも含めた複数のスタッフ込の莫大なギャラを要求したので話は流れました。
そこで面識があったペトロビッチに会って即契約という流れになりましたが、まさかこんなサッカーをするとは思っていなかったと思います。
そしてジーコジャパンがドイツで惨敗し、代表監督がオシムに代わりました。
ペトロビッチはユーゴ代表でもオーストリアのクラブでもオシムと一緒に仕事をしたこともあり、オシムの弟分ということで、時代を先取りしたような人事に期待も高まりました。
最下位だった広島を短期間に鍛えあげて、その後だけをカウントすると、二位くらいの成績でした。快進撃でした。
超攻撃的なサッカーなので、大量得点かつ大量失点というのも十分ありな戦術ですので、負けたとしても清々するような内容でしたが、チーム内の色々な崩れからJ2に降格します。
とにかく頑固。絶対に他人の言うことは聞かないという感じに見えました。
しかし選手に対する愛情は深く、不快信頼感で結ばれていました。
槙野、柏木は去っていった後でも、師弟としての心の絆は続いてるようです。
そして天皇杯準優勝、ゼロックススーパーカップ獲得、J2で快進撃をして、2009年には4位となって、翌年のアジアチャンピオンズリーグに出場します。
この年のサッカーが一番面白かったですね。
そしてACLを戦った2010、優勝を目指しつつ中途で上がりきれなかった2011。
2010あたりから、守備のスタイルが変わったことが、かつてのような大量得点を生むサッカーができなくなったように思います。2010年は故障者が激増して、守備的局面ではボール奪取をせず5バックでスペースを埋める戦術にしていましたが、ベストメンバーでも今年は5バック&カウンターの戦術をとっていました。
攻撃時の運動量が増加し、最後の所で力尽きる場面が増えましたし、人数はいるのに無駄な失点を重ねる場面も多くなりました。
確かにマンネリと言われても仕方がなかったかもしれません。
しかし、こんな素晴らしい人物の次に誰がやれるのだろう?と素直に思います。
ペトロビッチを慕う選手たちをつなぎとめるためにも、ペトロビッチ以上の人物を選んで欲しいものです。
残りリーグ戦3試合と天皇杯。
これから、なんとか新しい局面を切り開いて最後にペトロビッチ監督への贈り物として欲しいです。