日本文化の構造と古代史については相変わらず関心の高いテーマ。
古代史族について。
日本は、天皇家を中心に、后を提供する権力者が入れ替わることで、その時代権力構造をリフレッシュしてきました。
大規模な政権構造の変化の裏には、有力な外戚が入れ替わる事も多々あったようです。
応神朝は葛城、継体朝は大伴(+物部)、欽明以降は蘇我、文武以降は藤原と言った感じです。
政変が起こると、大きな権力を得る集団がいる一方、負けた集団は僻地に移動したり、流民化したりします。
そのあたりは、記紀に書かれていなかったり、ぼかされていたりするので、実態を把握するのは非常に困難なようですが、地方の歴史的文化を見ていく上で非常に重要な視点です。
中国地方では出雲や吉備は、強大な力を持っていた時期がありますし、四国北岸も吉備や大伴の影響下にあった時期もあります。
秦氏は半島から製鉄や機織りなどの技術と共に移住してきた集団で、山城盆地西部を拠点としていました。他にも、既存の製鉄地にも移住したようです。
「秦氏の研究」は、その存在に迫る良書です。
物部氏は没落後、関東方面に移住したという説あり。謎多き一族。
宗教という意識なく、仏教や神道が日常の中に浸透しています。少しそのあたりを知ってみる。