台南市の海に近い郊外にある安平区は、オランダが要塞をつくり、そのあたりの地名から台湾という名前にも発展した町です。
台南市の一つの郊外のエリアかと思っていましたが、行ってみると一つの独立した町という印象でした。
安平にオランダが拠点を作り、その運営のためにオランダが清本土から人を移住させて、いわゆる城下町をつくったのです。
米国に例えると、英国人の最初の入植地のようなものでしょう。
そのせいか、観光客も非常に多かったです。
安平の中心となっている旧ゼーランディア城は、明→清→日本→中華民国と主が代わり、形状や規模も変わり、安平古堡として観光地になっています。
オランダが作ったレンガの城壁は、一部が残っていましたが、焼成温度が高かったようで、存在感を保っていました。
台湾が、長く大陸や、欧州の上陸を許さなかったのは、原住民にたくさんの種族があり、それぞれが好戦的で、かつ統一されることがない状況が続いたことが原因でしょう。
日本でも、倭国の大乱と言われる時期があり、魏志倭人伝に記載されていますが、大和朝廷が成立し、統一王朝が中心となって、外交や徴税や行政、防衛を行って、発展してきました。
日本の歴史に例えると、弥生時代が江戸初期まで続いて、そこにいきなりペリーが来た。その要塞を藤原純友が包囲して追っ払ったという感じですね。
そういう歴史的な決定的な舞台が、ここ安平だったのです。
当時の城下町は、オランダが火災を防ぐために煉瓦造としたために、建物は残り、安平老街として雰囲気は残っています。
カフェやショップなどに活用されつつあり、今後更に魅力を増していくと思います。