興居台南の設計者が不明とのこと。
オーナーによると、東京帝大出身、1934年〜35年竣工とのこと。
面白そうなので、調べてみることにした。
先ず、東京帝大建築学科の卒業生のリストがあった。明治期と大正期。
辰野金吾先生の時代は一学年4人か。有名な方の名前、スーパーゼネコンの創業者、大手設計事務所の創業者の名前もある。
名前を検索すると、ある程度の卒業後の仕事がヒットする。台湾総督府に就職するなど関係ありそうな人物は2年に1人程度はいるようだ。
限定的ですが、卒業設計もデジタル化して検索できるようになっているものもあります。産業技術史資料データーベース。ここで”東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖+台湾”で検索すると、9名ヒット。明治期の一部の時期のみと思われます。
野村一郎:1895年卒。台湾総督府営繕課長として活動した人物。
森山松之助:1895年卒。大学卒業後、大学院に進み、翌年第一銀行建築事務所に勤務。1910年から1919年まで台湾総督府土木技師として、台南州庁(現・台南市政府)などを設計。帰国後、東京に森山事務所を設立し、わが国における民間建築家の先駆となる。時期的に別人。
中榮徹郎:1897年卒。1912年から18年まで台湾総督府技師土木局営繕課長を勤める。それ以前には名古屋高等工業学校講師を嘱託。退官の後は建築事務所を開設した。
井出薫:1906年卒。台湾営繕課長を勤める。後に出てくる、臺灣建築會の会長。台湾の建築サロンの中心人物と思われます。
栗山俊一:1909年卒。台湾で活躍。業歴は台湾郵便局(1929)など。臺灣建築會の副会長。
坂本登:1912年卒。文部技師、朝鮮総督府技師、台湾総督府技師として活動した。時期的に微妙。
台湾研究古書籍資料庫というサイトが有ります。
台湾総督府などに残された統治時代の書籍をpdfにして公開しています。
興味深い資料の宝庫です。
当時の日本や台湾の状況が非常によく分かる資料ばかり。面白いです。
台湾の建築実務者によってつくられた臺灣建築會が、二ヶ月に1度、台湾建築会誌という会報を出しています。
ある回の目次は、、、
卷首
防空に關する講演 門脇幹衞
水平荷重を受くる特殊ラーメンと其解法 田中大作
昭和八年度に臺灣の官廳で施工された建築 阪東一郎
第六囘總會見學會之記
臺建ゴシツプ
編輯室から
建築雜報
會報
となっています。
台建ゴシップというのは、編集部が会員数人をピックアップして、ユーモアたっぷりにいじるコーナーで、その当時の仕事や人間関係などがよくわかります。
日本での事例紹介や、時節柄注目すべき技術情報や、合同見学会のレポート、日本より訪台した文化人による文章など、今読んでも楽しめる内容です。
この会の会長が、総督府営繕課長だった井出薫さん。総督官房営繕課長が、建築職では台湾一のポストと思われます。
台北に現在も残る建築を多数設計していますし、興居台南が建った時期もそれらの仕事をしているので、ちょっとこの方ではないと思われます。
副会長だった栗山俊一さんは、1919年から1931年まで総督府営繕課技師として官職についていましたが、その後民間で活動しているようです。
現存している1928年竣工の台北郵便局(現・台北郵局)や1931年竣工の台北放送局(現・二二八紀念館)を設計したエースだったようです。
又、1935年に発行された、臺湾文化史說という本では、台南の「安平城址と赤嵌樓に就て / 栗山俊一」という文を書いています。
荒れ放題だった、オランダに縁のある古城2つを保存するきっかけとなった行動です。ここでは、台湾総督府技師という肩書ですが。
台北での総督府の仕事の後に、台南でこのビルの設計・監理をしつつ、古城の調査や研究に従事していたということは十分ありえますが、いかがでしょうか。