広島のマツダ、サンフレッチェでプレーして、監督としてサンフレッチェを4年で3度優勝させた森保さん。森保さんのマツダ時代から一年先輩でヘッドコーチとして常にいっしょの横内さん。レジェンドキーパーの下田さん。FWとして在籍した上野さん。フィジカルコーチ松本さん。一人を除いて全員が広島に縁のある首脳陣が日本代表を率いています。広島ジャパンです。
元々サンフレッチェ出身の監督は多いと言われています。特にマツダ時代からの選手に。
当時の監督はオフト監督。総監督は今西和男さん。
この二人の教え子たちがサッカー界を支える側で頑張ってると。今の日本代表もその一つと思っていいと思います。
カタールのドーハの悲劇のイラク戦はオフト監督、ボランチ森保一でした。歴史が一巡した瞬間。
広島とドイツの縁は第一次世界大戦から始まります。
日清戦争時に戦地から感染症を持ち帰る事を防ぐための検疫を行う為に、広島湾の似島に検疫所が作られました。若い頃の後藤新平が大活躍したのもこの検疫所です。
そこに、第一次大戦時にドイツが領有していた青島などから降伏した兵士の収容所が作られます。欧州の地獄のような消耗戦とは無縁ののどかな収容所だったようで、ここ捕虜からバームクーヘンやホットドッグが日本に残されていきます。同時にドイツサッカーも伝わっていきます。
日本にもサッカーは普及していたのですが、ドイツの捕虜たちのテクニックは素晴らしく、それを学ぶために旧制第一中学校の生徒は手漕ぎのボートで島に通ったそうです。
その中学校サッカー部の卒業生が、東洋工業サッカー部をつくってサンフレッチェにつながり、又その島の旧収容所の隣で育った森健兒はJリーグを作る仕事をしました。
日本代表に大きな影響を与えたドイツ人指導者クラマーさんの招聘も、当時の会長だった野津謙さんの独断だったとか。野津さんも広島一中サッカー部出身。マツダもドイツロスチャイルド系とされる住友グループだったのでドイツとの縁はあったように思います。
森保さんの代表での戦い方には、広島時代から継承されてる点が随所に見えます。
当時、前半に一点取った後、前がかりになった相手に対して浅野を投入してスピードを活かして追加点を取るというパターンがありました。今の代表には浅野が三人います。3バックもそうですし、状況に応じて3バックと4バックを流動的に使う点も。
森保さんが広島の監督を退陣した後、今シーズンからドイツ人のスキッベ監督が指揮しています。ドイツ代表のコーチもしてた人物で、前線からの早いボール奪取からのカウンターを狙う感じは、現在のドイツ代表の戦術との一致点も見られます。
今夜の日本代表とドイツ代表の戦いは、広島にする人にとっては数々の因縁があって、面白さは倍増するように思います。佳き戦いが展開される事を祈っています。