【韓国3日目】河回邑のおばば

この日は、韓紙をつくっている豊山韓紙で紙を買って、河回邑に行くというコース。
朝食をお願いしていたので、板の間でお膳を囲んで食べた。
ごはんと、汁と、たくさんのキムチ類。どれも美味しかった。

バス停でしばらく待つと目指す11番のバスが到着。一応「ぷんさんはんじ?」と聞いて運転手に確認。外国人ということを認識させる意味もある。
豊山の集落が終点なので、歩いて工場に向かう。
異国の田舎をふらふら歩くというのは、妙な開放感があって気持ちいい。
観光客をまるっきり想定していないので、等身大のその国の風景と向かい合える。

いよいよ紙屋の売り場(収蔵庫?)に到着。
日本語を習っている社長の息子と言われる方が登場。日本語も上手だし、非常に好青年だし、仕事も熱心。非常に好感度が高かった。
壁に貼る紙は、厚めの紙になるので、種類は限られてくる。
漂白しているか/無漂白か。楮の黒皮が入るか。楮の繊維が入るか。
それぞれ楮の味がしっかりあって、非常に魅力的。
とりあえず100枚買って帰ることに。しかしこれを丸くまいたら結構なボリュームに。
しかし、最大の目的だったので、がんばって持って帰ることにした。船便だとえらくかかるし、航空便で送るほどのものでもないし。

その後工場を見学させてもらった。
楮を貯蔵し、煮て、漉いて、乾燥させる。
どれも非常にシンプルな工程。
工場と言うより、大きな工房という感じ。
職人さんは1日500枚漉くという。
こうした職人さん達の人件費が紙の値段ということになる。
機械で紙をつくる前は、紙は非常に大切なものだった。そういうことに気付かせて貰った。
豊山韓紙は、日本からも結構買い付けに来るらしい。韓国では一番大きな韓紙会社だし、原料もよくて品質も高いようです。
先日も日本からこられました。といって、中国の地名を・・・。おいおいと思ったけど、似たような印象なのかもと。書をやっている人が良く来るようですね。面白い紙がたくさんありましたから。

忙しいのに河回邑まで送ってくれるというので、お言葉に甘えることにしました。

見渡す限り豊かな水田の豊山地方を通って河回邑に到着です。
道路を工事しているし、前回よりもかなり観光地化した感じです。
前回は、韓国人にとって憧れの聖地みたいな印象がありましたが、今は観光地としての地位を確立した感じ。

でも、建築には手を入れることなく、大切に生活しているので、非常に嬉しかった。
なんとなくただいまといいたくなる感じです。
大好きな建物が一つの塊をつくっているわけですから。

大砲のような紙もあるので、とりあえず予約していた民泊に直行。
ネットで調べても、日本人の宿泊が一番多い「ジョヨンハン民泊」に泊まることに。
ここも観光案内所の崔さんに予約して貰いました。

河回邑に民泊はいろいろありますが、舎郎房のある宗家(本家)クラスのものは非常に少ないのです。
ほとんど藁葺きの農家です。
韓国は儒教的な先祖の供養が非常に熱心なので、宗家は単に財産を受け継ぐということではなく、祖先の法事をする義務も受け継ぐのです。
一族の神主みたいなものですね。だから年中法事をしてるようです。
それもあって、宗家が機能している両班住宅は、民泊にしにくいのです。

ジョヨンハン民泊は門が藁葺きで、建築はシャープなエッジの瓦葺きです。(写真が無いのが悔しい)
門の前の舎郎房(両班のオフィススペースですね)の横の小さな門をくぐると、広い中庭があり、女性が仕切るスペースがあります。
そこに、噂に聞くおばばがいました。
予約していたものですが、、、というと、あんた達の部屋には、まだ荷物があるから、荷物はここに置いて邑を見てきなさい!といいます。(最後までこの調子でした。)
はい。といって、邑を散策。

公開されているもので主要な建築は、、、、
養真堂、忠孝堂、北村家、遠志精舎
軽く再会の挨拶をする程度に見て回って、昼ご飯を食べに。
そこも民泊でもある両班住宅で、カルククスという豆乳スープのククス(細いうどん)を食べた。
店の主(両班の子孫)から、何処泊まっている?ここに泊まらないか?と聞かれたので、ジョヨンハンに泊まるというと、苦笑いして、あのおばばか?という顔したので、おばば五月蠅いでしょとジェスチャーすると、笑ってた。

ここは、河がUの字に曲がっている先端にできた邑なので河回邑とよばれている。
この河の向かい岸に、両班達がつくった精舎(遊びの建築)がある。
前回来たときには渡し船が廃止されていたが、復活したらしいので川岸まで行ってみた。
確かに簡単な桟橋と木製の船はあるが、人がいない。
岸に向かって適当に手を振ってたけど反応もない。

子どもと砂浜で遊んでいると、船頭さんらしき人が来て、乗れと言ったので乗ってみた。
丘の上の玉淵精舎は、シンメトリーを意識した建物で、非常にバランスの取れた配置と空間の置き方がよかった。管理はされていないので、綺麗じゃないけど、拭き掃除をして一日ぼーっとしてみたいものだ。

夕食はどうするか?ここで食べるか?とおばばが聞くので、何がある?と聞いたら、鶏一匹食べないか。美味しいぞ。食べろ。という勢いに飲まれて食べることに。
後で調べたら、安東の名物でソウルや釜山でブームだという、チムダクだった。
子どもは辛いの無理なので「アンメッケ」とさんざん言っていたのに、とどいた大鍋にはシシトウのような、真っ赤な大唐辛子ぶすぶすと突き刺さっていた。
辛くて甘くて鶏も美味くて最高なんだが、子どもはいじけてご飯だけ食べてる。
おばばに「メッケ」で子どもが食べるものがないというと、わしに任せろといって、塩鯖と小皿のものを持ってきてくれた。
さすがおばばだ。頼りになるなあと言って、安東名物でもある塩鯖を食べた。味は日本と一緒。
チムダクは、日本でも受けると思う。鶏を一匹使ったすき焼きのような肉じゃがのような甘辛の鍋料理。汁だけで三杯飯食べれるくらいです。

土日は邑に伝わる仮面劇をやっていて、夏は土曜の夜に宿泊客向けにもやるというので、松林に行ってみた。
安東の仮面劇は、両班に虐められた農民達が、両班を風刺したコミカルな劇をやることで、日頃の鬱憤を晴らしたという。両班は、河に船をうかべて花火をやったという。
先ず、金属楽器や打楽器の人たちが丸く円を描いて登場。小刻みな音で軽快な音は、島根県の神楽に近い印象。
その後あちこちの土産物屋で扱っているお面をかぶった役者が出てきて、音楽に合わせていろいろ演じる。基本的には滑稽話みたい。
子どもは馬鹿受けしてました。

宿に帰ったら、舎郎房のもう一つの部屋の人たちが裏庭で宴会中だった。韓国人のカップル2組なんですが、カセットコンロや鍋や米を持ち込んで、夕方からずっと宴会。

僕たちは、両班になった気分でぼーっと建築を堪能してるのに、地元の人は、単なる安い民宿でしかないのか。当たり前かも知れないけど納得。

この日も窓開けっ放しにして、蚊帳を吊って寝ました。

【韓国2日目】安東の臨清閣

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泊まった旅館は、ターミナルの隣の駅の真ん前だったので、5:30に旅館を出たら、すぐ列車に乗れて、予定通り6時発のバスのチケットを買えた。
朝一に安東に行くなら、非常にいい宿泊先かも知れない。
どうやら、ターミナルの地下や周辺に24時間営業のサウナがあるのですが、結構そこに泊まる人も多いみたいです。

バスの時間待ちにコンビニに寄ったておにぎりを買った。案の定二つに一つは赤い具だった。
開封も日本と同じ。

安東は、前回行ったときは高速道路が工事中だったけど、今回は完成していたので、非常に速く行けた。こういった工事は韓国はびっくりするくらい早い。
確か5時間半かかっていたのが、今回は3時間弱。
この差は大きい。

なので安東に着いたのは朝の9時。
旅行の移動は早朝に限ると実感しました。
そこで、駅前にある観光案内所に行く。
そこの崔さんに、宿泊の予約や、安東や河回邑のことを教えていただいていたのです。

宿泊予定の部屋は空いているので、行きましょうと、車で送ってくれました。
臨清閣は、1515年に建てられた、現存する住宅で最大のものです。(当時の総理大臣の第6子が建築)
最古というのは、秀吉が片っ端から焼いてしまったので、それ以前の木造建築はほとんど残っていないようですね。
当時は今の倍の長さ(99間)あったのですが、日本が鉄道を通すときに、庭を横切るようにあえて設定して、半分になったそうです。それでも最大なので、昔がいかに栄えていたかがわかります。
昔は、目の前に流れる洛東河にダムがなったので、もっと河床が低く、鉄道もなかったので、川から道を伝って門まで登ってきていたようです。
今回、ここと河回邑でこうした両班住宅に泊まることにしていたのですが、非常に重要視したポイントが、舎郎房に泊まるということ。
韓国の両班住宅は、主である両班(官僚)のスペースと、家族のスペースと、従業員のスペースに別れています。それを中庭が繋いでいるのですが、特徴は夏の生活スペースである開放的な板の間と、冬の生活スペースであるオンドル部屋が交互に配置されています。
その両班が暮したオンドル部屋に泊まり、板の間でのんびりすると言うのが、僕のささやかな夢だったし、今回是非実現したいことだったのです。

その臨清閣に行くと、僕たちが泊まるスペースに案内して貰ったのですが、舎郎房でした。
板の間で、崔さんといろいろ話をしたのですが、この建物の戦時中の主は、中国でつくられた亡命政府の初代大統領だったとか。
僕たちが泊まる前日には、この建物で光復60周年のイベントをやったということでした。
なかなか日本人としては非常に居づらい建物のような気がしますが、気持ちを明るくしないと、国際交流できないので、部屋にあった額に、先祖が迷惑かけたと家族で手を合わせました。

すごく気持ちいいので、たまたま買ったスケッチブックと絵の具で、家族交代で絵を描きました。
それから、建物見て回って、ご飯を食べに行くことにしました。

旅行中は、以外とお腹空かない上に、あれこれ買い食いするので、食事のタイミングとお腹の空き具合の調整に非常に苦労します。
この日は、夕食はそれほどお腹空きそうもないので、お昼に牛を食べることにしました。
町までは徒歩20分くらい。
途中の骨董屋で、台付の小皿と、真ちゅうの皿と匙と、麻の糸を買う。
店主は高倉健そっくりで髪型も同じ。シャイな人なのですが、店に入った瞬間から子どもをすりすりさわる愛嬌のある人でした。

目指すは、「ソウルカルビ」と言う店。崔さんお奨めの店です。
カルビも美味しかったし、ククス(うどん?)も美味しかった。
白飯を頼んでも、小鍋にチゲが出てきて混ぜて食べろと言われました。普通に白飯を食べないのかな。

さて次は、町を横断しながら、「安東布(あんどんぽう)」と呼ばれる麻布を買いに行きます。
前回も少し買ったのですが、妻は箪笥の肥やしにしていたのでした。
今回は、機織りもはじめたことですし、ちょっと覗いてみようかというつもりで、麻問屋に行ってみました。
あれこれ韓国語と日本語を応酬するなかで、こちらは少し買いたい。向こうは切らずに売りたい。
ということに気づきました。それで、一番小さなロール(女性用の半袖のブラウス2着分)を買いました。(後でソウルの東大門市場で聞いたらそうるの1/4倍でした。)
熱を吸い取るし、肌ざわりもいいので、安東布は韓国でも超高級の素材として扱われているようです。
確かに、中国製とは全然違います。
何が出来るか楽しみにしましょう。

それから、2と7がつく日は市が立つので、市場をぶらぶらしました。ニンニクや赤唐辛子が結構出ています。これも名物らしいですね。
確かに安東のキムチは、刺すような辛みがありました。

夕方になったのですが、お腹空かないし、宿でのんびりしたいので、市場で色々買って夕食にしました。
板の間でご飯をたべながら、だんだん暗くなっていく情景は非常に気持ちよかったですね。

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臨清閣 http://www.imcheonggak.com/

【韓国1日目】ソウルの夜

仁川空港に着いたのは夕方でした。
とりあえず両替して、携帯を借りて(1日200円)たが、初日何処に泊まるかは決めてなかった。
翌朝、安東に朝一に行きたかったので、バスターミナルから始発のバスに乗る予定にしていた。
バスが6:00発。しかし地下鉄が動くのは5:30
安東行きのバスが出るのは、東ターミナルだけど、前回の記憶では、周囲は高層ビル街なので、ターミナルにつきものの旅館街は無さそうだった。子連れで初日に彷徨うのもなんなので、韓国観光公社に聞いてみたけど、よくわからないみたい。ロッテワールドの川向かいなので、高級ホテルは二つくらいあるのだが、初日は寝るだけなので、もったいない。
それで、とりあえず行ってみようと言うことで、ターミナルまで行ってみた。
やはり無いので、鉄道沿いを歩いて行くと、次の駅周辺が繁華街になっていて、「旅館」とハングルで書かれた看板がいくつかあった。
ほっと一安心。
若い頃は、バックパック背負って、少しでも条件が良くて安い宿を探すというのは、旅の当然の儀式と思っていたけど、もう無理だなと思った。

宿は、いわゆる韓国の場末の旅館。3万5000Wだったけど、3万Wに負けてもらった。
韓国は4回目だけど、しゃべれる韓国語は、「空室あるか?」「いくら?」「負けてくれ」「美味しい」程度です。あとは、目を見ながら体で表現すればなんとかなります。
しかし言葉は覚えるのが苦手です。

ご飯を食べたくて町に出たけど、結構美味しそうな焼き肉屋がいっぱいあって、いろいろ覗いてみた。
翌日には牛肉が名物で物価も安い安東に行くので、牛の焼き肉はやめようとの判断で、看板に豚の絵が描いてある焼き肉屋に入った。
看板と本を突き合わせても、なかなか一致するハングルが見つからないので、客が多いかどうかと、実際食べてるものを参考にするしかないのは、他のアジアの国と同じ。

豚の焼き肉もいろいろあったけど、頼んだつもりのものじゃないものがきたけど、美味しかった。
下味付の豚カルビなんですが、肉が非常に軟らかくて、美味しかった。店のアジュマは、伯母によく似てた。
他にも頼みたかったけど、メニューも読めないし、身振り手振りも伝わってなかったので、ピピムパプとネミョンくれと行ったら、ネミョンは隣の店から持ってきて貰った。あとでレシート見たら計上してなかったので伯母ににてたアジュマが、妻にビールをひっくり返してこぼしたお詫びかも。

翌朝のための買い物をするためにセブンでオレンジジュースを買った。
レジにはお兄ちゃんとお姉ちゃん2人がいたけど、日本人とわかって、嬉しそうに反応してた。
このあたりでは珍しいのだろう。

【韓国0日目】出発まで

そもそも韓国に行こうと思った理由は、現在建築中の自宅の壁に、韓国の紙を貼ろうと思ったからです。
韓国の古建築のオンドル部屋は、床が茶色い油紙で、壁と天井が韓紙を貼っています。調理の熱を床下に入れて暖房するので、床は一酸化炭素の侵入を防ぎ、壁と天井はすきま風を防ぐように考えられています。

数年前に行った安東は、慶尚北道に位置し(三国時代の新羅)、日本では出雲と深い縁がある地域です。
慶尚道は、統一新羅から李朝の間、政治家を多く出した地域で、独立後も長く政界を握ってきた地域です。安東は中でも名物が両班と言われるくらい、有力な官僚を生んでいます。(ちなみに韓国は日本のような封建制ではなく、官僚制だったので、いわゆる大名はいない。)

その安東の名産である韓紙と、麻布を買いに行こうというところからスタートしたのです。
最初は、広島市唯一の海外との交通機関であるフェリーで行こうと思ったのですが、出発する一週間前に老朽船の機関が壊れたとの連絡があり、飛行機で行くことにしました。(結局、航路は廃止になるとのこと)

気を取り直して、旅程を変更し、安東に2泊、ソウルに3泊することにしました。