嘉義郊外のサトウキビ畑、パイナップル畑

旅先で自転車に乗ってぶらぶらするのは面白いので、可能な限りチャレンジしています。
台湾は自転車国なので、公共自転車の普及も早く、サイクリングロードやレンタル、整備拠点の整備もされていますし、自転車を分解することなく乗せることのできる列車もあります。

故宮博物館南院の北側に、台糖蒜頭糖廠があります。台湾最大の農業企業である台湾糖業公司の蒜頭工場の跡地を観光施設に改修したものです。小さな鉄道に乗ったり、アイスを食べたりするこじんまりした営業状態ですが、廃線となった鉄路をサイクリングロードにしているので、ここで自転車を借りてサイクリングをするのが目的でした。
木造の社宅も残っていますが、住んでいるのは一軒だけで、他は放置されていました。今は、どこの町でも日式社宅はきれいに回収されて観光施設にされているので、改修前の社宅が観れるのは貴重かも。

サトウキビ畑の間のサイクリングロードは、両側の街路樹のおかげで日陰を走ることができるので、とても気持ちいいです。
煉瓦造の四合院が多く残る農村の映画のロケ地にも行ってみました。

故宮博物館南院にも自転車で行きました。
ここは、小ぶりな展示室で小規模な展覧会をやってる形態でした。いつ行っても楽しめると思いますが、2度目、3度目にわざわざ行きたいという内容にも思えない感じで、週末でありながら混雑することなくほどほどという状況でした。
嘉義はこの故宮博物館南院を誘致して観光に力を入れたのだと思いますが、時間が経って少し息切れしている感じはします。

その後、旺萊山(PINEAPPLE HILL)の製造工場に隣接している鳳梨文化園区に向かいました。
見渡す限りパイナップル畑の中にある施設で、試食や買い物ができます。
嘉義市内にもいくつも店がありますし、台北の迪化街にも新たにオープンしています。台湾の農業界で最高の栄誉である神農賞も受賞していますので、これから注目のパイナップルケーキだと思います。
パイナップル1個から、パイナップルケーキ4個分の餡をつくるそうなので、甘みや風味も濃厚。

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阿里山・奮起湖の老老街

5月に台湾中部の嘉義に行ってきました。
かつて嘉義駅には国鉄と林業鉄道、製糖鉄道の三社の鉄道が乗り入れている唯一の駅でした。現在は国鉄と観光用となった阿里山鉄道が乗り入れています。製糖工場は停止したので、製糖鉄道も観光鉄道となって、故宮南院や高速鉄道駅まで運行されています。鉄道ファンもよく見かけました。

夜に到着した翌朝、国際粽で粽を買って阿里山鉄道(平日1日1便、休日3便)に乗って奮起湖に向かいました。9時出発、11時半に到着。ディーゼルの機関がが後ろから押すのでかなりガタガタ揺れました。世界三大山岳鉄道のようです。傾斜も急なので、一つの山をループ状に回って標高を稼いだり、奮起湖の後では、スイッチバックを何度も繰り返すようです。
阿里山鉄道は2週間前にチケット発売されますが、瞬時に売り切れます。7月には阿里山駅までの災害復旧が完了するそうなので、より人気は出そうです。

嘉義駅から北門駅を過ぎると、檳榔樹が目立つ田園地帯となりますが、険しい丘陵地を登っていくと、茶畑が増えていきました。
阿里山エリアは標高が高く霧も多い地形なので、高品質のお茶の生産に適してるようです。

お昼は奮起湖大飯店の弁当にしました。アルミの弁当箱の店です。
奮起湖の老街から坂を下るとさらに古い街である老老街があります。
阿里山鉄道が開通した時期である、大正2年に建てられた雑貨屋さんなど街並みが残っています。
雑貨屋さんの7代目であるオーナーが、珈琲豆栽培をしながら、大姑媽阿里山咖啡を営業しています。
水洗珈琲をいただきました。
高山茶もこちらで購入。$500/150gなので、$2000/斤。阿里山ではおおむねこの値段で揃っていました。
林芳製茶所は2021年には烏龍茶の賞を三つもとって三冠王になった製茶所のようですから、飲むのが楽しみです。

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「花渡る海」 吉村昭

僕が育った町出身で唯一の大きな仕事をしたひとの話です。
吉村さんが取材に来た時に対応した郷土史家は中学校で歴史を教えてくれた佐原先生でした。

安芸国川尻浦の久蔵は、幼く父を亡くして佛通寺など禅寺三ヶ寺で修行をします。
母に仕送りをするために灘の米を江戸に運ぶ樽廻船の水夫となるが、潮岬沖で遭難。
三ヶ月以上漂流し、カムチャッカ半島まで流される。

江戸時代の船は幕府によって規制されていたこともあって、構造的な欠陥を抱えていたために、荒天となると重要な部分が壊れて漂流することが相次いだようです。特に避難港が少ない海域では特に。瀬戸内海は5海里ごとになんらかの避難できる港がありますが、太平洋側の遠州灘や日本海側などは神に祈るしかない海域も多くありました。
マストが一本に規制されたことから、一枚の大きな帆となって安定は悪く、風上に登りにくくなります。そのため舵を大きくして、その水中抵抗で向かい風の時に風上にのぼる構造となりますが、その結果、海が荒れたときに舵への水圧が大きくなって壊れるケースが相次いでいます。

漂流中、酒は最後までふんだんにあったようですが、水や米の不足には苦しめられたようです。
海での漂流中は死者はいなかったのですが、雪に覆われたカムチャッカ半島では最初から凍死する人が相次いで、久蔵も凍傷となって後に足の先を切断する手術をします。

久蔵は、寺で学んだ事が役立って、ロシア語を習得し、簡単な辞書や漂流の記録に加えて、天然痘予防の牛痘接種の技術を身につけます。これも足の手術をした医師との信頼関係もあって、治療の手伝いをする中で得たものでした。

高田屋嘉兵衛が漂流してきて、その流れ(ゴローニン事件)で帰国。漂着から3年半後。
そのときに、漂流の記録「魯西亜国漂流聞書」やざまざまな物品に加えて、日本で最初の天然痘の種痘苗やその道具を持ち帰り、広島藩に提出するが、事なかれ主義の役人に鼻で笑われて倉庫行き。
その後、川尻でも天然痘の流行があって、多くの被害が出ていますので、大変残念に思ったと思います。
長崎の蘭学医達が輸入して鍋島の若様に接種する数十年前の事でした。

日本ではこうした江戸時代の漂流文学が多く描かれていますから、時期も重なっているものもあってまとめて読むとよいです。

中川五郎治「北天の星」吉村昭
高田屋嘉兵衛 「菜の花の沖」司馬遼太郎

今年印象に残った本

家康

今年の大河ドラマ「どうする家康」は、かなり思い切った脚本、演出で、長年の大河ドラマファンからの失望と、歴史や大河ドラマにそれほど興味のない人の熱い支持に二分されたように感じました。
従来は、「時代」を描くことを基本としていたために、どうしても登場人物が多くて、外せないエピソードが多くあるために、シンプルな主題を伝えるドラマとして作りにくかったように思いますが、今回は、制作者の創造的作品として思い切って、「時代」を描くことはやめて、登場人物も減らし、お決まりの合戦シーンもほとんどカットしました。登場人物も善悪の役割を明確に設定したので、フィクションのドラマとしてわかりやすくなったのでしょう。
人物ドラマとしては、緻密に表現できていると思いますので、視聴率はさておき、記憶に残る大河ドラマになったのではないでしょうか。当初、周辺のスタッフを大きく描くような報道がありましたが、思ったほどでもなく、主役家康の独り舞台であったことは少し残念。古いアメリカのドラマ「ザ・ホワイトハウス」のようなものをイメージしてたのですが。
今回は家康に関する新しい学説や、家来たちのことを勉強。

  • 家康研究の最前線 平野明夫編・・・江戸時代初期に定説と呼ばれるもの結構なものが創作されたようです。近年の研究者は、一次資料を丹念に比較することで、創作された定説を再確認しているようです。
  • 徳川十六将 伝説と実態 菊池浩之・・・徳川十六将図はかなりの種類があるようです。それらの構成メンバーを探ることで、選ばれた理由やルーツを探ります。最初に十六将を選んで図を描かせたのは渡辺半蔵ではないかとのことです。
  • 家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ 森本昌広・・・関ヶ原の合戦の前に伏見城で戦死した松平家忠は、長く日記をつけていました。かなり貴重な記録です。その日記を通して当時の生活を知ることができます。お付き合いの記録が多かったようです。

料理

今年はスパイスカレーを作るときは、二種類以上作ることを基本としていました。
チキンカレーを基本とすると、豆や野菜、キーマカレーなど、材料やスパイスのバランスを変えて、少し味や香りのハーモニーになるように、、、
ナイルさんやレヌ・アロラさんの本は基本を学べて参考になりました。

歴史

古代史では、瀬戸内海が航路となった時期はいつなのか?それ以前は、九州と近畿をつなぐ航路や、半島と近畿をつなぐ航路が日本海だったはずなのですが、そのあたりの歴史的な経緯について、考える材料になりました。
永野さんは元国交省港湾の官僚で、土木技術者の観点から、古代の舟の航行や港湾、貿易など興味深い視点を提供してくれます。古事記や日本書紀の神武の東征から、瀬戸内海ははるか古代から船が往来する航路だったと漠然と思っていましたが、水や食料の供給や、水先案内や船の修理など一定間隔で港の機能が整っていないと航路とはならないというのは確かに。。。
推古朝あたりか?
岡谷さんは神社の起源について幾つか著作があります。敦賀あたりから西に向かって、神社や地名などに残る古代の痕跡から、古朝鮮と神社の起源をたどっていくのですが、出雲に入るとその痕跡がぶっつりと絶えてしまう。
ある時期に、意図的に出雲地域の神社やその由来などを書き換えたのではないか?という説。
読んだ直後に、たまたま島根県でお会いした方のご主人が、その時期?に出雲を追われた神社の関係者だったという言い伝えがあるそうです。
古事記や日本書紀を編集した藤原不比等や持統天皇が、書物との整合性をとるために現地をそれに合わせたのか?出雲が神話では輝かしい反面、隣接する丹波や越、吉備などには淡白なことも重要なポイントです。

生活・文化

数年前に英国のドラマ「ダウントンアビー」を熱心に観ていました。昔、クリスティやアーサーランサムが好きだったこともあって、英国の郊外で暮らす貴族や、田舎の農村の人たちの暮らしに興味はありました。なかなか現代の視点でうまく描けていたと思います。
ヴィクトリア朝の香りが残る時代から、第二次大戦後の時代の移り変わりもたいへん興味深く知ることができました。
そうしたダウントンアビーファンや英国の歴史小説愛好家向けの本ともいえますが、謎に満ちた存在である執事や、日本の一部で流行ってるメイドの世界を、具体的な映像や記録から浮かび上がらせてくれます。遠い国や古い時代の人たちの暮らしは、今とは大きく違うと同時に、どこかに痕跡がつながっているようで、大変興味深いです。
人類は多様でユニークであるということを改めて感じます。多様な文化や暮らしをもつホモサピエンスは面白い。

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