小保方さんの会見

ニュースとしては、ほとんど興味のなかった小保方さんに関する問題でしたが、たまたまテレビをつけていたら記者会見が始まったので、最後まで見入ってしまいました。

結論から言うと、この問題は、マスコミによるオウンゴールではないかと思いました。
もしも、小保方さんが普通のおっさんだったら、論文が科学誌に掲載された程度のことであれだけのニュースになっただろうか?
同じく、論文の文章や写真を緻密に精査する同業者が生まれただろうか?
論文を作り上げる手法に瑕疵があった場合、今回のような騒動になっただろうか?
結局、ニュースのネタになるから持ち上げ、同じ理由で地面に叩き落とす。これまでと同じようなマッチポンプが発動した。ただそれだけの話しだったように感じました。会見場の記者やレポーター?の質も。。。
理化学研究所も、そうしたマスコミに向けて変なアピールをし、問題が起こればマスコミ向けに変な蜥蜴の尻尾切りのようなストーリーをつくった。
弁護士の力を借りてでも、2時間半の間世間と直接向かい合った小保方さんを見なおしたという人は多かったと思う。

もしも同じような瑕疵のある論文があるなら、同じように吊るしあげられるべきなのかもしれないが、早稲田大学の同じ学科の博士論文のみの調査だけで終わりそうな気配。
素人としては、最高学府の博士論文も同じような調査を行って、その違いがあるのかないのかも含めて知りたいところ。

デジタルの技術を使って様々な表現を行う時代。
引用や複製、加工は安く簡単に行える。
だからこそ、そのルールやマナーは身に付けるべきでしょう。
ただのコンプライアンスの問題としてしまうのではなく、自分の身を守るためにも。

写真は、マスコミの群れの行動を眺める藤原新也。

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アップルを創った怪物

この本は、もう一人のスティーブの自伝。
いわゆるスティーブ・ジョブズは言うまでもない英雄で、様々な場面で語られてきましたが、こちらのスティーブは、まるっきり正反対のキャラクターでありながら、多くの人達の尊敬を集めている人物。
二人がAppleをつくったのち、ウォズが外され、ジョブズがMacintoshをつくり紆余曲折を経て今に至っているという感じ。
Macintosh以前のAppleや、そこで創りだしたAppleI、AppleIIそしてパーソナルコンピューターを産んだエンジニアがこの愛すべきウォズでした。

長い時間をかけてインタビューすることでこの本をつくっていますから、物事を伝えようとする姿勢や語り口が、ウォズの人柄をうまく表現することに成功しています。
Appleが素晴らしい製品を生み出す土台を作ったのがウォズであると同時に、パーソナルコンピューターの土台をつくったのもウォズだった。
この最初の土台の部分をうまくやれるかどうかはその後のそのジャンルの成否に大きな影響は有ります。
例えば、日本の電気が東西で50Hzと60Hzになってる。このことが、東西の電力の融通を阻害する上に、今更一本化もできない。こういう最初に埋め込まれた根本的な欠陥は意外とあるもの。
しかし、コンピューターがパーソナルなものになる土台のところでウォズが果たした成果のお陰で、世界の人たちが、自由で手軽な道具として無くてはならない物になってる。

Appleが成功せず、大企業となっていなかったら
Appleに参加せず、hpで働きながらAppleIIの設計をしていたら
ウォズがエンジニアとして一線で仕事し続けていたかもしれない。
すると、もっと多くのわくわくするような発明がもたらされていたかもしれない。
そう思わせる本です。

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いいとも

「笑っていいとも」が終わった。
始まったのは1982年だから、僕が中二でした。Mac発表の2年前。
平日お昼の番組を観るのは、長期の休みの時くらいでしたが、それまではクイズ番組を観てたように思います。
大きなサイコロを転がして、ハワイ旅行をゲットする!という感じの番組。
いいともの登場は、単なる番組の良し悪しではなく、お昼のテレビの方向性をシフトするような影響力はあったと思います。

フジテレビプロデューサーの横澤さんの作った番組を時系列に並べてみると、、、

1980年〜1982年20:00〜「THE MANZAI」ツービート、B&Bなど
1980年〜1982年12:00〜「笑ってる場合ですよ!」ツービート、B&B、紳助・竜介、明石家さんまなど
1981年〜1989年20:00〜「オレたちひょうきん族」たけし、明石家さんま、島田紳助など
1982年〜2014年12:00〜「森田一義アワー 笑っていいとも!」森田一義など
1984年〜1989年13:00〜「ライオンのいただきます」小堺一機 リニューアルし、現在も続く。

漫才ブームが一段落し、ひょうきん族以外のメンバーで新しい番組をつくったら、異常なほど長く続いてしまったというところでしょう。
タモリの全体をフラットに見る視点と好奇心。なにより視聴者が長く続けることを望んだということだと思います。

夜の番組は、ゆかりのあるタレントが多く集まった贅沢な番組でした。
前半の大物の力が発揮されてて、興味深く見てました。
小堺さんはその2年後から始めてるので、そちらも気にかけてあげれば・・とも思いました。

景色を描く

週末に、関西方面の美術館に行ってきました。
初日は大阪の国立国際美術館の「アンドレアス・グルスキー展」と神戸市立博物館の「ターナー展

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グルスキーの写真は、巨大なサイズにインクジェットプリントしたり、デジタル加工したり・・・というテクニックが従来の写真家と少し違うところだと思いますが、それが効果的でした。

これまでは、写真は真実をそのまま写すもの・・・という半ば期待に近い感覚を持っていましたが、商業写真は特にそうですが、撮ったものをそのまま使うということは無い状況。
そうであるなら、絵を描くことと同じように、写真機で画像を二次元化し、絵筆を使うようにphotoshopを使う。そういう制作環境となったということ。
デジタル技術を画材とするなら、ごく当たり前の感覚だと思います。

グルスキーが描こうとした対象は、いずれも大自然に加えて、何かに熱中する群衆やその痕跡も多く写っている。
人の営みも又、景色である。とでもいうように。
その視線が興味深かった。

その後、三宮に移動してターナー展に。
ターナーは幼少の頃から天才的な技術を持つ天才画家。
単に趣きのある美しい風景を描くだけでは満足できなくなっていったようです。
自らの表現と、パトロンや、国王も含めたパトロン予備軍の期待は次第に差が広がっていったようで、依頼主の要望に添えなかった作品こそに、ターナーの本来の創造的意図が隠されていたように思います。
特に、最晩年に発表もせず、アトリエの中で実験的に取り組んでいた作品群は、50年後の最先端の世界をまさに実現しようとしていたと思います。
発表しなくて正解だったと思いますが。

800px-Turner,_The_Battle_of_Trafalgar_(1822)

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まるで共通点のない対照的な二人だったと思って作品を見に行きましたが、思わぬ共通点があって面白かった。
どちらも、単なる美しい風景を描くことにに飽きたらず、人の様々な動作やその痕跡も描きこむ。その総合的な景色を選びとる感覚を僕達に感じさせます。
もちろん時代背景が違うので、トラファルガー海戦のシーンであったり、F1レースのピットのシーンだったりします。
しかし、どちらもわかりやすい平べったい切り口ではなく、観るものをそこに居ると感じさせるような画力とスケールで表現しています。
その切り取る感覚に、作者の好みが感じられて、いい時間を過ごすことができました。