清盛の苦境

NHK大河ドラマ「平清盛」の視聴率が今ひとつのようです。
制作側としては、いろいろやりたいことを盛り込みすぎたので、焦点がぼやけたかな?とは思います。
我が家は、録画したものをまとめて観る形ですので、毎週楽しみにしてる・・・というほどではありませんが、期待しつつ観ています。
「平清盛」は、時代背景やグループ間の因縁のようなものを、かなりしつこく描いているので、まじめに観てると内容に深みが出てきて面白いと思っています。

源氏は摂関家と関係が・・・というセリフがありました。
確かに、源氏は藤原摂関家と歴史的な因縁が深いのです。
源氏というと、武士の一門というイメージがありますが、本来は皇籍を離れた天皇の子供や孫の一族で源姓を名乗っている一族を言います。
嵯峨天皇の子供が50人いたので、皇位継承権のない子供が皇籍を離れて嵯峨源氏となったのが始まり。
その後、村上天皇、清和天皇などの子孫が源氏を名乗るようになっていきます。
これら源氏を生んだ天皇の后のほとんどが、藤原摂関家出身のようです。
つまり、藤原摂関家から嫁入りした后が生んだ子供のうち、宮廷から出ることになった子供に、源姓を与えて貴族としたというのが、そもそもの源氏というもののようです。
当時は、まだ女系社会だったので、子供を養育するのは母の実家の責任なので。
今で言うと、天下りのようなものですね。事務次官になれない官僚を、関係する企業や特殊法人が社長に迎え入れる・・・といった感じでしょうか。
そんなこんなで、権力の中枢から外されつつあった藤原摂関家と落ちぶれた河内源氏の源為義が・・・というのが今後の展開に続いていくと思います。

保元の乱からは、多少スピードも上がってくると思いますので、期待したいです。

洋裁学校

五日市の古くから親しまれてきた洋裁学校が解体されるようです。
和装の時代から、洋装の時代に移り変わるとき、日本の女性は先ず洋裁を勉強したそうです。
そして、自ら洋服を作って洋装に移り変わっていったそうです。
「カーネーション」でも描かれているように、既製服のバリエーションが十分でなく、流通も十分でなかった時代だったからだと思いますが、実はそれが本来のあり方かもしれません。

ミシンがあれば、自由に表現することができる。
それは楽器や大工道具を習得することと同じような、ものを作ることで自分を表現するわけですが、そこが今に時代には窮屈な状況になってるような気がします。
工場で生産された安価な商品が溢れているので、手でモノを作ることがなかなか経済的に太刀打ち出来ない状況です。

この洋裁学校から椅子を4脚譲り受けてきました。
脚が細く、可愛いフォルムの椅子です。
座面を張り替えて使おうと思ってたけど、綺麗に拭いたら、それはそれで十分我が家にぴったりはまっています。
そこで学ぶことはできませんでしたが、とても素敵だった校長先生のポリシーのようなものをおすそ分けしていただた気分です。

火の魚

NHKの朝の連ドラ「カーネーション」の尾野真千子さん。
腹の座った熱演を毎朝楽しみに観ています。
尾野真千子さんの出演もあと僅かですが、かつてNHK広島で制作されたドラマ「火の魚」が再放送されるようです。
2012年3月3日(土)19:00~19:55

芸予諸島で撮影されたドラマで、非常に印象深いものでした。
主には、江戸時代に風待ち港として瀬戸内でも有数の繁栄をした御手洗で撮影されたようです。
祖父母がその隣の島に住んでたので、子供の頃年に何度も船で通った思い出深いところです。
脚本はカーネーションと同じ渡辺あやさん。

ロケ地

原作は室生犀星。
室生犀星の小説『蜜のあはれ』(1959年)の表紙「金魚の魚拓」の製作をめぐる、室生犀星と装幀家の栃折久美子との物語です。

スティーブ・ジョブズ

[amazon_image id=”4062171260″ link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]スティーブ・ジョブズ I[/amazon_image] [amazon_image id=”4062171279″ link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]スティーブ・ジョブズ II[/amazon_image]

遅ればせながらスティーブ・ジョブズIとIIを読みました。
ウォルター・アイザックソンの素晴らしいノンフィクション文学。翻訳もよかったと思います。
前半は、Appleに馴染みの深い世代なら断片的に知ってることばかりだとは思いますが、丹念な取材で、多くの関係者の証言で実際に起った事象を具体的に浮かび上がらせることに成功しています。

特に、Appleを設立するまでや、スカリーとの確執とApple退社のエピソードは貴重な内容でした。
NeXTの期間の記述が少ないことが残念でしたが、PIXARに関する記述は非常に面白かった。
何でもかんでも口を出すジョブズが、PIXARに関してはクリエイティブな面はそちらを尊重し、事業家としての役割のみ関与したというところ。恐らく、ノーチェックで書くことをウォルター・アイザックソンに依頼したのも、アイザックソンの作家性をそれだけ尊重しているということの現れだったと思います。

テクノロジーとアートを融合させるジャンルとしては、伝統的に建築がその役割を担ってきたと思いますが、ジョブズはコンピュータービジネスとアートを見事に融合させました。
もちろんジョブズは建築も好きだったようですが、この時代にこの場所にこの人物を神が遣わした・・・と言ってもいいと思います。
ミサイル制御技術から始まったシリコンバレーのテクノロジーと禅とカウンターカルチャーとボブディランの結晶がジョブズでありAppleだったと思います。

しかしあの性格のことは最初から最後まで、まさに主題のように書かれています。
最高の作品を作るためだけに、人を怒鳴り、翻弄し、引っ張っていった。それがよく伝わる内容となっています。ジョブズも草葉の陰で満足してると思います。
嘘偽りなく、誤魔化すことなく、等身大の恐るべき巨人を主観を排除して書ききった。なかなかできることじゃなかったと思います。

しかし、恐らく世界でも最も上司にしたくない人物でしょう。
ここまでの人いるかな?と思ったけどさすがにいない。
多少近い人は、、、、

フィリップ・トルシエ、味岡伸太郎、橋下徹、安藤忠雄、近藤等則・・・

あまり考えたくないですが、もしジョブズが日本に生まれてたら・・・

先ず、ジョブズのような人がのびのび活躍できるような社会をつくること。
そこが日本を再生させる上でも必要なことだと思いました。