伊達直人

ここのところ、伊達直人を名乗って、福祉施設に寄付をする人が増えてるようです。
僕も、市電で席を譲るのも気恥ずかしく思っているので、気持ちは非常にわかります。
ちなみに、年長さんの時の僕の夢は、タイガーマスクになること!だったので、タイガーマスクと聞くと、あの暗い終わりの歌の映像とイメージがぐぐっと沸き起こってきますし、続あしながおじさん(あしながじさんよりも)も好きだったので、孤児院といえばサリー(ジュディではなく)という感じ。

9年ほど前、ある友人たちと音楽イベントをやったときの収益金で、児童養護施設にプレゼントを持っていったことがあります。
クリスマスイブの野外イベントだったのですが、暖かい日で、近くに店も自販機もなかったので、途中でビールでも買ってきて売ろうかという話になりました。
イベントの主旨から、仕入れてきた値段で売ろうかと思ったのですが、ある友人が、高く売って収益でどこかに寄付でもしたほうがいいんじゃないかと言って、それもそうだということで、発泡酒の350mlを500円で売ることに。。。。
お天気のおかげもあって、結構売れたので、そこそこの収益金になりました。
それで、海の向こうに見える似島にある児童養護施設の似島学園に絵本でも買って持って行こうと言う話になりました。
一緒に行く数人で、絵本を買いに行くのも非常に面白かったです。
絵本というのは、頭というよりも、心のこやしになってるものなので、改めて手にとってみるというのも面白いし、他の人の忘れられない絵本を見るというのも面白かった。
それで絵本10冊ほどど、図書券を買って施設に持って行きました。

何か、慈善心があって訪問するというなら、気恥ずかしかったかもしれませんが、酒飲みの習性を逆手にとって稼いだお金でプレゼントするわけですから、僕たちは単にそれを運ぶだけという役割だったので、非常に気楽だったように思います。
いろいろ説明うけたり、話を聞いたりして、小さい子供とちょっと泥遊びをして帰ったのですが、非常に興味深い経験になりました。
日常的にはあまり縁がない施設なので、実情など聞けてたのが大きかったです。
両親との死別で来てる子が多いのかと思いましたが、育児放棄や家庭内の暴力など、育ての親が居ながら、育てられない事情を持ってきている子が以外とおおいということに驚きました。
そうした事情で、家庭内で大きな事件になることがここ数年増えたような気がしますが、そのとき話を聞いていたおかげで、非常にリアリティを持ってニュースに触れることができたことを記憶しています。

ささやかなプレゼントだったので、わざわざ持っていくのもご迷惑かと思ったのですが、行ってよかったと改めて思いますし、ボッタクリ価格で発泡酒を持って行ってよかったです。
伊達直人も、置いて帰るんじゃなくて、一歩足を踏み出すと、もっと何かが起こるように思います。
今、日本社会に必要なのは、物ではなく、人や社会とつながることだから。

伊勢・志摩

昨年末に、伊勢志摩地方に行ってきました。
伊勢といえば伊勢神宮。
伊勢神宮は、日本建築洋式のルーツの一角を担う興味深い建築なのですが、残念ながら一般のルートでは建築そのものを眺めることはできません。
しかし、内宮、外宮それぞれの近くに、アマテラスの弟である月読のミコトを祀った月読宮(月夜見宮)があり、ここも伊勢神宮のように式年遷宮を行う神社ですので、伊勢の建築様式に触れることができます。
年末でしたが、内宮も外宮も大変な人でしたが、月夜見宮はどちらも数人しかいなくて、すっきりとした空気感と、美しい建築を体験することができました。
アマテラスが太陽で月読が月。スサノヲが大地といったところです。
神社建築が作られるようになったのは、仏教と仏教建築が輸入された時で、仏教に対抗して作られたと思います。
それまでは、地鎮祭のように仮設の祭壇をつくってお祀りをしていたようです。

本当に重要なのは、建築ではなくて建築の中にあるイメージのようなものです。
20年に一度建て替えるいわば仮設であるから、建築や浮世がはかなく、逆にイメージが強く印象づけられるという仕掛けだと思います。
建築をつくること、建築を建て替えることを考えさせる面白いイベントですね。
内宮と外宮、月読宮(内宮の近く)と月夜見宮(外宮の近く)の4箇所意外に、近隣にも式年遷宮する神社がありますので、常にどこかが建築してるという状況です。

1984(広島弁版)

Macintoshが1984年1月に、はじめて世に登場するときのコマーシャル戦略は、今でも語りぐさになっています。
ジョージ・オーウェルの「1984」をモデルにした不気味な社会を舞台に、それを打ち砕いて自由を獲得する・・・というストーリー仕立てのものです。
当時のソ連がモデルの不気味な社会は、IBMやIBMが開発したPC。それを打ち砕いて自由をもたらす救世主がMacだということです。
ちなみに1Q84は1984のパロディ(?)です。

オリジナルはこちら。

以前、話題になったAppleのコマーシャルを広島弁化してる人が、今度は1984を広島弁化しました。
最近は聞くこともなくなった語彙もありますので、勉強になりますね。

iBookAirもよくできています。

金閣寺の燃やし方

聞き捨てならないタイトルだな・・と思って読み始めました。
軽く不謹慎なタイトルのこの本を書いたのは酒井順子作。
「負け犬の遠吠え」の人です。

三島由紀夫と水上勉が、生まれたときの記憶の記述から始まり、かなり期待感を高めてくれます。
美しい物を炎上させるという美の形を描いた三島と、炎上させた坊さんの人生に自らの半生を重ねる水上。
祖父の代から官僚で自分も学習院出身の元大蔵官僚の三島。
口減らしのためにお寺の小僧さんとして家をでた苦労人の水上。
二人の作家と生き方を投影する作品として一つの事件を描いている。
最初の一章を読んで、わくわくしてきました。

水上勉は母が好きだったので、子供の頃から馴染みがある作家です。
三島は今も昔もあんまり興味ないですが、一度真面目に読みたいと思っていた。

この本はとりあえず横において、三島の「金閣寺」と水上の「五番町夕霧楼」をまず読もう。
読むと京都に行きたくなりそうな予感もします。