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ホーム初勝利 三角×四角
昨日は、ACLの第4戦、広島のホーム初勝利を祝うことができました。
ビッグアーチから登ってきた丸いお月さんも祝ってくれるそんな夜でした。
広島は、高萩が長期離脱、槙野、ストヤノフを欠いている状況ですが、浩司が快調に復帰していることと、横竹が存在感を増しつつあること、山岸がフィットしてきていること、山崎や桑田が復帰したことなど、すこしずつですが良い材料もあります。
広島は危ない時間帯はありながらも、華麗に攻撃し、泥臭く守ると言う感じで、非常にわくわくするサッカーを見せてくれました。
三角形を組み合わせたようにピッチに広がった広島の選手は、面白いようにパスが繋がります。
4バックのアデレードは、ラインを作りつつ攻めて来る感じ。
大柄で小器用さに欠けるアデレードは、非常に強いチームなのですが、疲れや季節の変化のせいか、激しさも今ひとつの感じでした。
横竹は非常に楽しみです。ガツンと相手を潰す感じが頼もしい。そういう選手は広島はあまりいないので。
佐藤の得点直前のフリーになる動きも要チェックです。フリーになって余裕でゴールしているように見えますが、CK蹴るまではGKやDFからこずかれるなど、しっかりマークされていました。蹴った瞬間すり抜けてあの場所に立ってると言うのはすごいことです。
しかし、ACLは面白い大会ですね。
ずーっと同じチームとのリーグ戦のJリーグやナビスコ、天皇杯に比べると、一試合にかけるモチベーションはまるで違います。
自分の町にこんなに面白いサッカーをするクラブがあってほんとに幸せです。
監督と、監督を信頼して任せている久保さんに感謝です。
アーサーランサム全集・再訳
サーサーランサム全集を翻訳した神宮輝夫さんが、第44回エクソンモービル賞児童文化賞、第12回国際グリム賞を受賞したそうです。
たくさんの翻訳が僕たちの心を育ててくれたことに感謝です。
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/jidou/index.html
この記事の中に、気になる一文が、、、
「心おどる冒険物語「アーサー・ランサム全集」は、翻訳出版されてからおよそ40年も読み継がれてきた名作です。2010年より少年文庫化すべく、目下全面的な見直しに取り組んでおられます。」
アーサーランサム全集が、神宮さんの手で再び翻訳されます。
今度は、岩波少年文庫になるそうです。
楽しみですね。
坂本龍馬
坂本龍馬が話題にもならないくらいお茶の間に浸透した感じもします。
福山雅治と坂本龍馬というと、背が高い事と、なんとなく好きな人(ファン層はまるで違いますが)が多いという二点以外は共通点はないと思いますが、最近はぎこちなさもとれ、安心して見れるようになってきています。
坂本龍馬は、特別な能力があった人ですが、それが個人の能力だけでもないと思います。
勝海舟とは、合理性という点に非常に共通した性質がありました。
ふたりとも、元々武士の家ではないのです。
勝海舟のひいおじいさんは金融で儲けて、おじいさんが旗本の株を買いました。
坂本家は才谷屋という質屋(金融業です)で儲けて、郷士の株を買いました。
どちらも、商業の才がある家に生まれ、育ったのです。
先祖代々武士の家というと、鎌倉時代まで遡れる人が多いと思います。
元々は東国を開拓した一族が農地を守るために武装をしたのが武士の始まりですが、600年ほどの間に、約束事が厳格に定まり、江戸時代は、今でいうと公務員のような文官として働くようになりました。そういう600年もガチガチの公務員集団の中に、いきなり(サラ金の)営業マンが飛び込んだわけですから、その時点で発送が違って当たり前だったわけです。
商人文化と東国の武士の文化は、歴史上なんども激突していますが、江戸時代をつくった関ヶ原の合戦もどういう側面がありました。
豊臣家の遺臣のうち、尾張時代の連中は野武士上がりの武闘派が多く、中世懐古主義者だった徳川家康と思想が近く、当時世話になった北政所を慕っていました。
近江(長浜)以降の連中は、浅井家の遺臣も多く、浅井家の姫君である淀の方を慕っていました。近江は琵琶湖の海運が盛んで、商業が極端に発達した地域でした。
東西の戦いは、外国貿易で利を得た商業主義西国と、農業をベースに開拓の魂を大切にする東国の戦いだったわけです。
勝負は、中世懐古主義者が勝ったので、江戸時代はなにかと堅苦しく、商売は制限された時代となったのです。ほんの短い織豊時代とはエライ違いです。
そうした江戸時代も、農業生産が限界を迎え、石見銀山も尽きた後は、米をとるか経済をとるかという政策の選択を突きつけられたのです。
鎖国を守るという主張が、倒幕の原動力になりましたが、勝と坂本の根本的な政策は、イデオロギーではなく、商業中心という政策でした。
商業と言うベースの上に、国防を乗っけようと言う政策です。
なぜまんじゅう屋に理解できるのに、武士には理解出来ないのか?それが、龍馬伝の背景にあるストーリーの一つかもしれません。
武士はもともと農民だから・・・というのが答えでしょうね。
農地を外敵から守ることを、ずーっとやってきた人たちです。
土佐の郷士は、長宗我部の遺臣です。上士は掛川からやってきた山内家。
古き良き四国の中世を懐かしむ武市さんたちは、敵と交渉するなどという感覚はまるで理解できなかったのでしょう。
あの時代は、領土を守ると言う強迫観念が、閉鎖された時代に熟成され、朱子学で染められたことで、一気に爆発したのでしょう。
龍馬とそれ以外の志士の意識の違いがこれからの見所ですね。