エール

観たり観なかったりする朝ドラですが、今回のエールは毎回観ています。
音楽愛を貫く制作陣やキャスティングと、学生時代を過ごした豊橋が舞台であることもその一因ですが、本来は東京五輪に向けて華やかな空気を醸成しようとしながらも、突然の新型コロナウイルスのパンデミックによって社会における役割自体が大きく変わってしまったことをどのように受けてめていくのか?というあたりにも興味があります。
ちなみに二階堂ふみ演じる一家が住んでいた豊橋市の実家は、下宿から徒歩圏でした。

今週は、主人公の作曲家がビルマのインパール作戦を慰問に行くエピソードでした。
実際にも、火野葦平や向井潤吉とビルマに慰問に行き、古関さん以外の二人は戦地に行き、その時の火野さんのメモや向井さんのスケッチが「インパール作戦従軍記」にまとめられています。
以前、先祖調べをしていた時に、遠い遠い親戚の男兄弟二人が、ビルマと硫黄島で戦死していました。
せめてどんな状況だったか調べてみようといくつかの体験者の記録をいくつか読んだ一冊が火野葦平の本でした。

朝ドラは来週からは戦後の新しい展開を迎えていくと思います。
疲弊した社会で音楽がどのような力を発揮するのか。楽しみにしています。

似島

似島の國田鍼灸院の國田さんが、昨年似島ではじめての民泊「くにへいハウス」を開業されたので、やっと泊まりにいくことができました。ちょうど一年前に申請の相談があって、お話を聞いたり、建物の実測図を作ったりして、秋に無事開業。
開業したら泊まりに行こうと思っていたら新型コロナの流行で、今の時期になってしまいました。

似島に最初に行ったのは20年近く前。1万トンバースで知人と音楽のイベントをやったときに、ちょうどクリスマス時期だったので収益金をどこかに寄付しようとなり、目の前の島に児童養護施設があるから絵本と図書券を買って持って行こうとなりました。
児童養護施設について少し知ることができたことは、何よりの収穫でした。

その後、民泊の調査で二度目、今回は三度目で初めて観光という目的の上陸になります。
似島港の前には、ウエルカム似島という案内所があり、情報提供やレンタサイクル、釣竿のレンタル、バームクーヘンの体験などができます。
くにへいハウスは、港から右に向かって徒歩3分くらいのところにあります。

島を一周する道路を進むときれいな砂を整えているビーチや、再生の作業中の元キャンプ場があり、山をくりぬいてる元軍用トンネルもあります。
似島港の裏側に、日清戦争後の元検疫所、日露戦争後の捕虜収容所の跡地。現在の学校や少年自然の家、似島学園などがあります。
似島学園の庭には後藤新平の銅像があります。島の二箇所目。
日本の歴史上最も優れた行政マンの5本指に入るような人物。

鍼灸では、長年の腰の問題の原因をピタリと指摘してもらい、その後、アドバイスしてもらったストレッチを続けて調子良くなっています。
現役のバスケの選手兼監督でもあり、とてもすっきりした治療と納得できる説明をしてもらえました。

広島湾で二つ目の遊べる島。
というキャッチフレーズを流行らせたいのですがいかがでしょうか?
フェリーで20分の島の民泊に泊まって、島をサイクリングしたり、山に登ったり、ビーチで遊んだりした後に、鍼灸の治療を受けてリフレッシュできるのはなかなかいい遊び方だと思います。

瀬戸内の島

お盆に祖父母や先祖のお墓参りに行ってきました。
とびしま街道を渡って愛媛県の小さな離島へ。
陸路は広島県とつながっていますが、生活の軸は四国の一部として機能しています。

子供の頃、盆踊りで賑わった神社はひっそりと駐車場になっています。
祀られているのは大三島の大山祇神社の大山津見神の娘である木花之佐久夜毘売です。富士山の御神体と同じ。
島の裏側には、大崎上島と向かい合っていて、西方面から大三島に向かう水道を構成しています。その水道に面した岬に前方後円墳があります。

空き家となった祖父母の家はもちろん、集落の多くに生活の兆しは失われています。
子供の頃から年に何度も遊びに行っていた集落を歩くと、当時の顔見知りのおばあさんたちの声や笑顔が目に浮かびます。
何軒かの家から生活の音が聞こえてくると、ほっと喜びがこみあげてきます。

それでも島の若手の人たちは、ブランド鯖や、柑橘類の加工食材を活用したチャレンジをして未来につなげる努力をしています。
昔の記憶を大切に思うかぎり、今後も足を運び続けたいと思いました。

式場隆三郎:脳室反射鏡

現代美術館の式場隆三郎展に行ってきました。
新型コロナ蔓延の影響で、三密回避の注意があったのですが、幸い鑑賞者が多くないので入場は規制されるわけでもないのにソーシャルディスタンスは確保できるという幸運な状況です。

特に予習もせずに行ったので、式場さんのことを知りながら展示を巡る感じでちょうどよかったです。

式場隆三郎さんは1898年新潟生まれの精神科医。アルヴァ・アアルトや尾崎士郎、井伏鱒二、周恩来、ヘンリー・ムーア、田畑政治と同い年です。

戦前に日本にゴッホを紹介し、全国の様々な施設で展覧会を行ったりしています。
柳宗悦との交流も深く、長く密接な関係を続けているようです。
自邸の設計は濱田庄司に加えて柳宗悦の名前もあります。

その後、美術と精神の分野での活動が甚だしく、「裸の大将」の山下清を世に出したりしています。ドキュメンタリーや映画化などにも協力も。
草間彌生が最初に展覧会をしたことにも支援しています。

今でこそアウトサイダー・アートという分野が確立していますが、戦前からそうした文脈で様々な活動をしていたというのは驚くほかありません。
「二笑亭奇譚」がうちの書棚にあったので、二笑亭という変わった建物を紹介した人という認識が大きく崩れます。

柳宗悦の古い著書に「南無阿弥陀仏」という本があります。
民藝を理論化していく上で、親鸞聖人や浄土真宗をベースにしているということがよく分かる本です。
浄土真宗には「妙好人」という人が重い存在として扱われます。

民藝のとっての妙好人が、式場さんにとっての山下清やゴッホだったのでしょう。

柳宗悦と近い位置で精神と美術の関係の文筆活動もしつつ、しっかりゴッホグッズをプロデュースしてたり、戦後は、公爵サドの翻訳をして発禁になったりカストリ雑誌で人気ライターだったり、どんなひとだったのかもっと深く知りたくなりました。
著書がほとんど絶版になっているのが残念です。

常設展では、草間彌生さんの作品も複数出展されています。