一つになった集団の強さ

比嘉がやってくれました。
U23のチームで、ムードメーカーだった比嘉。
新しい選手が加入すると、監督は必ず比嘉と同部屋にしていたそうです。
それまでの人生で、誰にも負けたことのないような連中が集まる代表チームなので、相性や個性の問題もあるもの。特に、2年ごとの大会のU21W杯チームの2大会チームが合流する五輪チームは、昔から融合は課題でした。
その難しい課題を解決してきた比嘉の力は誰もが認める大きなものだったようです。
とはいっても、なんてことはなく、新しい選手やややこしい選手をひたすらいじっていじっていじり倒す・・・ということだっただけですが。
その比嘉が五輪メンバーから外れた時、チームがどうなるんだろう?と先ずそっちが心配になりました。
長い期間一緒に暮らして短い間隔で試合を続けていくので、オフ・ザ・ピッチが特に重要になります。
それを失敗してしまったのがドイツW杯。

しかし、比嘉がやってくれました。
自分が参加できない五輪チームのために、いじりDVDを作成し、選手に託していたのです。

長年参加していて、出場権を獲得した五輪に参加できなかったということは、悔しかったと思います。
それを素直に表現した選手もいましたし、出場する選手にエールを送る選手もいました。
しかし、自分にできる最大の能力を活用して、選ばれなかったチームのために活動した選手は初めてじゃないでしょうか。

スペイン戦の驚異的な集中力や、驚異的ながんばりの理由はなぜなのか?
勝った時の大津の涙の理由は?
いろいろ疑問符のついた五輪初戦でしたが、これで腑に落ちました。
ここまでやってくれた比嘉に報いるためには、選ばれた選手は全力を尽くすしかないでしょう。
美しい心の持つ力を感じることができた小さなニュースでした。

コレクティブな守備

昨日、ロンドン五輪の開会式より前に始まったフットボール男子の予選リーグ第一戦がありました。
相手は優勝候補と誰もが認めるスペイン。
結果は、ご存知の通り日本が1-0で勝利しました。

このチームは、攻撃にムラがあり、OA選手を入れるまでは、守備にも課題がありました。
いい選手はいるのですが、どこか期待が薄いチームでした。
先日の、トゥーロン国際大会でも、オランダに勝ちながらも、エジプト等に負けて、予選敗退をしていました。

試合が始まった瞬間から、ボールを保持する事はあきらめて、ボールを保持する相手と、パスの出し手に対してチェックに行きます。
パスミスを誘発したり、インターセプトしたりしてボールを奪うと、数人でパス交換をしながらゴールへと向かいます。
従来、攻撃的な戦術と言えば、スペイン代表や日本代表、FCバルセロナやサンフレッチェのように、ポゼッション率を高めてショートパスをつないで相手を崩すサッカー。
守備的な戦術と言えば、一人を前線に残して自陣に引きこもってスペースを消すもの。攻撃は、ロングパス一本。
しかし、この日の日本は、決して自陣に引きこもる事無く、しかし自らがボールを保持する事はあきらめる。攻撃はロングパス一本ではなく、ショートパスをつないで相手を崩しながら・・・
という戦術でした。
攻撃的なチームが、超守備的戦術をとったというケースで、なかなか見る事ができない試合です。なぜなら、前線からチェイスすることを90分間維持する事はほぼ不可能だからです。
試合が始まった当初、途中でガス欠になって、自陣に引きこもるか、逆カウンターを食らうか・・・と心配していましたが杞憂でした。
90分間、集中力を切らさず、しっかり連動性を維持し、守備と攻撃を行いました。
後半シュートの正確さを失っていましたが、あれだけ走れば、シュートの余力は残ってなかったでしょう。セットプレー以外で点が入らなかったのは、攻撃要員を温存するという発想が無く、全員守備要員としてフルに動いたからでしょう。

これまで、スペインやFCバルサ対策がいろいろとられてきました。日本でもサンフレッチェ対策がいろいろとられてきました。
おそらく、こうした対策でもっともよくはまったのが昨日の日本代表の戦術だったと思います。
しかし、誰もができる戦術ではありません。攻撃的なチームのみができる超守備的戦術だと思います。
つまり、自陣のゴールを守る戦術ではなく、ボールを奪って攻撃するために守備をする戦術だから。

ここまで徹底した監督や選手に敬意を表したい。
しかし、もしも決勝で再びスペインとぶつかったら・・・・惨敗してもいいからガチンコでやってほしい。

コレクティブなメッシ

2011年12月18日は、ある一つのことを世界が認めた日になったと思います。
FCバルセロナは団体で争う球技の一つの理想を実現しているということを。

その中継や報道に違和感を持った人が多いようです。とにかく「メッシVSネイマール」を連呼しすぎ。
余計な音声なく見た人は、もちろんメッシ個人のプレーに魅了されたと思いますが、もっと重要なことに心を奪われたはずです。
11人の選手たちが、メンバーが変わっても同じクオリティのプレーができたこと。
言葉を交わす必要もなく、美しい白鳥の群れのように全体が一つの意識で行動し、結果を出すということ。
個人が全体と調和し、全体が個人の主張を活かす。理想的な個人と組織のあり方を目の当たりにしたという感じです。
メッシの代わりに他の選手が入ったとしてもその関係性にはなんら変化はなかったと思います。
決勝ではおそらく一番ボールを扱った数が多いシャビも、準決勝では温存されていたために、その役割をイニエスタが果たしていましたが、十分な活躍を見せていたと思います。結果もどちらも4-0。
恐らく、現代のサッカーで、かつてのマラドーナや釜本のように圧倒的な存在感の個人が組織を率いるという形が主流を占めるということは無いのではないかと思います。
圧倒的な個人の力を持った選手も、組織全体のために守備や連携を怠るようでは勝てない。そういう時代であるということを改めて示したと思います。

21世紀はいかなる時代か?あと90年近く残ってる今世紀を現時点で予測することは愚かなことだとは思います。
1911年に20世紀を予測することがいかに難しかったかを考えればよくわかります。
しかし、前世紀とここ10年余りの時間を比較してみると大きな違いが見えてきます。
20世紀が始まったのは、日露戦争と第一次大戦の間の時期。機械の力が社会全体に行き渡り、人間の肉体を凌駕し始めた時代です。
坂の上の雲でも描かれた満洲の要塞や平原での機械と肉体のぶつかり合いは、その10年後の欧州でその100倍の規模で行われます。第二次大戦は更にその5倍。
機械や科学と向き合った人間が、社会を組織化し、巨大化すると同時に、人間個人を育んできた時代だと思います。
スポーツや芸術、文学の世界でも、政治や経済の世界でも、巨大な個人が組織を作り、それを牽引することで大きな成果を生み出してきました。ヒーローは個人であり、個人が産み出した組織だったわけです。
しかし現在はどうでしょう。
今年の国民栄誉賞は澤穂希ではなくなでしこジャパン。今年3月に世界が英雄として讃えたのはFukushima50でした。
個人と個人をつなぐ通信の技術が向上すると同時に、前世紀の遺物であるマスメディアの必要性は限定的になっています。
前世紀はピラミッド構造で組織をつくり、上から下に下ろすか、下から上に上げるしか上方の流通がなかったのが、現在は個と個を縦横無尽につなぐ経路が次第に太くなってきています。
国-県-市-地域-家族-個人という社会の構造も、上下の関係ではなく、同じ空間上で距離感もなく共存するそんな認識にあると思います。

そうした組織と個人のあり方は今後はさらに流動化し、新しい着地点をみんなで探していくことになると思います。
行政機構だけでなく、企業や町内会、家族や友人関係なども、過去数十年でまるっきり変わったように、今後数十年でまるっきり変わると思います。
どう変わるのか?
すでにそのモデルを成功例で示している組織があります。それがFCバルセロナだと思うのです。
一にして全、全にして一。
高いレベルで個人と組織が連動するコレクティブな組織が結果を出した。未来の僕達のコミュニティのあり方を示してくれる素晴らしい一夜だったと思います。
とあえずFCバルサのような町内会を目指したい。

ペトロビッチ監督 退任

昨日、広島のペトロビッチ監督の契約満了による退任が発表されました。
一つの幸せな時代が終わるという感じです。
6シーズンもの間、広島という地で高いレベルのサッカーを目指したいい仕事をしてくれたと思います。
永久に監督をやってくれれば・・・と思っていましたが。
去年辺りに、クラブの強化担当者がマンネリが怖いと言っていましたので、今年結果がでなければ監督交代かなと思っていたので、悪い予感が的中という感じです。

2006年に最下位の状況で就任しました。
丁度、ドイツワールドカップのJリーグ中断期間です。
代表はジーコ監督。広島は小野監督でした。
小野監督は優勝を狙って戦術を大きく変えてきました。中盤をフラットに4枚並べる4-4-2です。
これが全然機能しなくて最下位を独走してた状況。
この時、広島が最初に交渉したのが、鹿島を辞めたトニーニョ・セレーゾでした。彼はコーチも含めた複数のスタッフ込の莫大なギャラを要求したので話は流れました。
そこで面識があったペトロビッチに会って即契約という流れになりましたが、まさかこんなサッカーをするとは思っていなかったと思います。

そしてジーコジャパンがドイツで惨敗し、代表監督がオシムに代わりました。
ペトロビッチはユーゴ代表でもオーストリアのクラブでもオシムと一緒に仕事をしたこともあり、オシムの弟分ということで、時代を先取りしたような人事に期待も高まりました。
最下位だった広島を短期間に鍛えあげて、その後だけをカウントすると、二位くらいの成績でした。快進撃でした。
超攻撃的なサッカーなので、大量得点かつ大量失点というのも十分ありな戦術ですので、負けたとしても清々するような内容でしたが、チーム内の色々な崩れからJ2に降格します。
とにかく頑固。絶対に他人の言うことは聞かないという感じに見えました。
しかし選手に対する愛情は深く、不快信頼感で結ばれていました。
槙野、柏木は去っていった後でも、師弟としての心の絆は続いてるようです。

そして天皇杯準優勝、ゼロックススーパーカップ獲得、J2で快進撃をして、2009年には4位となって、翌年のアジアチャンピオンズリーグに出場します。
この年のサッカーが一番面白かったですね。
そしてACLを戦った2010、優勝を目指しつつ中途で上がりきれなかった2011。

2010あたりから、守備のスタイルが変わったことが、かつてのような大量得点を生むサッカーができなくなったように思います。2010年は故障者が激増して、守備的局面ではボール奪取をせず5バックでスペースを埋める戦術にしていましたが、ベストメンバーでも今年は5バック&カウンターの戦術をとっていました。
攻撃時の運動量が増加し、最後の所で力尽きる場面が増えましたし、人数はいるのに無駄な失点を重ねる場面も多くなりました。
確かにマンネリと言われても仕方がなかったかもしれません。
しかし、こんな素晴らしい人物の次に誰がやれるのだろう?と素直に思います。
ペトロビッチを慕う選手たちをつなぎとめるためにも、ペトロビッチ以上の人物を選んで欲しいものです。

残りリーグ戦3試合と天皇杯。
これから、なんとか新しい局面を切り開いて最後にペトロビッチ監督への贈り物として欲しいです。