梶川泰司さん

バックミンスター・フラー最後の?弟子である梶川泰司さんが広島に帰ってきているようです。
広島出身で、一時期広島にシナジェティックス研究所を設立されていたけど、一昨年より高野町にお住まいのようです。
随分前から気になっている方です。
一度たずねていってみたい。が、読みかけの本を読まなきゃ。

中国新聞地域ニュース「ふるさと村高暮」にネット茶屋 広島県庄原市

ITで過疎地に元気を/数学者梶川さん夫妻

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梶川さんの翻訳や著作

ふるさと村高暮

The Buckminster Fuller Institute

うしぶか海彩館

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天草下島の最南端牛深市のハイヤ大橋のたもとにうしぶか海彩館は建っている。
設計は内藤廣

木と鉄による軽々とした屋根を、工場でつくられたコンクリート製のパーツを組み合わせた構造体が支えている。
牛深は、魚を食べるか釣りをすることが目的の観光客が多い町なので、ここが牛深観光の拠点となっている。中には、鯛の群が泳ぐ生簀があり、鮮魚、干物、練り物、民芸品の店が並んでいる。
二階には昔の漁船を展示したコーナーもある。
大きな屋根の下に、小部屋が点在する空間は、魚市場のようでもあって土地になじんだ非常に気持ちのいい空間となっている。
建築から8年経っているが、すっかりと漁港の町にとけ込んでいて、派手な展示物や張り紙に全然負けていない。ハイヤ大橋は、「関空を設計したレンゾ・ピアノ氏による設計の・・・」という説明が付いて廻るが、海彩館は地元最大の観光施設として前置き無く呼ばれている。

この建物は、そのように利用されるべきであったし、それに120%応える設計となっている。
建築は、建築としての成果を誇示するだけがその存在意義というのでは寂しすぎる。
その建築が、作家としての作品であることを、利用者が意識することなく利用され、その建築ならではの空間やそこでの活動が人や地域に大いに貢献する。これも建築の存在意義としては非常に大きい。

この柔軟で力強い空間は、骨格を明確であること、そして構成する様々な要素を無理に隠蔽することなく整理し表に出していること。それによって将来付加されるであろう俗な要素を快く受け入れる空間となっている。

新築時が最高の状態となる建築が多いなかで、新築から8年後の海彩館が牛深の町でしたたかに微笑んでいる姿は、町と建築の理想的な姿に思える。イスラムの町には、必ずモスク(聖/垂直)とバザール(俗/水平)が中心にある。ここではハイヤ大橋がモスクで、海彩館がバザールの役なのだろう。
10年後に又来てみたい。

ハイヤ大橋:レンゾ・ピアノ

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天草下島の最南端。東シナ海の海流から見たら最先端の町。牛深は魚で有名な町です。
僕が生まれ育った瀬戸内の海沿いの町に漂う潮と魚と漁船の香りがしっかりあるどころか、こちらが本家本元かな?という気になります。
弥生時代初期から中国南部の海洋民族が、大量に日本に移住し、弥生人となったそうですが、先ず船を停泊させて、一息ついたところかな?という気になりました。

この町に来たのは、レンゾ・ピアノのハイヤ大橋を見ることが大きな目的でした。
ピアノは、僕が一番尊敬する建築家の一人です。

ハイヤ大橋は、牛深湾の空中を横切る非常にスリムな橋です。
一見装飾に見える橋の横にある湾曲した板は、横風を防ぐ機能を持ったものです。
構造体のスリム化、軽量化が図ることを目的としたものでしょうか?

美しい自然に、シンプルな建築や構造物があると、それなりに映えるものですが、この橋は日本の他の橋とは比べることができないほどの完成度で成立しています。

遠方までの広い範囲の空間を支配する完成度の高い建築。
コルビュジェは若い頃アテネのパルテノン神殿を観て、そんな感想を持ったそうですが、この橋も今でも天草という広い島の空間体験において非常に影響力を持って僕の記憶の中にあります。

黄土入り漆喰素人仕上げ

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先週の日曜日、ついに漆喰の仕上が完成しました。
初日がマスキングと下地処理。
二日目が漆喰の下塗り。
最終日が仕上の漆喰塗りという工程でした。

今回はお施主さんの希望により、仕上用のタナクリームに、黄土と麻のすさを混入してみました。
黄土は粘土粉ともいうべき黄色い細かい粉状の土で、麻のすさは富士すさという商品名の麻の繊維です。
仕上がりは、漆喰のクリーミーなテクスチャに微妙な黄色い色ムラと、麻の繊維の感じがうまく出ていて、非常に綺麗な壁になりました。
場所ごとにコテのタッチに差があるのも又面白い。

今後も是非やりたい仕上です。