興居台南

台南の二泊目と三泊目は、宿を変えることにしていました。
正興街から西門のロータリーに徒歩3分くらいの距離。西門路と民権路の交差点から三軒目。
この西門路は、かつて台南市を囲っていた城壁の跡。タモリさんが好きそうな。。。
西門は、その城壁の西門だったのです。
城壁の外から内に引っ越したのです。
気のせいか落ち着いた雰囲気です。

この興居台南は、4階建の日本統治時代1934年竣工の建築をホテルにリノベーションしたもの。
設計者は日本人だったようなのです。
東京帝国大学出身だったそうです。
帝大建築の卒業生リストを調べているのですが、当時台湾にいて、台南にゆかりのある人物はかなり限られています。
当時は、林百貨や、台南駅の竣工が相次いだ時期。
この興居台南となった建築は、林百貨の次に台南で高い建物だったようです。
あいにく、林百貨のある地区と、この建物がある地区は、日本人による開発が進んだ地区だったようで、終戦前の空襲で激しく破壊され、この建物の隣までの建物は倒壊したようです。

この建物が建つ前後は、死者が出るような地震が相次いだ時期だったようで、当時の日本人建築家によるレポートも記録に残っています。
そうした時期に、4階建のRC建築を建た建築主も、建築家もそれなりの人物だったと思います。

1階には、広いロビーとラウンジ。
2〜4階に5〜6室の宿泊室。大きな吹抜に回廊がまわり、その奥にオーナー夫妻のプライベートスペースが有ります。

オーナーは、骨董好きなこともあって、古い建築を本来の魅力を活かす形での修繕を行っています。
古建築の改修の勉強に、京都には3回、欧州の複数の国を廻ったと言っていました。
台南に多くあるリノベーションしたカフェや宿は、基本的には現代の若者風の改装をしているものばかりです。
良く言えばおしゃれ、悪く言えば子供っぽい。
そういう意味では、ここは全体が一つの空間として整っていると思います。

正興珈琲館

初日泊まった宿は、若い人たちに人気の正興街の中心的なカフェ正興珈琲館の経営する三室だけの宿でした。
カフェも宿も、古い建築をうまく改装しています。
妻壁は煉瓦造で、その並行する壁に、丸太をかけて、屋根を構成するのが当時の建築の標準的な工法です。
カフェは、その煉瓦の壁と屋根をうまく見せると同時に、内部の木製建具などをうまく使っています。

宿は、一階に一室。泊まった二階にはロフトがあり、三階と四階が連続した客室になっているようです。
二階には、床をすのことしたバスコニーがあり、半透明の樹脂の腰壁と、三面サッシュ、天井=屋根も樹脂+すだれ。という開放的なつくり。10帖くらいあります。
浴槽と便器が奥にあり、街の景色と向き合う一面にはベンチがつくられていますから、ビールでも飲みながらゆっくりするにはとても気持ちがいい場所となっています。

一階のライブラリーも、気持よくつくられていますが、風通しが悪そうなので真夏は大変な暑さになりそう。
近所に魅力的な店が色いろあるのですが、時間がないのと、お腹が空かないこともあって、行けずに残念。

台湾の原点 安平

台南市の海に近い郊外にある安平区は、オランダが要塞をつくり、そのあたりの地名から台湾という名前にも発展した町です。
台南市の一つの郊外のエリアかと思っていましたが、行ってみると一つの独立した町という印象でした。
安平にオランダが拠点を作り、その運営のためにオランダが清本土から人を移住させて、いわゆる城下町をつくったのです。
米国に例えると、英国人の最初の入植地のようなものでしょう。
そのせいか、観光客も非常に多かったです。

安平の中心となっている旧ゼーランディア城は、明→清→日本→中華民国と主が代わり、形状や規模も変わり、安平古堡として観光地になっています。
オランダが作ったレンガの城壁は、一部が残っていましたが、焼成温度が高かったようで、存在感を保っていました。
台湾が、長く大陸や、欧州の上陸を許さなかったのは、原住民にたくさんの種族があり、それぞれが好戦的で、かつ統一されることがない状況が続いたことが原因でしょう。
日本でも、倭国の大乱と言われる時期があり、魏志倭人伝に記載されていますが、大和朝廷が成立し、統一王朝が中心となって、外交や徴税や行政、防衛を行って、発展してきました。
日本の歴史に例えると、弥生時代が江戸初期まで続いて、そこにいきなりペリーが来た。その要塞を藤原純友が包囲して追っ払ったという感じですね。
そういう歴史的な決定的な舞台が、ここ安平だったのです。

当時の城下町は、オランダが火災を防ぐために煉瓦造としたために、建物は残り、安平老街として雰囲気は残っています。
カフェやショップなどに活用されつつあり、今後更に魅力を増していくと思います。

美食とリノベーションの街 台南

去年、台北に20年ぶりに行って、宜蘭と台南にも行ってきました。
台湾は小さな国でありながら、建築など文化に対する意識も高く、国民性もいい。人柄もよく、食べるものも美味しい。
漢民族の国はいくつかありますが、唯一の民主的な国です。元首は女性の蔡英文さん。魅力的な人物です。
なぜ台湾は、こんなにいい国で、こんなにいい人たちなのか?
もっと台湾を知りたくて、台湾の原点というべき台南に4日ほど行ってきました。

台湾は、日本統治時代の建築をリノベーションして、文化施設や、商業施設として活用するのが活発化しています。
寿司屋やラーメン屋は珍しくありません。日本が大好きなんでしょう。
台南は旧市街には新しい建築が建つこともすくないせいか、特にリノベーションが盛んに行われているように思います。
そして、台南といえば美食。
一青妙さんなど多くの日本人が、伝道者として多くの店を紹介しています。
どこも、地元の人達に長く愛されている店。

台南は古都と言われていますが、長く原住民だけが住む島でした。
日本からも、豊臣秀吉や徳川家康が貿易のための使者を送っても、要領を得ず手ぶらで帰国してきています。
オランダが、安平(台南)に要塞を築き始めるのは、日本では大阪夏の陣と島原の乱の間くらいの時期。
メイフラワー号が北米大陸に到着したのもその時期なので、アメリカと同じくらいの開拓の歴史とイメージすればわかりやすいです。

初日夕方に、台南の市内に到着し、かつての城壁の後に道路となった西門路を北に向かう。
繊維店が多い西門市場に隣接する正興街が目的地。
その正興街は台湾の若い人たちに人気の店ができている街です。
その入口あたりにある正興珈琲店が初日の宿でした。
荷物をおいて、正興街、神農街をぶらぶらして、康楽街牛肉湯を食べて、台南最大の花園夜市。

二日目は、早起きして盛牛肉湯、国華街で朝食。
二日目からは、興居台南に宿を変えます。
その後台南市内をぶらぶら。
夕食は阿霞飯店で蟹おこわ。

三日目は、朝早くから安平へ。
安平で丸一日
夕食は筑馨居。

最終日は、国華街で朝食、水仙宮市場でぶらぶら。
買い物しながら駅に向かって帰国

というコースでした。
非常に充実した4日でした。