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昨日、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で、伊東豊雄さんが取り上げられていました。
ピントが外れることも時々ある番組ですが、今回は伊東さんの魅力をうまく表現できていたと思います。
伊東さんは、設計した仙台メディアテークあたりから作風に変化が有り、それを現在まで貫いている。明確な成功例の無い新しい建築を、模索しながら生み出している、、、、という感じでした。
伊東さんが建築によって生み出そうとしているものは、お花見の時のストライプの幕のように、最小限の建築的(人為的)要素で生き生きとした場をつくろうというものです。
これまでは、建築を軽く、透明にし、内部にいながら外部にいるかのような視覚的、感覚的意識を作ろうというものでした。日本の伝統的な空間づくりの作法であると同時に、鉄とガラスと空調技術によって現在でも力技でできるものです。しかし、どこまで軽くしても、どこまで軽く見せても、逆に自然と相反する要素が目に付くばかりで、外の自然と一体化できない、、、というジレンマはあったと思います。
仙台メディアテークでは、構造体が別の機能の要素(情報や設備、EVなど)と一体化し、建築の構造体に感じられない配慮がされています。建築だけを写真に撮ると、当初想定したよりも構造体がごつく感じられるのですが、利用する人の心理とすれば、構造体が親しみやすい要素として結果的に気にならない存在となっているのでしょう。
その後、伊東さんは古典的な構造のフォルムや、近代のフォルムを使ってみながら、空間を生み出す構造体が気配と一体となる形を模索します。
今回の番組のその一環で、一つのピースが大きな多面体の連続で大空間を作ってみようということでした。
着実に、自分の世界を鮮明にしているようで、今後の展開も興味深いですね。

そうした、気にならない構造体による場(place)の創出、、、については、伊東さん本人も触れていましたが、大先輩が人生の最後に到達し、存命中は完成し切れず、現在も建設が続いているものがあります。
ガウディのサグラダファミリアです。
特に若い時代の作品に石による装飾が目に付くので、装飾を主たる目的とした異端の建築家だと思われがちですが、サグラダファミリアに集中する為に中断したグエル教会堂のかろうじて出来ている地下礼拝堂に、ガウディ晩年の世界観が表現されています。
石で作られている建築なので、当然構造体の存在感が非常に大きいです。しかし、深い森や大きな洞窟、山の岩壁のような大きな存在であっても、人為的な構造体であると言う主張をせず、そこに長くいることを飽きさせない場(place)に仕上がっています。内部空間は出来ていませんが、サグラダファミリアもその延長線上に構想されていたはずです。
長いモダニズムの時代に世界の建築様式は大きく変わりましたが、構造計算の技術の向上が、石と石工だけでしかつくり得なかったものが、やっと日の目を見る時代になってきたと言うことでしょう。

建築単体が生み出す「空間」が20世紀の建築のテーマだったと思いますが、今後は建築によって発生する「場」がテーマになると言うことだと思います。

石山修武 「建築がみる夢」

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http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2008/0803/index.html

日曜日の新日曜美術館で石山さんを取り上げていましたね。
プノンペンのひろしまハウスをメインにしてたようで、映像も見れてよかったです。
建築というものは、大きなエネルギーが必要なもので、構想から完成までの長い期間、大きな力が必要になってきます。
石山さんは、その建築を産み出すまでのエネルギーを受け止めて、物語に編集するまでの力が特に優れていると思います。
一般社会で声が大きく、力があまりぎみの人たちの溢れんばかりのエネルギーを受け止めて、兆発し、さらにかき立てながら、建築へ(又は未完の建築へ)とじわりじわりとにじり寄ったり、追いつめたりと言う感じです。

山に登ってばかりだった石山さんが建築に開眼したのは、豊橋に住んでいた川合健二さんに出会ってから。
川合さんはとんでもない仙人で、時代の先の先の先を実践していたような人でした。
その川合さんのやり方と、石山さん自身の生命力が掛け合わされて、今のスタイルになったのでしょうね。
石山さんの建築は、建築そのもの以上に、そのプロセスや、建築が建った後のエピソードの方が無茶苦茶面白いです。
僕も、豊橋にいた時に、代表作の幻庵での宴に参加させてもらったことありましたが、面白かったですね。
もちろん、建築という触媒が無いと、そういう面白いものも世に現れないのですが、、、、

ガウディ

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先日、世界平和大聖堂で外尾悦郎さんの講演会がありました。
外尾さんは、30年以上バルセロナのサグラダファミリアの彫刻家として聖堂の建設に大いに活躍してきた方です。
講演は、カソリックの教会の信者さんを対象にしていたようなので、建築や彫刻を通して感じた事、生きて会う事は無かったガウディと仕事を通して触れ合ったことなど、人が文化的に生きるというあたりの話でした。
非常に興味深い話でした。

僕は、去年の冬にバルセロナには一週間ほど滞在して、いくつかのガウディの建築を観る事が出来ました。
日本で得ていた情報や、先入観を打ち砕くいくつかの発見?もありました。
それまでは、ガウディは、強烈に個性的な造形や空間を生み出した人物でしたが、それに続く人はいなく、後のモダニズムに覆い隠されるように、歴史上の人物になってしまった・・・という印象を持っていました。
確かに、初期〜中期の作品は彫刻的な建築が多く、多くの新しい挑戦を試みてはいますが、独創的な建築家の個人的表現というものだったように思います。
しかし、サグラダファミリアの生誕の門を上から下まで見て回って、工事中の内部空間を堪能してみると、どうもガウディという人物がやろうとしていた(る)事は、単なる造形じゃないように思えてきました。
それが何なのかははっきりしないまま、翌日、グエル教会の地下礼拝堂にいきました。グエル教会は、ガウディがサグラダファミリアの二代目建築家に就任したため、建設が中断され、地下礼拝堂だけできあがっているというものです。
サグラダファミリアの直前にやった仕事なので、一部とはいえ完成している最後の仕事と言えるかもしれません。
決して重苦しくなく、構造と装飾が一体となった非常に清々しい建築でした。
ガウディは、単なる装飾家ではなく、装飾と構造が一体となった新しいシステムの開拓を目指していたのだろうと思います。
当時はゴシックが行くとこまで行ってしまって、重苦しく、過剰な装飾が醜悪な域にまで達していました。
鉄筋コンクリートが建築の主要構造部として使える状況でもない。
後のモダニストが、装飾と構造を分離する事で新しいシステムを生み出した事とまるで違うアプローチだったわけです。
しかし、その困難な建築は、手仕事でしか成し遂げられませんでしたが、現代ではコンピュータのおかげで、ガウディが目指した建築が再び時代の最先端となろうとしているように思えます。
カラトラヴァフランク・ゲーリーレンゾ・ピアノなどは、時代は違えど、見ている方向は比較的近い人たちではないかと思うのです。
ガウディは過去の人ではなく、これから我々が地球や環境の中に建築を生み出す上で一つの道しるべとして大きな仕事をした人だというのが、僕の感想です。

うどん>エルネスト・ネト>うどん>若冲>観音寺>西条

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先週末、讃岐界隈に行ってきました。
先ずは丸亀の中村うどん。柔らかめの麺で美味しかったです。
次に猪熊美術館のエルネスト・ネト展。
ブラジル人の作家で、布の天幕で作られた曲面の空間に、さまざまな布とクッションによるオブジェ。
一度に入場できる人数は制限され、靴を脱いで体験する仕組みです。
基本的には寝転がるという感じですが、いじったり、かぶったり、転がしたりと言うものもいろいろあります。
天幕は上から吊られていますが、香料(クローブ、ターメリック)を入れたバッグが重り代わりになっています。
なかなか面白い作品でした。

それから、山下うどんに寄って、金比羅さんに向かいました。

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金比羅さんは、30年ぶりになります。
今回は、あちこち巡回してる若冲などの襖絵が、書院のそのままの状態で見れると言うこと。
公開するのは初めてじゃないかということです。
門前町はかなり停滞している感じです。特にアーケードの中は、美味しい和菓子屋さんを除けば、薄暗い感じ。なんとかなればいいなと思いつつ、参道を進むと、さすがに上り口のあたりは賑わっています。

若冲の襖絵のある部屋は、書院の上段がいわゆる若冲の間で、一面花だらけです。
今は金粉を振ってる絵になっていますが、当時は白い紙に描かれていたようです。なかなかイメージできないですが、身が引き締まるような空間だったと思います。
1月末までなので、是非お奨めします。

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翌日、観音寺と西条の光明寺(設計:安藤忠雄)と、民芸館(設計:浦辺鎮太郎)に寄って帰ってきました。
光明寺はプロポーションは微妙でしたが、綺麗に維持されている面白いお寺でした。
ここは浄土真宗なのですが、水をうまく活かしていて多少浄土宗っぽさを感じましたが。14時〜16時であれば、中を見せてくれるそうです。
民芸館は、倉敷紡績の工場が西条にある関係で、大原さんが援助して作った民芸館で、かつての松平家の藩庁跡地に建っています。
四国の瀬戸内海側は、永い繁栄と、高度成長期の工業化、そして産業構造の転換に苦しんでるという雰囲気はしますが、逆に古いものが手付かずに残っていますから面白いですね。

現在、田窪恭治が描き進めている椿の襖絵が完成したら、又公開すると思うので、今度はもう少し時間をとって堪能したい。

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