洋裁学校

五日市の古くから親しまれてきた洋裁学校が解体されるようです。
和装の時代から、洋装の時代に移り変わるとき、日本の女性は先ず洋裁を勉強したそうです。
そして、自ら洋服を作って洋装に移り変わっていったそうです。
「カーネーション」でも描かれているように、既製服のバリエーションが十分でなく、流通も十分でなかった時代だったからだと思いますが、実はそれが本来のあり方かもしれません。

ミシンがあれば、自由に表現することができる。
それは楽器や大工道具を習得することと同じような、ものを作ることで自分を表現するわけですが、そこが今に時代には窮屈な状況になってるような気がします。
工場で生産された安価な商品が溢れているので、手でモノを作ることがなかなか経済的に太刀打ち出来ない状況です。

この洋裁学校から椅子を4脚譲り受けてきました。
脚が細く、可愛いフォルムの椅子です。
座面を張り替えて使おうと思ってたけど、綺麗に拭いたら、それはそれで十分我が家にぴったりはまっています。
そこで学ぶことはできませんでしたが、とても素敵だった校長先生のポリシーのようなものをおすそ分けしていただた気分です。

火の魚

NHKの朝の連ドラ「カーネーション」の尾野真千子さん。
腹の座った熱演を毎朝楽しみに観ています。
尾野真千子さんの出演もあと僅かですが、かつてNHK広島で制作されたドラマ「火の魚」が再放送されるようです。
2012年3月3日(土)19:00~19:55

芸予諸島で撮影されたドラマで、非常に印象深いものでした。
主には、江戸時代に風待ち港として瀬戸内でも有数の繁栄をした御手洗で撮影されたようです。
祖父母がその隣の島に住んでたので、子供の頃年に何度も船で通った思い出深いところです。
脚本はカーネーションと同じ渡辺あやさん。

ロケ地

原作は室生犀星。
室生犀星の小説『蜜のあはれ』(1959年)の表紙「金魚の魚拓」の製作をめぐる、室生犀星と装幀家の栃折久美子との物語です。

スティーブ・ジョブズ

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遅ればせながらスティーブ・ジョブズIとIIを読みました。
ウォルター・アイザックソンの素晴らしいノンフィクション文学。翻訳もよかったと思います。
前半は、Appleに馴染みの深い世代なら断片的に知ってることばかりだとは思いますが、丹念な取材で、多くの関係者の証言で実際に起った事象を具体的に浮かび上がらせることに成功しています。

特に、Appleを設立するまでや、スカリーとの確執とApple退社のエピソードは貴重な内容でした。
NeXTの期間の記述が少ないことが残念でしたが、PIXARに関する記述は非常に面白かった。
何でもかんでも口を出すジョブズが、PIXARに関してはクリエイティブな面はそちらを尊重し、事業家としての役割のみ関与したというところ。恐らく、ノーチェックで書くことをウォルター・アイザックソンに依頼したのも、アイザックソンの作家性をそれだけ尊重しているということの現れだったと思います。

テクノロジーとアートを融合させるジャンルとしては、伝統的に建築がその役割を担ってきたと思いますが、ジョブズはコンピュータービジネスとアートを見事に融合させました。
もちろんジョブズは建築も好きだったようですが、この時代にこの場所にこの人物を神が遣わした・・・と言ってもいいと思います。
ミサイル制御技術から始まったシリコンバレーのテクノロジーと禅とカウンターカルチャーとボブディランの結晶がジョブズでありAppleだったと思います。

しかしあの性格のことは最初から最後まで、まさに主題のように書かれています。
最高の作品を作るためだけに、人を怒鳴り、翻弄し、引っ張っていった。それがよく伝わる内容となっています。ジョブズも草葉の陰で満足してると思います。
嘘偽りなく、誤魔化すことなく、等身大の恐るべき巨人を主観を排除して書ききった。なかなかできることじゃなかったと思います。

しかし、恐らく世界でも最も上司にしたくない人物でしょう。
ここまでの人いるかな?と思ったけどさすがにいない。
多少近い人は、、、、

フィリップ・トルシエ、味岡伸太郎、橋下徹、安藤忠雄、近藤等則・・・

あまり考えたくないですが、もしジョブズが日本に生まれてたら・・・

先ず、ジョブズのような人がのびのび活躍できるような社会をつくること。
そこが日本を再生させる上でも必要なことだと思いました。

平清盛 その2

大河ドラマ第一話が終わって、早速世の中がざわざわしてる感じです。

一つは映像表現について。
どこかの自治体の首長が、気に入らなかったようです。
確かに、時代劇よりも映画に近い表現なので、時代劇を期待していた人は多少びっくりしたかもしれません。
ただ、坂の上の雲や龍馬伝あたりからこの路線だったと思います。
地上デジタルに切り替わる時期に、撮影機器がごっそり変わったようで、映像の階調の深みを表現できるようなカメラが導入されたようです。
龍馬伝でもこまかな土埃が舞う空気感が表現できていましたし、小汚い岩崎弥太郎が話題になったと思いますが、恐らくアナログ時代ではそこまでの表現力は無かったと思います。
坂の上の雲も、一切スタジオで撮影してないんじゃないかと思うくらい自然な光のようなグラディエーションや、吹雪や闇が表現できたように思います。
今回は、海賊や平安時代の京の風景を描くところから第一話がスタートしたので、大河ドラマが公共事業かのように勘違いした人がびっくりしたのでしょう。気にせず、今のまま頑張って欲しいものです。
平安時代の風景といえば、今昔物語やそれを元に書かれた芥川龍之介の小説が有名ですが、あんなもんじゃないですね。
京の朝廷や貴族の政治と、温暖化による飢饉が重なった日本が一番しんどい時期でしたので、そこを直視しない限り、東国武士による政権奪取は理解出来ないとは思います。

もう一つは、独特な用語について。
朝廷の中の法皇や上皇、天皇など天皇家が権力を握った時代、それを表現するために王家という言葉を使っています。
恐らくこういう場面で使われるのは初めてだったので違和感があったのですが、そう感じる人は多かったようです。
完全に間違ってるわけでは無いようですが何度聞いても違和感は残ります。王家というとエジプトのスフィンクスが連想されますので。
白河法皇がえらく迫力ある人物に表現されてて、これが教科書で読んだ院政かという感じですが、その前は藤原道長や頼通がそのポジションで権勢を振るってたわけですので、天皇家だけに東国が反発したわけではなく、奈良時代から続く藤原氏を中心とした朝廷の長い長い理不尽な増税や強引な権力の行使があったというところもポイントだと思います。

単なるヒーロー物ではなくて、時代の背景も含めて描こうという意識も感じますし、映像のチャレンジもやってる。
視聴率は悪かったようですが、期待できるスタートだと思います。