平清盛

いよいよ明日から大河ドラマ「平清盛」が始まります。
厳島神社や音戸の瀬戸、瀬戸内の島々にも何かと縁があるので、かなり楽しみにしています。
「ちりとてちん」の脚本家が脚本を書いたようですので、安心はできますが、ここのところの大河は、原作なしでいきなり脚本家が脚本を書くケースは、ハズレが多いのでちょっと心配しています。

唐の時代は朝廷同士の貿易が中心でしたが、大陸では唐が倒れたのちに宋が成立し、特に南部沿岸地方の民間商人が貿易に乗り出した時代。
その経済力を取り込んで国を改革しようとした平清盛のスケールの大きさをいかに描くのか?期待したいです。
特に、近年もグローバルな経済の動きに対して、乗っかるのか?それとも否定して閉ざすのか?議論が激しく起こってる状況ですので、興味深い視点が提示されてたら面白いと思います。

しかし平清盛といえば、日本の歴史上、悪玉として位置づけられています。
巨大な政争に負けた側のトップなので仕方が無いのですが、、、
同じような立場に、蘇我入鹿がいます。
日本史の授業では、中大兄皇子達に暗殺された悪玉という扱いですが、実は大化の改新と言われた数々の改革の多くは蘇我氏が着手していたという説もあります。
蘇我氏を倒した中大兄皇子は、滅亡した百済救済に大軍を出兵し、惨敗した後に天智天皇となって近江に都を遷都します。
この子孫が桓武天皇となって京に遷都するのですが、、、この桓武天皇が桓武平氏のルーツとなりますから、平清盛の先祖。因縁ある関係と言えます。

西の悪玉が平清盛なら、東の悪玉は平将門。こちらも同じく桓武平氏です。
国を新しくしようとして、力尽きた英雄が悪玉として今も土地に伝説を残している。
関東も平将門なくしては語れない歴史の重さがあると思います。
大河ドラマは、一年かけて歴史と文化の蓄積を感じるご当地イベントですから、毛利元就以来の広島が舞台なのでしっかり広島や瀬戸内海の歴史や文化を楽しむ2012年としたい。

新年

あけましておめでとうございます。
旧年中は皆様に大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いします。

大晦日の晩は、近くの大歳神社の年越しのイベントに21時ころから、3時ころまで参加してきました。
年が明けたら、午前は女子サッカーの決勝戦。神戸の圧勝。
初詣から帰ってきたら天皇杯決勝。その後録画していた女子W杯決勝。涙。とサッカー三昧の正月でした。

初詣は、家族と再び大歳神社へ。その後草津八幡宮へ初詣。
草津八幡宮は厳島神社と同じく推古朝時代に多紀理姫を祀ったことから始まったと神社の由来に書いていました。
海を挟んだ向かいにもなる大分県の宇佐から八幡さんがやってきたのはその後のことのようです。
厳島神社は宗像の三女神を祀り、草津八幡宮はそのうちの一人である多紀理姫を祀っています。多紀理姫は日本海海戦の舞台となった玄界灘にある沖の島の神さんです。
推古朝と言えば随に使者を遣わした時期。外国への航路を仕切る宗像一族が中央政府と深い関係を持ち、玄界灘から瀬戸内海に進出してきた時期なのでしょう。
神社は古い港を見下ろす丘の上にあって、広く眺望が開けています。海上交通の拠点としては申し分ない場所の位置しています。
今年の大河ドラマは宮島と縁の深い平清盛が主人公ですが、厳島神社以外の海のルートの歴史を考えてみるいい機会です。
できるかぎり津々浦々に足を運んで、広島の海の文化を感じる年にしたいと思っています。

コレクティブなメッシ

2011年12月18日は、ある一つのことを世界が認めた日になったと思います。
FCバルセロナは団体で争う球技の一つの理想を実現しているということを。

その中継や報道に違和感を持った人が多いようです。とにかく「メッシVSネイマール」を連呼しすぎ。
余計な音声なく見た人は、もちろんメッシ個人のプレーに魅了されたと思いますが、もっと重要なことに心を奪われたはずです。
11人の選手たちが、メンバーが変わっても同じクオリティのプレーができたこと。
言葉を交わす必要もなく、美しい白鳥の群れのように全体が一つの意識で行動し、結果を出すということ。
個人が全体と調和し、全体が個人の主張を活かす。理想的な個人と組織のあり方を目の当たりにしたという感じです。
メッシの代わりに他の選手が入ったとしてもその関係性にはなんら変化はなかったと思います。
決勝ではおそらく一番ボールを扱った数が多いシャビも、準決勝では温存されていたために、その役割をイニエスタが果たしていましたが、十分な活躍を見せていたと思います。結果もどちらも4-0。
恐らく、現代のサッカーで、かつてのマラドーナや釜本のように圧倒的な存在感の個人が組織を率いるという形が主流を占めるということは無いのではないかと思います。
圧倒的な個人の力を持った選手も、組織全体のために守備や連携を怠るようでは勝てない。そういう時代であるということを改めて示したと思います。

21世紀はいかなる時代か?あと90年近く残ってる今世紀を現時点で予測することは愚かなことだとは思います。
1911年に20世紀を予測することがいかに難しかったかを考えればよくわかります。
しかし、前世紀とここ10年余りの時間を比較してみると大きな違いが見えてきます。
20世紀が始まったのは、日露戦争と第一次大戦の間の時期。機械の力が社会全体に行き渡り、人間の肉体を凌駕し始めた時代です。
坂の上の雲でも描かれた満洲の要塞や平原での機械と肉体のぶつかり合いは、その10年後の欧州でその100倍の規模で行われます。第二次大戦は更にその5倍。
機械や科学と向き合った人間が、社会を組織化し、巨大化すると同時に、人間個人を育んできた時代だと思います。
スポーツや芸術、文学の世界でも、政治や経済の世界でも、巨大な個人が組織を作り、それを牽引することで大きな成果を生み出してきました。ヒーローは個人であり、個人が産み出した組織だったわけです。
しかし現在はどうでしょう。
今年の国民栄誉賞は澤穂希ではなくなでしこジャパン。今年3月に世界が英雄として讃えたのはFukushima50でした。
個人と個人をつなぐ通信の技術が向上すると同時に、前世紀の遺物であるマスメディアの必要性は限定的になっています。
前世紀はピラミッド構造で組織をつくり、上から下に下ろすか、下から上に上げるしか上方の流通がなかったのが、現在は個と個を縦横無尽につなぐ経路が次第に太くなってきています。
国-県-市-地域-家族-個人という社会の構造も、上下の関係ではなく、同じ空間上で距離感もなく共存するそんな認識にあると思います。

そうした組織と個人のあり方は今後はさらに流動化し、新しい着地点をみんなで探していくことになると思います。
行政機構だけでなく、企業や町内会、家族や友人関係なども、過去数十年でまるっきり変わったように、今後数十年でまるっきり変わると思います。
どう変わるのか?
すでにそのモデルを成功例で示している組織があります。それがFCバルセロナだと思うのです。
一にして全、全にして一。
高いレベルで個人と組織が連動するコレクティブな組織が結果を出した。未来の僕達のコミュニティのあり方を示してくれる素晴らしい一夜だったと思います。
とあえずFCバルサのような町内会を目指したい。

しりあがり寿

昨日は、現代美術館に「秋山祐徳太子+しりあがり寿 ブリキの方舟」を観に行ってきました。
二人の妙さがだんだん面白さに変わっていく感じで、素直に楽しめました。

ハンバーグ男など、映像も一気に放映してたので、これもしっかり観てしまいました。
子供が喜んでいたのが印象的でしたね。

くだらな面白いものは、反復した体験で面白さが涌き上がってくるものです。
そういう意味では、美術館でこういうくだらな面白いものは不向きかなとも思います。