久々の倉敷

倉敷の大原家旧別邸有隣荘の特別公開で田窪恭治さんが襖絵を描いてるというので観に行ってきました。
いつもの長い長い筆でさらさらっと描いてるもので、不思議な空間を作っていて非常に面白かったですね。
昭和のはじめに建てられ、かつて大原家が住んでいたという有隣荘も、面白い建物でした。
西洋の生活様式と、日本のお座敷を融合させたもので、伊東忠太が監修してるというものです。
富豪の生き方というものを垣間見れたひとときでした。

大原美術館も、本館と民芸館をゆっくり見ることが出来ました。
第一次大戦後から第二次大戦までの間に欧州の絵画市場で作品を大量に買い入れてくるということは、当時の日本の状況を考えるとすごく大きな仕事だったと思うし、その頃のパリは20世紀でも特に面白い局面だったと思います。
美術館のスタッフも、おばあちゃんの一歩手前の大先輩も多く、長く美術館を支えてるという気配が、美術が完全に根付いているという厚みある存在感を感じさせてくれます。
継続は力なりですが、そのためには誇りを持った人が居続けるということを意味してるんだなとも思いました。
民藝のコレクションもよかったですね。
その後、街をぶらぶらして、蟲文庫で本を買って帰りました。

倉敷のような重厚感のある文化都市をつくるためには、巨大な財産が必要かもしれませんが、かといって金があればそれができるわけでもない。
文化が社会に必要なんだと心の底から思う人の時間的、空間的な厚みが必須な気がします。
自分が、自分の生きてる地域の中で何をやっていくのか?という事を改めて考える機会になりました。

謎手本忠臣蔵

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加藤廣さんの歴史小説です。
これまで、桶狭間や本能寺などの様々な歴史上の謎解きをテーマに小説を書いてきましたが、これは忠臣蔵がテーマです。
浅野内匠頭は、なぜ吉良上野介に激怒したのか?
庶民レベルではいくつかの説はありますが、正確な理由は明らかになっていません。
つまり隠されたのではないか?というところがベースになっています。
語り手は、将軍綱吉の側用人柳沢吉保です。
謎解きはまずまずの面白さですが、加藤さんのストーリーの背景にいつも出てくる、関白近衛前久という人物。
足利幕府末期から織田、豊臣、徳川の難しい時代に、朝廷のいわば何でも屋という感じで、武家政権との外交や、裏交渉、陰謀に至るまですべてやった強烈な政治家・・という感じの人だと思います。
本能寺の変を仕掛けたプロデューサーという説も濃厚です。
忠臣蔵でも、近衛前久の子孫がやはり絡んできます。

この近衛前久がらみの人物に、八条宮智仁親王という人物がいます。
こどもが出来なかった豊臣秀吉が、皇族から養子をもらって、豊臣家を相続させるとして候補に上がっていた人物です。
しかし淀君が秀吉との接触のない時期に懐妊。秀頼誕生により養子縁組がご破算になった事件の片方の主人公です。
この智仁親王が作った遊びのための建築が桂離宮です。
そして兄の後陽成天皇が智仁親王を後継にしようとしたが家康に反対され、後陽成天皇の子が後水尾天皇となります。
後陽成天皇の女御で後水尾天皇の母は近衛前久の娘です。
娘の婿が桂離宮を作り、孫が修学院離宮をつくったわけです。
又、老後は銀閣のある慈照寺東求堂で隠居したということですので、ある意味政界と建築界の大プロデューサーだった人かもしれません。

菜の花の沖

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司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読みました。
僕の故郷である川尻の船乗りが出てる・・・という話だったので。
1行ほど出てました。
江戸時代中期に、乗り組んでいた北前船が日本海で漂流し、ロシアに漂着したが、脚気を患って一人早々と日本に返還されたそうです。
その川尻の久蔵は、日本に初めて牛痘を持ち込んだとして、ある筋では有名だそうですが、その牛痘は広島藩に上納され、使われること無くどこかで干からびてしまったそうです。
川尻という小さな町は、弘法大師にゆかりのある野呂山という山があることで多少知られていますが、輩出した有名人というと、この久蔵と、毒オレンジ事件の金平会長の二人しかいません。
この本に出てたのは一行ですが、郷土の先輩がどういう場面でどういう事をしてたのか。なんとなくイメージが湧きました。

この「菜の花の沖」の主人公高田屋嘉兵衛。これを読むまでは、大黒屋光太夫とどっちがどうだったかあやふやだった程度でしたが、、、
民間の英雄というのはこういう人!という書きぶりですね。
司馬さんの特徴である、若干人を褒め過ぎなところはあるとしても、先見性、合理性、情熱、人に対する優しさと誠意など、日本人の理想形を絵に描いたような物語として仕上がっています。

嘉兵衛は淡路島の出身ですので、同じ瀬戸内といっても西と東で若干の風景の違いはあるかもしれませんが、江戸時代の中期以降の、日本の国内の物流が瀬戸内を繁栄を生んでいた時代がいかなる時代であったか。一人の英雄の活躍を通してうまく描ききれていたように思います。
日本の金銀の算出も止まり、行政は停滞し、アメリカが独立した後に欧州ではフランス革命、そしてナポレオンが活躍していたこの時期に、船乗りの視点で歴史を描くという、座標を設定自体見事だと思いますし、嘉兵衛の活躍した事件は、ペリー来航に間接的にはつながっていく訳で、逆に言うと、江戸時代が最後に花咲いていた時代かもしれません。
ただ、後半1/4くらいは時代背景の説明になっていて、ここがコンパクトになると流れは非常に良くなると思いますが・・・
しかし、この時代を描くに最もふさわしい人物によって、日本と世界の情勢も含めて描いたいい作品だったと思います。

崔在皓 白磁展

今日、釉すがの「崔在皓 白磁展」に行ってきました。
李朝のもつおおらかな魅力を感じさせる白磁が非常によかったです。
ものを作る姿勢や、表現について、高麗/李朝時代の文化などいろいろ話ができて有意義な時間が過ごせました。
展覧会は10月8日(土)までです。