伊勢・志摩

昨年末に、伊勢志摩地方に行ってきました。
伊勢といえば伊勢神宮。
伊勢神宮は、日本建築洋式のルーツの一角を担う興味深い建築なのですが、残念ながら一般のルートでは建築そのものを眺めることはできません。
しかし、内宮、外宮それぞれの近くに、アマテラスの弟である月読のミコトを祀った月読宮(月夜見宮)があり、ここも伊勢神宮のように式年遷宮を行う神社ですので、伊勢の建築様式に触れることができます。
年末でしたが、内宮も外宮も大変な人でしたが、月夜見宮はどちらも数人しかいなくて、すっきりとした空気感と、美しい建築を体験することができました。
アマテラスが太陽で月読が月。スサノヲが大地といったところです。
神社建築が作られるようになったのは、仏教と仏教建築が輸入された時で、仏教に対抗して作られたと思います。
それまでは、地鎮祭のように仮設の祭壇をつくってお祀りをしていたようです。

本当に重要なのは、建築ではなくて建築の中にあるイメージのようなものです。
20年に一度建て替えるいわば仮設であるから、建築や浮世がはかなく、逆にイメージが強く印象づけられるという仕掛けだと思います。
建築をつくること、建築を建て替えることを考えさせる面白いイベントですね。
内宮と外宮、月読宮(内宮の近く)と月夜見宮(外宮の近く)の4箇所意外に、近隣にも式年遷宮する神社がありますので、常にどこかが建築してるという状況です。

ザ・ホワイトハウス

昨日から、BSジャパンで「The West Wing」の吹き替え版「ザ・ホワイトハウス」が再び放映されました。
ファーストシーズンは22回。
以前、NHKで放映されて話題になったドラマです。

http://www.bs-j.co.jp/whitehouse/index.html

ホワイトハウス西棟つまりアメリカ大統領官邸に勤めるスタッフたちを描いたドラマ。
アメリカの政治システムや、アメリカの民主主義、メディアや支持率など、大変興味深い内容です。
映像のクオリティも脚本もよくできています。もちろん制作費も莫大な額だったそうです。
輸出を前提にドラマを作ってるので、それも可能なのでしょう。

泡沫候補だった元数学者の大統領候補が、若いスタッフたちの活躍で奇跡的に大統領選を勝ち抜き、選挙スタッフがホワイトハウスの中枢スタッフとして活躍する話ですが、日本の政治状況に近いところも多々あります。
昨日の第一話では、大統領が自転車事故で怪我をする話。
民主党による政権交代を成し遂げても、スタッフのミスや、失点を恐れる大統領の弱腰で、支持率がどんどん下がります。この調子では中間選挙も勝てず、再選は難しいというところまで追い込まれます。
それを反転させるのがこのドラマの重要なストーリーとなります。日本ではどうなるのでしょうか。

「日本辺境論」内田樹

内田樹さんの「日本辺境論」を読んでみました。
日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できる・・・という日本論です。

具体的なエピソードも多く、非常に読みやすく、深くうなずいてしまう所も多く、あっという間に読んでしまいました。

僕は15年ほど前から、日本とは何か?という答えの無い疑問を解明すべく、いわばライフワークのようにいろいろ見たり考えたりしてるのですが、、、
この本の初っぱな23ページ目に、、、

「私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。」

とあります。
地球が半永久的に太陽の周りを回るように、日本人は日本人論を繰り返し繰り返し問い続けるのです。
この回帰性が逆に日本の特徴だという話。

20年ほど前に、大学の卒業設計で、色々考えて一つのプロジェクトを行いました。どうも納得いかなくて、短時間で二つ目の設計を行って完成させました。その両者に共通するテーマが、循環性でした。
循環する大きなシステム対して、カーブボールを投げるようにひねりを加える小さな作業が、都市に建築をつくること。ということを表現したかったのだろうと、今になってみれば客観的に考えることが出来ます。

この本の、若干自虐的な知識人的文体は気になりますが、非常に楽しめて、為になるうえに、表現の巧みさを感じることができる、いい新書でした。

お米

Farm Garden 黄昏
日本不耕起栽培普及会

僕はお米が大好きです。非常に。
お米と少しのおかずがあれば基本的には満足です。
毎日のことなので、安心できるものを食べたい。
そう思って、ここ数年、伊賀の農家から玄米で送っていただいて、コイン精米所で精米して食べています。
去年知り合った友人で、大学の隣の研究室の後輩でもあるコーセイ君が、秋田で農家の跡を継いで、不耕起栽培で米作りをしています。
その不耕起栽培をトラストの方式でやるというので、今年から一口参加させてもらうことにしました。

不耕起栽培という農法が面白そうなので、昨日2冊本を読んでみました。

岩澤信夫さんの「究極の田んぼ 」「新しい不耕起イネつくり―土が変わる田んぼが変わる 」です。

素人なので、技術的なことはわかりませんが、、、、
戦後の高度成長の中で獲得した農業技術を否定することなく、逆に現代に必要とされる安全性や、環境に調和した技術を追求したということだと理解しました。
元々は、省力化と地力を生かすことを目的として、耕さない水田を研究していたのですが、機械で植えることや、雑草のことなどの問題を解決していくなかで、冬の間も水をはることに到達します。
不耕起水田専用の田植機も開発しました。

福岡さんも耕さない畑に、直接籾を入れた泥団子を使って稲を育てることをやっていたそうですが、インディカ米向きで、ジャポニカ米との相性はよくなかったようです。

日本には、水田による稲作の到来よりも古くから米があったとする遺物が出てきています。
おそらく、焼畑農業のような畑作による米の栽培だったのではないかと思います。
福岡さんは弥生以前の農法に近いのでしょうか。

水田による稲作は、天然の沼地で始まったようです。
雲南省あたりで里芋栽培をやってた人たちが、稲を沼の泥に植え替えて育てることから始まったとか。
畑作と違う画期的なメリットは雑草対策です。ベトナムでは、川の中に稲を植えていたので、当然水面からのぞいてるのは稲穂だけ。
船と水泳で農作業をやっていました。

岩澤さんがやってる農法は、人工的に管理されている田んぼを、一年中水を張ってる沼に変えて、微生物やイトミミズ、昆虫など生態系をつくることで、肥料や雑草、病気、冷害などに打ち勝つ強く荒々しい稲にしようということではないかと思いました。

これは、稲作や農業だけに関わる話ではなくて、建築や文化や生活、工業や社会にまで関わることが暗示されているように思います。
20世紀初頭に近代主義が生まれて、第二次大戦後に世界に広まりました。日本やドイツはその最も優秀な近代主義の生徒だったと思います。
第一次大戦以後、国家総動員体制で大戦に備えるために、日本やドイツは国を作り替えました。
戦後は、経済発展に、国家総動員体制を応用し、経済消費大国として今に至っています。

日本(や20世紀の経済消費大国)は、軌道修正を行うべき状況に至っていると誰もが思っていますが、まだ明確な方向を皆で共有出来ているとはいえません。むしろバラバラな方向を向いてる感じです。

岩澤さんの農法が面白かったのは、様々な無農薬有機栽培の人たちと違って、イデオロギーよりも先にリアリティがあるところ。
あくまで農家が生産量をあげて、経営を楽にするために、自然農法を選択しようと言うところです。
戦後65年の間、多くのものを捨てて、多くのものを獲得しました。
20年前に非効率的であるから捨てられた物は、現代では効率的であるかもしれない。
岩澤さんが苦心して開発した不耕起栽培の田んぼが、戦後に近代化された田んぼよりも優れていて、それが4400年前の天然の沼のようなものであるなら、テクノロジーがぐるっと一周りした感じで、非常に面白いと思うのです。