石見〜長門紀行その2 萩、青海島

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2日目は、海岸を散歩したあと、萩に向かいました。
萩に入る手前、魚市場に隣接する道の駅があったのですが、、、すごかったです。
とりあえずお昼は、ここで刺身とお寿司を買って、萩の砂浜で食べました。
やわらかな甘みがとても美味しい。

僕は、朱子学や尊王攘夷運動は好きじゃないので萩の史跡はスルー。
桂小五郎は嫌いじゃないので、桂の生家の前はレンタル自転車で通り過ぎました。
以前、知人の作家が時々個展をやっていた彩陶庵さん。わかい作家がやってる坪庭のある雑貨屋さんなどを覗いて、この日の宿営地を探しにスタート。

最終的には、仙崎のさらに先にある青海島にテントを張ることにしました。
この日は、胸にゼッケンを付けたランナーがあちこちで走っていて、とてもひとグループとはおもえないほどあちこちを走っていて不思議に思ったのですが、あとで聞くと、山口-萩往還マラニックレースとのことでした。3日間で走行距離250kmを走る人たち。一日平均80km以上。
足を痛めてしんどそうな人もいましたし、走る気力もなく歩いてる人も。年齢層も40〜50代が中心のようでしたから、体を壊さなきゃいいけど・・・と心配したくなるような雰囲気でした。

夕食は、再び立ち寄った萩の道の駅で調達した大きな大きなノド黒の一夜干しなど。
非常に美味しかったです。
温泉は湯本温泉。温度は低いですが、アルカリ性の源泉掛け流しで、体がすっきりするお湯でした。

石見〜長門紀行その1 益田、須佐

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今年のGWは、高速道路に車が溢れると予想されていました。
もともと観光客が多いところは好きじゃないし、行った道を引き返すのも面白くないので、高速道路が無い地域を縦断しようと思っていました。
当初は、霧島辺りから宮崎を北上して高千穂辺りまで行こうかと思っていましたが、九州道が混みそうなので、急遽以前から行きたかった萩あたりに行くことにしました。

先ずは浜田道を通って海岸沿いを益田に向かいます。
丁度、ギャラリーでガラス工芸作家の末國さんの個展があったので寄ってみたのですが、店が開く1時間前。
朝早く出過ぎたようです。山陰は近い。

次に益田のグラントワ。内藤廣設計。
石見の瓦をふんだんに使った建築で、島根の公共事業シリーズのほぼ最終作になるのではないでしょうか。
若干しつこすぎると感じましたが、鉄分が豊富な石見の風景を大きな結晶に昇華させたような建物です。
施設のおばちゃんは、この建築を大変な誇りに感じてるようですが、「とんでもなくお金がかかったんだよー」という言葉に若干の心苦しさも感じます。地元の人には、しっかり使いこなして欲しいですね。

その後、ホルンフェルスと呼ばれる断層を見に行きました。
海と海岸の風景は、瀬戸内では見られないものでした。
その後、須佐のキャンプ場に向かいました。
須佐は、スサノオにゆかりがある土地です。
大陸から渡来した一族の長であるといわれるスサノオは、出雲、石見の鉄との関連も深い人物です。
ユーラシア大陸を移動しながら技術を持って渡ってきた一族なのでしょうか。

近藤等則・天岩戸を吹く

「近藤等則・天岩戸を吹く」〜伊平屋・日食〜

7月22日、アジアの中央部では日食を見ることが出来ます。
日食の日に、天岩戸の伝説が残る沖縄本島の北にある伊平屋島で、近藤等則がトランペットを吹きます。
これまでも、「地球を吹く」というプロジェクトで、アンデスやアラスカ、イスラエルなど世界様々な場所で演奏していましたが、日本国内を吹くシリーズの6回目となります。

これを主催するのは、以前広島で開催された「世界聖なる音楽祭・広島2001」の中心人物で、いっしょにがんばった知念さん。これから本格的な準備が始まると思いますが、是非期待したいです。

世界聖なる音楽祭・広島2001

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昨日、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で、伊東豊雄さんが取り上げられていました。
ピントが外れることも時々ある番組ですが、今回は伊東さんの魅力をうまく表現できていたと思います。
伊東さんは、設計した仙台メディアテークあたりから作風に変化が有り、それを現在まで貫いている。明確な成功例の無い新しい建築を、模索しながら生み出している、、、、という感じでした。
伊東さんが建築によって生み出そうとしているものは、お花見の時のストライプの幕のように、最小限の建築的(人為的)要素で生き生きとした場をつくろうというものです。
これまでは、建築を軽く、透明にし、内部にいながら外部にいるかのような視覚的、感覚的意識を作ろうというものでした。日本の伝統的な空間づくりの作法であると同時に、鉄とガラスと空調技術によって現在でも力技でできるものです。しかし、どこまで軽くしても、どこまで軽く見せても、逆に自然と相反する要素が目に付くばかりで、外の自然と一体化できない、、、というジレンマはあったと思います。
仙台メディアテークでは、構造体が別の機能の要素(情報や設備、EVなど)と一体化し、建築の構造体に感じられない配慮がされています。建築だけを写真に撮ると、当初想定したよりも構造体がごつく感じられるのですが、利用する人の心理とすれば、構造体が親しみやすい要素として結果的に気にならない存在となっているのでしょう。
その後、伊東さんは古典的な構造のフォルムや、近代のフォルムを使ってみながら、空間を生み出す構造体が気配と一体となる形を模索します。
今回の番組のその一環で、一つのピースが大きな多面体の連続で大空間を作ってみようということでした。
着実に、自分の世界を鮮明にしているようで、今後の展開も興味深いですね。

そうした、気にならない構造体による場(place)の創出、、、については、伊東さん本人も触れていましたが、大先輩が人生の最後に到達し、存命中は完成し切れず、現在も建設が続いているものがあります。
ガウディのサグラダファミリアです。
特に若い時代の作品に石による装飾が目に付くので、装飾を主たる目的とした異端の建築家だと思われがちですが、サグラダファミリアに集中する為に中断したグエル教会堂のかろうじて出来ている地下礼拝堂に、ガウディ晩年の世界観が表現されています。
石で作られている建築なので、当然構造体の存在感が非常に大きいです。しかし、深い森や大きな洞窟、山の岩壁のような大きな存在であっても、人為的な構造体であると言う主張をせず、そこに長くいることを飽きさせない場(place)に仕上がっています。内部空間は出来ていませんが、サグラダファミリアもその延長線上に構想されていたはずです。
長いモダニズムの時代に世界の建築様式は大きく変わりましたが、構造計算の技術の向上が、石と石工だけでしかつくり得なかったものが、やっと日の目を見る時代になってきたと言うことでしょう。

建築単体が生み出す「空間」が20世紀の建築のテーマだったと思いますが、今後は建築によって発生する「場」がテーマになると言うことだと思います。