ポニョ

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先週末にポニョを観に行ってきました。
シンプルなストーリーで、手書きのアニメーション、小さな子供を対象にした、、、、ということだったので、ある程度予想は出来ていたのですが、原点に戻ったという印象でした。
僕にとっての宮崎駿の原点は、ハイジとコナン。
ポニョはハイジの無邪気さとコナンの運動能力を兼ね備えるキャラクターに見えたのです。
ナウシカの漫画以降、自然と文明の激突!のような人類の難問をテーマにしたり、CGという道具を使いこなす絵づくりをしたり、、、という時期が長かったので、絵の力で最後の作品をつくるというスタンスは非常に嬉しかったです。

テレビドラマであれば15分ほどのエピソードだと思いますが、それを海のもつ様々な表情をふんだんに盛り込むことで長編映画に仕立てています。
足場が不安定な魚の上でのポニョの動きや、粘り着くような海の質感、お父さんとの交信の時のモールス信号のメカの動きなど、宮崎駿らしさが十分楽しめたと思います。
元々監督業よりも、絵を動かすことが専門だった宮崎さんにとって、監督や脚本など全てを行うことは、年齢的にも大きな負担だったと思います。
今後は、短編でもいいから、マイペースで作品を作り続けてくれることを願っています。
宮崎駿と同時代に生きていて、次なにつくるんだろう?と期待しつつ暮らしていけることは、ほんとに大きな意味を持っていることだと思います。

稲の起源と稲作の起源

<イネ>ジャポニカの起源は東南アジア…農業生物資源研解析

ジャポニカ米の起源は東南アジアが起源と言う研究の結果が出ました。
先日、稲作の起源という本を読んだのですが、まさにこのような起源を予想していました。
この本の著者は、稲を種子として植えるのではなく、野生の稲を株分けしていくうちに、栽培種となって、最終的には主要な穀物として人工栽培されるに至ったのではないかと言うことでした。
東南アジアには、バナナやサトイモ、ハトムギなど株分けで増える作物は多いようです。
そうした作物を湿地で栽培するうちに、当初はお茶(玄米茶)として(あまり期待せずに)植えていた稲が、食べられるほどの米を作るまでに至ったと言う話です。
稲が人工的に大量に栽培され、それによって民族が豊かになって繁栄した、稲作の起源は長江上流の東南アジア系の民族であることは、間違いではないと思います。
稲の起源は遺伝子から解明できますが、稲作の起源は遺跡の発掘など幸運も必要です。期待して待ちたいですね。

稲作は、常に高床建築と行動を共にしてきました。
長江上流から、長江下流に移動し、そこで呉や越、楚と言う国をつくります。特に呉や越は稲作海洋民族と言ってもいいくらいの海洋渡航能力を持っていました。
呉が越に滅ぼされ、越が楚に滅ぼされ、越の移民は北と南に散り散りとなりました。
南に行った連中は、現在の福建省辺りに百越と言う国をつくりましたし、ベトナムにも至っています。
北に行った連中は、山東半島を中継地点に、朝鮮半島や日本に至っています。
これが後に倭人と呼ばれる弥生人。
食生活や建築様式の最も根源的な部分を構成している稲作のストーリーが一つ確かになったということで、今後のさらなる進展に期待したいですね。
水田でつくる稲作は、連作障害も起こりにくく、土壌の流出も少なく、肥料の要求も少なく、雑草に負けにくく、栄養も豊富でパーフェクトな作物です。
今後の世界の食料問題解決にも、是非がんばって欲しいものです。

広島では、世界に誇る高床建築があります。
丹下健三設計の原爆資料館です。丹下さんは今治市出身ですが、昔愛媛を仕切っていた越智氏は越族の王族の子孫と名乗っていましたし、丹下さんのご母堂は、越(族)の国である新潟の出身です。
稲作海洋民族のつくる建築は、単に高床であるだけでなく、間(ま)をうまく使っています。
具体的な物質として建築物がありますが、建築と建築の間や、建築の内部空間などの間は、大きな特徴だと思います。原爆資料館は、資料館そのものも美しいですが、資料館を通って出現する原爆ドームまでの空間の存在が非常に巧みにつくられています。
コルビュジェが模型段階で絶賛したのも、その間の扱い方ですし、イサムノグチとシンクロしていたのも、その間の部分でしょう。
間(ま)という空間の起源はどこなのでしょうか?

稲作を始めた長江上流の村では、天然の沼に稲を植え、建築は高床で沼の水面の上に建てていたようです。
小舟で稲を育てていました。
穏やかな水面にそよぐ稲。それを取り囲む高床の建築群。
その沼の水面は、地上としての利用が不可能な空間です。voidであり、blancです。
その風景が間の起源ではないでしょうか?

シルクロード

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NHKの一世を風靡したドキュメンタリー「シルクロード」の第一集が今日、最終回を迎えます。
カシュガルからパミールへ
中国のシルクロードの西端のウイグル族の交易の町カシュガルとその周辺が舞台です。
この番組が放映されたのは1981年3月。
僕がシルクロードを旅していて、カシュガルに立ち寄ったのは1991年の5月のことです。
時間が経つのは早いもので、もう17年経ちます。シルクロード放映から27年。
あのがちがちに閉鎖的な中国が、外国の投資を受けて巨大な建築をばんばんつくるとはとても思えなかったし、アジア大会で一杯一杯だった中国がオリンピックを開催すると言うのも、当時はとても想像できなかったです。
しかし、今でもシルクロードには日干しレンガで作った家の中庭のブドウだなの下で家族や友人たちと甘いぶどう酒(ワインではない)飲んでるでしょうし、ロバ馬車で町を移動してる事でしょう。
来週からは、第二集のパキスタンとの国境のクンジェラブ峠から再開します。
インド亜大陸がユーラシア大陸に激突して出来たあの巨大な山脈に、インド洋から砂漠を越えてやってきた雲がぶつかる風景は、恐らく数千万年かわらないと思います。

http://www.nhk.or.jp/archives/kuradashi/tue/