伊予

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5月の連休は、前々から気になっていた伊予南部〜足摺岬あたりに行くことにしました。
まずはオープンしたばかりの坂の上の雲ミュージアムへと向かいました。ちょうど長谷川逸子設計の病院の隣に位置しています。
平面は三角形、隣接建物に面する一面はRCで、残りの二面はやや傾斜したガラス面となっていて、そこがスロープであったり、ロビーであったりします。
狭い敷地をうまく活かしたプランですが、スロープや吹抜がやや狭めなのが残念です。
吹抜を二層分斜めにつなぐ階段も、かなり無理をしているのでちょっと窮屈ですね。
しかし、きもちのいい資料館に仕上がっているので、今後、展示内容をレベルアップさせていくといい施設になると思います。NHKの大河ドラマは脚本が大苦戦中のようですが、資料館が先にできちゃったという感じでしょうか。

その後、大洲で鰻を食べて、肱川をさかのぼって小薮温泉に向かいました。
細い山道を登ると現れる木造三階建ての鄙びた古い建物で、アルカリ性の冷泉です。心身ともに癒されました。
そして宇和島に向かって、じゃこ天屋巡り。今回は時間もなかったので、野中かまぼこ店と薬師神かまぼこの二軒のじゃこ天を入手。薄くて黒っぽいじゃこ天らしいものは、野中の手押しがお勧め。ふっくらとした癖の無いものが好きなら薬師神のじゃこ天がお勧めですね。どちらもお休みは元旦だけというのがすごいです。 ほかには、井上蒲鉾本舗(創業150年)や、島原かまぼこも興味ありましたが次回の課題としておきます。
宇和島のじゃこ天マップはこちら。 宇和島蒲鉾協同組合

今回は海の近くのできるだけナチュラルな(いわゆる設備が整っているオートキャンプ場の対極)場所でキャンプをしながら土地の文化(主に建築と食と温泉)を堪能しようという主旨でした。
初日のキャンプ場は愛南町の須の川公園。翌日に外泊に行きたかったので。
ここは、海に面する公園の中に、淡水と海水の池があって、野生の鴨やアヒルがすんでいます。
その池に面した芝の広場に自由にテントを張るというスタイルですから、ファミリーオートキャンパーも全然いなくて、ライダー(多かった)と僕たちだけでした。すごく気持ちの場所であることも大切ですが、やはり人口密度も快適さに大きく影響すると思います。
翌日は、石垣の集落で名高い外泊に寄ってスケッチ。半島を一周廻る途中、愛媛県最南端の高茂岬でしばらく一服&スケッチ。そして足摺岬のある土佐清水市に向かいました。

早起き読書3「アフリカの白い呪術師」ライアル・ワトソン

久々のライアルワトソンの本です。白い呪術師はてっきりワトソン本人のことかと思ったら、別の人物のことでした。
エイドリアン・ボーシャはイギリスで生まれ、親の仕事の関係で南アフリカに引っ越します。
16才の時、ポケットナイフと一袋の塩(物々交換用)を持ってブッシュに徒歩で入っていきます。
自力で獲得したブッシュでの生活術は強烈です。
ライオンが捕まえたシマウマを奪うために5頭のライオンを脅したり(4匹までは追っ払ったようです)、大蛇と格闘したり、、、
しかし、その結果、アフリカの部族社会から一目置かれる存在となって、正式に呪術師となります。白人では史上初でしょう。
おかげで、数々のアフリカの伝統や秘密、知恵や文化を知ることとなります。
それは、従来の学説を大きく変えるものだったし、アフリカ史だけでなく人類の歴史そのもののとらえ方にも大きな影響があったようです。
それ以前に、自分たち先進国の人間の目線と、アフリカの伝統的な部族社会の目線がはじめて同じ地平に並んだというあたりが大きかったかもしれない。

アフリカでは、人間と精霊が同じ場所にいるようです。何事が起こっても精霊の意志がその背景にあるということのようです。呪術師は、その精霊と対話するという事が仕事のようです。
僕たち先進国の人間は、近代科学を学習していますので、それをリアリティのある事実として受け入れるには相当な抵抗がありますが、ボーシャの目で書かれたこの本を読むと、その社会で完結している価値観の体系がおぼろげに見えてきます。

ボーシャは寝床の確保(野宿ですが)にずいぶん気を遣ったようです。
乾いた河床で寝てたら夜中に突然洪水が起こって流されたり、サソリに襲われて危うく失明しそうになったり。ボーシャの体温を求めて寄ってくる動物に寝返りを打たないように動かないで眠る訓練をしたようです。
朝起きたら隣に毒蛇が寝てたケースも何度もあったようですから。
そうして「感じ」のいい場所を直感で感じられるようになったようです。まさに野生の勘ですね。
その極意は、、、自分の好みで選ぶのではなく、場所から好かれるかどうかが重要だということです。
場所(place)=精霊ということかもしれません。
土地に建築をつくるということは、「感じ」のいい場所をつくるということが目標ですが、自分(住み手)が好かれる土地を選ぶのはすごく大変だと思います。
設計を開始するときには先ず土地と対話することから始めるのですが、自分がやりたいことを土地(建築)に押しつけるのではなく、そこにつくる建築が場所から好かれるものとなるようにするという意識も必要だろう。
騒々しい日本では、土地が語りかけてくれるまでには時間がかかると思うけど。
ちなみにINPLACEはそういう意味でつけた名前です。

早起き読書2「ウィルス進化論」中原秀臣・佐川峻

タイトルでピーンと来ました。ライアルワトソンなども同様の説を唱えていましたが、こちらはかなり現実的な理論となっています。
要するに、遺伝子情報の運び屋であるウイルスが、遺伝子の変化(=進化)の主役だということ。
現実に、現在も人工的にそのようにして遺伝子操作をしているので、自然界でも行われているというのはごく当たり前のことだと思うのですが、ダーウィン教徒が主流の学術界では苦戦中とのことです。
ちなみにウイルスと言っても病気を引き起こすものはほんの一部のようです。

肉体(ハード)の進化は確かに遺伝子の運び屋が必要です。では、社会や個人のメンタルや思想(ソフト)の運び屋は何だろう?
人類はハードの進化は限界に達しています。というよりも頭が大きくなりすぎて、チンパンジーの胎児並の状態で出産され、僅かに成長しただけで大人になります。
ハードを進化させない(できない)代わりに、ソフトを進化させるという生き物が人類だと思います。
ハードの遺伝子の運び屋がウイルスであるなら、ソフトの遺伝子の運び屋は文化(culture)ではないでしょうか。
人が感動するというのは、自分の持つ価値観に大きな衝撃を受けると言うことで、結果として何らかの影響を受けるということです。
音楽は聴覚から、文学は創造力、絵画や彫刻は視覚でしょう。日常レベル、個人レベルでは、コミュニケーションということになると思います。
その中でも、身体を包みこみ、ハードにもソフトにも影響を与える建築というものは興味深い存在だと思います。

早起き読書1「わたしは猫になりたかった」西江雅之

最近は30分ほど早起きして本を読むことにしています。
一日のいいリズムがつくれていいですね。

最近読んだのは、、、、

「わたしは猫になりたかった」西江雅之
文化人類学者の西江さんが子どもの頃からの半生を描いた本です。
とにかく最高です。
中学生のころ、小澤征爾の「僕の音楽武者修行」を読んで、将来は世界を駆けめぐってやろうと熱く思ったものですが、この本もそうした熱くて少し変わってる中学生や高校生にぴったりかもしれません。
以前、小さなギャラリーで行われたレクチャーで、最前列で西江さんの話を聞くことができました。脳だけでなく、体の細胞全てが面白いと感じた話でした。

西江雅之公式サイト