やぶへび 9→12→8

西洋のキリスト教社会は、サイエンスやアートは、世俗的な社会から距離を置き、お金や権力のために奉仕するのではなく、純粋で神聖な分野となることを目指してきた。明治以降、日本もそうした芸術や科学を受け入れ、今に至っている。
それは、ガリレオ・ガリレイが社会(当時はキリスト教)の圧力で、客観性のある科学的真実を歪められた事も無関係ではないでしょう。ガリレオはほんとに悔しかったと思います。

太陽系の惑星をどう定義するのか?
ちょっと気になる話題ですよね。
僕が幼稚園頃に宇宙戦艦ヤマトが猛烈に流行り、小学校の中学年頃には続編の映画やテレビアニメが放映されました。
そこでも、冥王星は太陽系にお別れする最後の惑星として大きな意味を持っていました。古代進の兄、守が戦死した言われたのも確か冥王星でしたね。
丁度その頃から冥王星は海王星よりも内側の軌道を回る時期で、当時は「水金地火木土天冥海」と覚えたものでした。

最初は何を今更と思っていましたが、観測技術の向上で、太陽系をぐるぐる回る物体は随分発見が進んできたので、再定義をということだったのですが、そもそも冥王星が惑星であるということは昔から問題視されていたようです。
アメリカが唯一発見した惑星で、その名前を取ってディズニーのキャラクターも誕生したようです。(PLUTO)
鉄腕アトムにも同名のキャラクターが存在します。

その再定義も、科学者たちの議論と投票によって決めるというのも新鮮でしたね。
日本だったら公開の場で投票するということはあり得ないですが。
結果は、新しい星を加えるわけでもなく、従来通りのスタイルを守るわけでもなく、課題の修正にとどまりました。
逆に言うなら、今後惑星を増やすべきでないというのが今回の結論の背景にあったのでしょう。
冥王星を許すなら、同等の資格がある星は今後沢山出てくるから、冥王星を外そうということですから。

科学者たちが計算式や数字だけでデジタルに決めるわけでもなく、開かれてはいますが多数決という政治的手法で重要な事を決めるということが面白かったですね。もちろんガリレオの裁判の頃とはもちろん様相は変わっていますが、サイエンスであれアートであれ、社会と完全に切り離されたところでは成立しないということです。
あの人間味のある惑星投票のシーンは、人間の知恵や尊厳の上に社会やサイエンスが成り立っているということを僕たちに示してくれたように思います。
子どもの教科書や、子どもに教えるべきことが、ある意味ひっくり返ってしまうわけですが、そんなことは日常茶飯事だと言うことを子どもにまず教えるべきでしょう。
新しい発見があって変わることもありますが、今回のように話し合って定義が変わるということもあるわけです。
太陽のまわりをぐるぐる回るものの数が変わる訳じゃないし、僕たちにとってそれらの存在意義が変わるわけでもない。
僕たちは一時的に冥王星を惑星と定義していたというだけの話です。
逆にPLUTOらしいと思いませんか?

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ピナ・バウシュ「カフェ・ミュラー」

先日、NHKの芸術劇場で、ドイツの舞踏演出家ピナ・バウシュと、作品「カフェ・ミュラー」をやってました。
面白い作品だったし、ピナのインタビューも良かった。
一つ一つのことに誠実な人。

このとき椅子を動かす動きをしていたダンサーのジャン・サスポ−タスさんと斉藤徹さんによるツアーがあります。
広島公演は9月18日(月)です。

Jean Sasportes & Tetsu Saitoh DUO tour in Japan 2006

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20年ぶりの市民球場

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20年ぶりに広島市民球場に行ってきました。
野球は中学校でやめたので、最後に行ったのは恐らく中3のはず。
思ったよりグラウンドは狭く感じました。
客席のコンクリートやベンチはかなり摩耗していて、「建築」というよりも、古い道路や石垣のような「土木構造物」と言う趣。さすがに現代のプロスポーツのメインスタジアムとしては相当くたびれている感じもしますが、広島の戦後社会の娯楽を担ってきた歴史の生き証人なので、壊されるまでにもう少し堪能しておきたいと思いました。

ヤクルトとの試合が始まってびっくりしたのは応援のスタイル。
トランペットは昔通りだったけど、声出して立ち上がるスタイルは、半ば感心しました。少なくともサンフレッチェの試合よりも声が出てるし、盛り上がってる。
野球は1対1が基本だし、攻撃と守備がはっきり分かれているので、規格的な応援はしやすいのかな。
瓶缶持ち込み禁止と張り紙してるのにクーラーボックスに一杯ビール持ち込むのは当然という感じだし、ビールや飲み物の売り子も客席まで来るし、どことなく猥雑で活気がある雰囲気は、市民球場のおかげかもしれない。
ビッグアーチは陸上競技場だし、でかすぎて寒々しい感じがする。
是非とも広島にサッカー場ができて欲しいとあらためて思った。

途中、雲行きが怪しくなってきて、夕立になりそうだから、一滴降ったら即座に帰ろうと言っていたんだけど、案の定大豪雨になって、停電や道路の冠水に。
タクシーの運転手と広島の下水道行政について有意義な情報交換をしながら帰途につきました。

司馬遼太郎との対談

日本の歴史と言えば、源平の戦いや、関ヶ原の合戦前後、明治維新あたりが面白いと思っていたし、その時代を中心に子供の頃から書物や大河ドラマで多くの情報を注ぎ込まれていた。
しかし、日本の生活や文化のイメージをがらりと変えたのは、中世つまり室町時代の中期ころだと思う。一番情報が少ない時代だ。
このあたりは、網野善彦(中沢新一のおじさん)が面白い。

網野の本を探していたら、司馬遼太郎と対談をしているものがあった(司馬遼太郎対話選集 この国のはじまりについて)ので読んでみた。

いろいろな雑誌での対談を編集した物なので、司馬はほぼ同じ持論を様々な相手にぶつけているのだが、相手がなかなかの大物なので非常に面白かった。

林家辰三郎とは、出雲のこと、吉備のこと、東国のことを話しているのだが、僕がこれまであちこちで断片的に聞いてきた情報を、一つの大きなかたまりに整理して教えてくれたというものだった。
朝鮮半島東部から渡ってきた複数の製鉄集団が出雲に上陸し、吉備に渡る。鉄の製造により吉備は豊になり、大化の改新のバックボーンとなる。
朝廷は、朝鮮半島の動乱によって日本に渡ってきた移民を東国に移し、開拓をさせるが、それが独立農園をつくり後の武士集団となる。それらが朝廷からなかば独立しようとしたのが源頼朝の鎌倉幕府。
鎌倉時代に、東国の武士集団が守護や地頭として地方に移住するが、広島はかなり東国の影響が多い地方。
甲斐の武田氏が来たので、家来の毛利や佐々木がその後も残ったので、西国でありながらどこか几帳面だし、標準語(東国語)とイントネーションはかなり近い。

湯川秀樹は、日本の地域性や言語、永井路子は鎌倉時代の東国と西国の男女観あたりが面白い。
ライシャワーも面白いね。

あちこちに出てきたのは、近江や伊勢の商人たち。
江戸時代に、大阪の古着を江戸に送って3倍で売るという商売をしてたけど、太平洋経由で東北への航路が開けると、東北で古着屋をやる。現金が貯まると高利貸しをやる。焼き畑農業の東北人はすぐ土地を取られて、あっというまに奴隷化したということですね。米軍に農地解放されるまで苦しんだ東北農民の大変さを生んだのが、突然の新航路の開拓で、原始的な農業社会に突然高度な商業が到達した結果ということです。
明治の北海道開拓でのアイヌや、植民地化した朝鮮半島や傀儡国となった満洲でもまさに同じことがおこりましたね。お人好しのお百姓さんや漁師さんが綺麗なものを買ってたら、気がついたら土地を取られて、そこで働く小作になってたということです。これはアフリカやアジア、アメリカなど文明の衝突があったところではどこでもあった話ですが、すごくローカルなところなのでリアリティが違います。

別の話で、秀吉の子分達が、官僚派と経済派に分裂して関ヶ原の合戦につながったのですが、武闘派は秀吉の出身地の尾張の出身で、官僚派は近江長浜で城持ちになったときに集めた浅野の旧臣たち。
嫁もねねは尾張。淀君は浅野の娘。
ということで尾張と近江の分裂に三河の家康と安芸の毛利が絡んで大きな戦になったということなんですね。
やはり近江商人は、斎藤道三や織田信長、豊臣秀吉を支え大坂をつくり、農業を主軸に置いた家康は尾張の武闘派と組んで近江商人一派と戦ったわけです。

日本の歴史上、大きな二大勢力の激突は、経済系と農業&武闘系の戦いですね。
今でもそうです。
ライブドアや村上ファンドの犯罪性は置いておいて、その体質が嫌いな人と、好きな(許容する)人に二分されると思います。
好きな人は平清盛や織田信長、豊臣秀吉、石田三成、坂本龍馬系
嫌いな人は源頼朝や徳川家康、大久保利通系という感じでしょうか。