「時をかける台北散歩」

6月29日、尾道の松翠園で、「時をかける台北散歩」というシンポジウムがありました。
台北で日本統治時代の建築を再生した「青田七六」を運営する水瓶子さんがゲストでした。
青田七六」は、旧台北帝大の教員用官舎で、戦後は台湾大学の官舎として使われていたもの。その庭付き一戸建ての建物をリノベーションして、様々な文化活動や、日式料理を提供する店としています。

台湾では日本統治時代の建築を再生する事が非常に盛んです。実際にその活動の中心的役割の人の話を聞くことができて面白かった。
聞き手の渡邉義孝さんは、著書を高雄の誠品書店で見かけていたので、本人の話も聞けたのもよかった。
異国の地で日本の古い建物を復元するのは大変労力がかかると同時に、コストも日本の何倍もかかります。日本と同じように建て替えるために解体する様々な圧力もかかると思います。
そうした苦難を乗り越えて、各地で誕生している再生された日式建築が現代の新しい文化創造の拠点となっていること、それを行っている台湾の人たちの建築や文化に対する真摯な姿勢を聞けた一夜でした。

北西の終端へ

平戸島と生月島を結ぶ橋からの日の出でスタートした。
生月島は、平戸島の先にある陸からつながる最北西端の島。その最北西端の灯台を目指す。
南から到達する海流がこの角を曲がって日本海に向かう場所です。
ちょうど、突風が吹く天気だったために、海も白波が立っています。この海を風に向かって走るのはかなりしんどい。怖い。そんな海ですね。遣唐使船は途中で沈むことを前提に、複数の船で出発したようですが、その気持ちわかります。
生月島の厳しい自然に晒されている島の西側をそのまま保存してくれています。
集落は風を避けるように、平戸島との海峡に向かっていくつかあります。

平戸島では、最南端の宮之浦に向かいました。
この港は、本州から陸路で行ける最西端の土地。最西端の港。そこの小さな丘の木立の中に、小さな神社がありました。
エビスさんを祀っていました。
豊かで厳しい海と対峙する漁師の安全を守ってきた風格があります。

平戸の城下町に入ると、目の前には非常に穏やかで、風や潮の影響も少ない湾が広がっています。
海難も珍しくない地域では、恵みの港だと思います。
が、元寇では対馬、壱岐の次に襲われたようですし、その後の倭寇ではかなり活躍もしたようです。
海で生きていく厳しさも味わってきた土地なのでしょう。

 

図書館と本屋の融合

今年のGWは、九州の北西部をぐるっと回ろうということで、まずは武雄にやってきました。
温泉の後、武雄市図書館に寄ってみました。
カルチャーコンビニエンスクラブが関わって改装した図書館として話題になったものです。

エントランスを入る前から、商業施設の構えができていて、図書館に向かう高揚感とはまるで違うものを感じます。

スターバックスと雑誌売場、座り読みできるカフェ。図書コーナーは奥に。
まさに、図書館と本屋の融合。
利用者の年齢層や、テンションも図書館とはまるで違います。広島で例えるならLECTの本売場の様相です。

全国の図書館がこうなるべきとは全く思いませんが、役所の理屈で制約をはめてた世界に、一つ風穴を空けたのではないかと思います。
隣接する児童図書館は、もっと自然な形で図書館とカフェが融合していました。
年間800万円の赤字とか。
気持ちのいい施設を税金で整備するわけですので、負担増は仕方がない。
民と官の中間に、面白いことができる余地があるなら、公共施設も、今後は躊躇すること無く、様々な民間の施設と融合すれば面白いと思います。
ただ、その負担をどのように、誰が?という課題は残ります。
民間の商業施設なら消費者が負担。
公共施設なら、一部利用者残りは税金。
今回のようなケースでは、増税するのがベターなのか?

千畳閣が望むもの

厳島神社とその周囲の建築の配置には、ルネッサンスの影響があるという説があります。
配置については、神社の桟橋を先端と中心として、鳥居と右の千畳閣、左の大願寺が45度ずれて配置されているというもの。
厳島神社も、鳥居に対するパースペクティブを強調するために、奥から鳥居に向かって柱の間隔を狭く、天井高も低く計画されているというものです。
鳥の目でランドスケープを計画する概念が、ポルトガルの宣教師や一緒についてきた技術者などから伝わったのでしょう。

昨日、九州に住む友人の大工さんと一緒に千畳閣に行ったので、そのあたりを確かめてみました。
千畳閣は、丘の上から鳥居に向かって棟のラインを合わせて建っていますが、建物の中心は、あくまで円の中心に向かう神社の方角。
鳥居に向かっては、小さな丘がある上にアプローチの側なので、鳥居に向かう視線は目的外だろう。

では、神社の方に向かっては、建物の水平に回る長押が切り取られ、柱も2本途中で切り取られています。
その軸が向かう先に、宗像三女神を祀る厳島神社の本殿があるのかと思ったけど、違います。
本殿の背後の小さな森を、軸の中心に配置しているのです。

厳島神社の本殿の背後には、観音像があり、観音信仰をしていた平清盛は、宗像三女神にお参りすると同時に、その背後の観音様をお参りする構造にしたという説もある。
その観音像が、その中心にあるのか?
と思って千畳閣にいた神職の方に森について聞いてみると、、、
自分たちも立ち入ったことがないとのこと。
観音像については、かつてそこにあったという言い伝えはあったが、確かなことは自分はわからないとのこと。

神社の背後の森については、ますます興味が出てきました。

神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)

近代日本建築にひそむ西欧手法の謎―「キリシタン建築」論・序説