縄文号とパクール号の航海

縄文号とパクール号の航海

横川シネマで上映中

以前から気になっていた「縄文号とパクール号の航海」が広島で上映されるので、初日に観に行ってきました。
グレートジャーニーの関野さんが、インドネシアで伝統的な技術を使った船で日本まで航海したことを映像化したものです。
最初は、美大の授業のノリで楽しく斧を作る当りから始まるのですが、かなり大雑把な計画のせいか、思うように船は進まず、4年がかりで石垣島に無事到着することになりました。
特に航海計画はびっくりするくらい大雑把なので、気象の不安定な北太平洋では思うように進めないのもむりはありません。
航海に適した期間が短いので。
しかし、それも含めて、自然に向き合うことで無事旅を完結させることが出来ました。
その大雑把さが成功の鍵なのでしょう。
緻密に計算してたら、こんな無謀なことはやらなかったと思う。
諦めなかった人が最後に成功すると改めて思いました。

幸せのジャングルカー

幸せのジャングルカーに会える最後のチャンス!廃車前に日本を縦断!〈dot.〉

沖縄に住む「知念さん」が、車の上をジャングルにしていました。
その車に乗って日本一周するとのこと。
広島に到着するのは8月4日の夜。
5日は広島市内の各所を訪問し、夕方からゆかりのある人を中心に宴会。
6日は今治に向けて出発します。途中、とび島街道をぶらぶら。
という大雑把な予定です。

興味のある方は連絡ください!
途中、立ち寄れるかもしれません。

人工的な工業製品と自然界の複雑な融合を見ることが出来ます。
何か悩みがある人も、何も悩みが無い人も
人間界に疑問がある人も、自然界に疑問がある人も
何か答えのヒントが見つかるかもしれません。

大三島に船で参拝

三連休の後半、知人のヨットで大三島に参拝してきました。
今回は、船長と僕の二人だったので、ボースン兼AB船員という役割でした。

出発は朝7:00薄闇の中の出港。
音戸大橋をくぐって、安芸灘大橋をくぐり、とび島街道と平行する形で岡村島まで行き、最後に大三島の宮浦港に入港しました。
愛媛県の基準により、1泊の停泊料は10円でした。

大三島は、オオ御島。ヲヲ御島。
大山積神を祀る大山祗神社で名高い神聖な島です。
大山積神の娘が、アマテラスの孫のニニギノミコトと結婚し、海幸彦、山幸彦を産みます。
山幸彦の孫が神武天皇ですから、初代天皇のおじいさんのおじいさん。
西日本は今でも母系が強い社会ですので、母方の祖父は力強い存在です。
そういう母方の祖父の中で、一番強く古いのが、この大山積神というわけです。何しろ、婿の子孫が天皇なのですから。
地鎮祭など神事には海のものと山のものを平等に備えますが、この段階ですでに両者等しく誕生していることがわかります。

大三島にアプローチする前に、右手にきれいな岬が出ていました。
岡村島の正月鼻です。
ここには、丘の頂上に前方後円墳があったとのこと。
大三島を守る守備隊長を祀っていたのか?
西に向かって開く湾の入口にあり、周囲を見渡すことのできる絶好の場所でした。

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宮浦港から大山祗神社まで、古い参道を通りましたが、通りに人影は無し。
と思ったら、古い焼き杉の建物に前に、自動車のカフェ。その建物は若者が修復中。
話を聞いてみると、ギリシャの映画を上映するとのこと。
参拝の後鑑賞。
不景気のギリシャで、若者が長寿で有名な離島に渡り、ジャム作りや農業にいそしむ。
自分たちのスタイルを貫こうとする人もいれば、地元の老人たちに溶け込む人もいる。
“戦争や内乱
を経た年寄りの言葉が素晴らしい。
現在の自分を幸せに感じること。助け合い、求めすぎず。”

先日、NHK特集の生命の番組の内容を思い出しました。
長寿な人は、免疫系が正常に作動しているとのこと。

気持よく反省しながら、車で来たメンバーと温泉に向かう。

美味しい海鮮丼を食べて、船で雑談して早くに床につく。
寒くて寝れず、寝袋に入って寝ようとするが、いろいろ考え事をしてしまう。
朝5時起床。その後、出港。

帰りは、再び正月鼻の横を通り、岡村島と大崎下島の間の海峡を通る。
江戸時代後期に、猛烈に栄えた港町である御手洗港で朝日を拝む。
湖のようにフラットな水面、橋梁とみかん畑とこんもりした山々。
この二日間で一番美しい瞬間だった。

右手に御手洗の古い町並み、左手に海賊の見張場所だった観音崎を通過すると、正面に来島海峡。
来島海峡を渡るための風待ち、潮待ちの港の意味がよくわかります。

その後、順調に機帆走を続け、再び音戸大橋をくぐり、早瀬大橋をくぐり、沖ノ島に到着。
片道6〜7時間の最高のクルージングとなりました。

瀬戸内は、海の道で長く開けた場所です。
陸路で主に行き来するようになったのは、百数十年前のこと。
町のでき方、つながり方、景観。その他様々な要素は、まだ海の道が主だった時代の痕跡が残っています。
何度通っても学ぶことや考えることが多いと思いました。

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海賊大将軍 藤原純友の根拠地

今年のGWは、知人のヨットに乗せてもらって愛媛県南部の日振島までクルージングしてきました。
日振島は、日本の海賊大将軍 藤原純友の根拠地だった島。
当時とされている古い井戸と戦前に山下喜三郎が建立した記念碑が観光資源として存在していました。
人口は300人強、小学校の児童は13人とのこと。
黒潮の香りのする穏やかな島でした。

出航したハーバーから約150km、片道12時間の航海でした。
もしも公共交通機関を使っていたら、宇和島まで5.5時間、そこから1日3便の高速船で1h。朝6時に出発したら到着は16時過ぎ。
そういう距離の島です。
出港は22時。周防大島と本州を結ぶ大畠の潮のタイミングと、佐田岬の潮のタイミングを見計らって航海計画を立てましたが、ほぼ計画通り。
日の出を迎えたのは周防灘。島に到着したのは10時過ぎ。快適で気持ちのいい航海になりました。

海賊が最初に活発化したのは9世紀後半。純友の乱の100年前です。
寺社による大規模な塩田開発がおこって、海浜に住む住人が追い払われ遊民化したこと。内海の海上交通網が整備されたこと、四国北岸に影響力のあった大友氏、紀氏が政争に負け衰退することによって、四国北岸が物騒になったことなどが背景にあるとされます。
次の活発化は、大陸や半島で唐や新羅、渤海などが滅亡し、次の派遣を巡って日本にも外交使節が頻繁に訪れる時期と重なります。
その西瀬戸内海を征伐にやってきた藤原純友は、部下たちと一緒に海賊を率いて海賊大将軍となるわけです。
今でこそ映画やアニメでありそうなストーリーですが、それが現実であったというのは改めて興味深いです。
特に藤原純友は、摂関体制を確立した藤原忠平の親戚ですから、何かウラがあったのかも?とも思わせます。
東で独立国を目指した平清盛も同じく藤原忠平と近い距離にあったそうで、何がどうなってんだかよくわからない政治状況です。
藤原純友を説得して仲間となった海賊は、この豊後水道の海賊たち。佐伯や宇和島の海洋民たちだったのでしょう。
純友の記念碑をつくった山下汽船の宇和島出身山下亀三郎も、感じるものがあったのでしょう。この山下汽船で大暴れしたのが石原慎太郎のお父さん潔。彼もこの地方出身です。石原慎太郎の海賊っぷり、裕次郎の愛嬌は、この南予地方譲りかもしれません。ちなみに慎太郎の母は宮島の土産物屋の娘で、奥さんはうちの近くの広島市己斐で生まれていますから、広島にもそれなりの縁があるようでちょっと微妙な感じです。
慎太郎がこだわった尖閣諸島も、最初に島を活用したのは日本の海賊で、根拠地にしてたようですね。それが国有地になったわけですので不思議な縁です。

島ではぶらぶら散歩したり、じいさんと話をしたりして午後まで過ごし、夜は自転車で旅をしてる青年を誘って4人で会食。
民宿でお刺身をつくってもらって、いい時間を過ごせました。
5日が雨の予報だったので、旅程を短縮して翌4:00発。逆のコースで16時に寄港しました。

瀬戸内海にとって海賊とは?ということを考える旅となりました。
室町時代に入って瀬戸内海の海賊が活発化し、明などとの貿易船は瀬戸内海を嫌って四国を廻って紀伊水道から近畿にアプローチするようになります。それで栄えたのが堺の町。ここでキリシタンが上陸し、ポルトガル文化との融合が図られますし、町外れの禅宗寺院から茶道が商人に伝わります。この堺の繁栄を、城下町につくりたくで秀吉は大坂城下にベネチアのような埋立地を作り堺の商人を引っ越させます。
この大坂の城と城下町をモデルに、吉田から太田川の浅瀬に引っ越したのが当時の五大老毛利輝元。岡山も江戸も金沢も同じように大坂をモデルに都市計画をし、今でもその成功を享受しています。海賊の玉突き現象が都市計画全盛期を生み出し、江戸時代の商業をインフラとして支えてきたのでしょう。瓢箪から駒とはこのことかもしれません。
広島では、港であった舟入、堀が道に変わった流川、堀川、並木は、今でも繁栄の痕跡を残していますね。
話が完全にそれたので今日はこのへんで。

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