伊勢・志摩

昨年末に、伊勢志摩地方に行ってきました。
伊勢といえば伊勢神宮。
伊勢神宮は、日本建築洋式のルーツの一角を担う興味深い建築なのですが、残念ながら一般のルートでは建築そのものを眺めることはできません。
しかし、内宮、外宮それぞれの近くに、アマテラスの弟である月読のミコトを祀った月読宮(月夜見宮)があり、ここも伊勢神宮のように式年遷宮を行う神社ですので、伊勢の建築様式に触れることができます。
年末でしたが、内宮も外宮も大変な人でしたが、月夜見宮はどちらも数人しかいなくて、すっきりとした空気感と、美しい建築を体験することができました。
アマテラスが太陽で月読が月。スサノヲが大地といったところです。
神社建築が作られるようになったのは、仏教と仏教建築が輸入された時で、仏教に対抗して作られたと思います。
それまでは、地鎮祭のように仮設の祭壇をつくってお祀りをしていたようです。

本当に重要なのは、建築ではなくて建築の中にあるイメージのようなものです。
20年に一度建て替えるいわば仮設であるから、建築や浮世がはかなく、逆にイメージが強く印象づけられるという仕掛けだと思います。
建築をつくること、建築を建て替えることを考えさせる面白いイベントですね。
内宮と外宮、月読宮(内宮の近く)と月夜見宮(外宮の近く)の4箇所意外に、近隣にも式年遷宮する神社がありますので、常にどこかが建築してるという状況です。

石見〜長門紀行その3 千畳敷

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三日目は、千畳敷が最初の目的地です。
ここは、阿蘇の草千里のようなゆるやかで広い草原から海や遠くの海岸、中国山地など180度広がる眺望が望めます。
風は強いですが、テントも張れるようなので、ここをこの日の宿営地にしました。
夕食は、中一の息子がつくったバーモントカレー甘口。魚が無い食事も久々ですが、美味しいカレーでした。

翌日は、川尻岬や角島にでも行こうかと思っていたのですが、長門地方を十二分に堪能したので、お昼までゆっくりして帰途につきました。

石見〜長門紀行その2 萩、青海島

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2日目は、海岸を散歩したあと、萩に向かいました。
萩に入る手前、魚市場に隣接する道の駅があったのですが、、、すごかったです。
とりあえずお昼は、ここで刺身とお寿司を買って、萩の砂浜で食べました。
やわらかな甘みがとても美味しい。

僕は、朱子学や尊王攘夷運動は好きじゃないので萩の史跡はスルー。
桂小五郎は嫌いじゃないので、桂の生家の前はレンタル自転車で通り過ぎました。
以前、知人の作家が時々個展をやっていた彩陶庵さん。わかい作家がやってる坪庭のある雑貨屋さんなどを覗いて、この日の宿営地を探しにスタート。

最終的には、仙崎のさらに先にある青海島にテントを張ることにしました。
この日は、胸にゼッケンを付けたランナーがあちこちで走っていて、とてもひとグループとはおもえないほどあちこちを走っていて不思議に思ったのですが、あとで聞くと、山口-萩往還マラニックレースとのことでした。3日間で走行距離250kmを走る人たち。一日平均80km以上。
足を痛めてしんどそうな人もいましたし、走る気力もなく歩いてる人も。年齢層も40〜50代が中心のようでしたから、体を壊さなきゃいいけど・・・と心配したくなるような雰囲気でした。

夕食は、再び立ち寄った萩の道の駅で調達した大きな大きなノド黒の一夜干しなど。
非常に美味しかったです。
温泉は湯本温泉。温度は低いですが、アルカリ性の源泉掛け流しで、体がすっきりするお湯でした。

石見〜長門紀行その1 益田、須佐

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今年のGWは、高速道路に車が溢れると予想されていました。
もともと観光客が多いところは好きじゃないし、行った道を引き返すのも面白くないので、高速道路が無い地域を縦断しようと思っていました。
当初は、霧島辺りから宮崎を北上して高千穂辺りまで行こうかと思っていましたが、九州道が混みそうなので、急遽以前から行きたかった萩あたりに行くことにしました。

先ずは浜田道を通って海岸沿いを益田に向かいます。
丁度、ギャラリーでガラス工芸作家の末國さんの個展があったので寄ってみたのですが、店が開く1時間前。
朝早く出過ぎたようです。山陰は近い。

次に益田のグラントワ。内藤廣設計。
石見の瓦をふんだんに使った建築で、島根の公共事業シリーズのほぼ最終作になるのではないでしょうか。
若干しつこすぎると感じましたが、鉄分が豊富な石見の風景を大きな結晶に昇華させたような建物です。
施設のおばちゃんは、この建築を大変な誇りに感じてるようですが、「とんでもなくお金がかかったんだよー」という言葉に若干の心苦しさも感じます。地元の人には、しっかり使いこなして欲しいですね。

その後、ホルンフェルスと呼ばれる断層を見に行きました。
海と海岸の風景は、瀬戸内では見られないものでした。
その後、須佐のキャンプ場に向かいました。
須佐は、スサノオにゆかりがある土地です。
大陸から渡来した一族の長であるといわれるスサノオは、出雲、石見の鉄との関連も深い人物です。
ユーラシア大陸を移動しながら技術を持って渡ってきた一族なのでしょうか。