うどん>エルネスト・ネト>うどん>若冲>観音寺>西条

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先週末、讃岐界隈に行ってきました。
先ずは丸亀の中村うどん。柔らかめの麺で美味しかったです。
次に猪熊美術館のエルネスト・ネト展。
ブラジル人の作家で、布の天幕で作られた曲面の空間に、さまざまな布とクッションによるオブジェ。
一度に入場できる人数は制限され、靴を脱いで体験する仕組みです。
基本的には寝転がるという感じですが、いじったり、かぶったり、転がしたりと言うものもいろいろあります。
天幕は上から吊られていますが、香料(クローブ、ターメリック)を入れたバッグが重り代わりになっています。
なかなか面白い作品でした。

それから、山下うどんに寄って、金比羅さんに向かいました。

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金比羅さんは、30年ぶりになります。
今回は、あちこち巡回してる若冲などの襖絵が、書院のそのままの状態で見れると言うこと。
公開するのは初めてじゃないかということです。
門前町はかなり停滞している感じです。特にアーケードの中は、美味しい和菓子屋さんを除けば、薄暗い感じ。なんとかなればいいなと思いつつ、参道を進むと、さすがに上り口のあたりは賑わっています。

若冲の襖絵のある部屋は、書院の上段がいわゆる若冲の間で、一面花だらけです。
今は金粉を振ってる絵になっていますが、当時は白い紙に描かれていたようです。なかなかイメージできないですが、身が引き締まるような空間だったと思います。
1月末までなので、是非お奨めします。

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翌日、観音寺と西条の光明寺(設計:安藤忠雄)と、民芸館(設計:浦辺鎮太郎)に寄って帰ってきました。
光明寺はプロポーションは微妙でしたが、綺麗に維持されている面白いお寺でした。
ここは浄土真宗なのですが、水をうまく活かしていて多少浄土宗っぽさを感じましたが。14時〜16時であれば、中を見せてくれるそうです。
民芸館は、倉敷紡績の工場が西条にある関係で、大原さんが援助して作った民芸館で、かつての松平家の藩庁跡地に建っています。
四国の瀬戸内海側は、永い繁栄と、高度成長期の工業化、そして産業構造の転換に苦しんでるという雰囲気はしますが、逆に古いものが手付かずに残っていますから面白いですね。

現在、田窪恭治が描き進めている椿の襖絵が完成したら、又公開すると思うので、今度はもう少し時間をとって堪能したい。

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西瀬戸内紀行その4

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夜中も小雨が降ってたけど、朝日がちゃんと出てました。
この日も5時半起きで出発。といってもどこも開いてないので、朝食を買って海が綺麗に見えるところを探す。
サイクリングセンターが開いてたので、そこでマップを入手。とりあえず国東の山を目指して登る事にした。
先ずは弥生時代の集落を再現してるという事で、ゲートの外から観察。(まだ開いてないので)
瀬戸内に面する浜から1kmほど内陸部で、稲作に適した開けた土地。
陸路は険しい山越えになるので、船でここまで来たのだろう。
茅葺きの竪穴式住居は、柱で持ち上げると今でも見かける農家とすごく近い。
夏の過ごしやすさと衛生面の改良を行ったという事だろう。
稲の人工栽培は、もともと雲南省の沼地ではじまった技術。沼なので、高床じゃないと生活する床面が確保できない。
それで、稲作の農業技術と高床の建築技術はセットであちこちに伝わったようです。
稲作は連作障害も起こらないし、カロリー対労働が大きいので、稲作可能な気候(梅雨が必要)と水(人口の沼をつくるので)さえあればどこでもできる。人類の生み出した農作物でも一番成功してると思う。
その象徴が高床建築なので、祀りや稲の保存に使われてるのだろう。しかしバリアフリー社会ということで、床の段差が悪役化されてる。稲も取れすぎて悪役。少し寂しいが次に向かう。

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とりあえず山頂付近の両子寺に到着。
いきなり墓地の看板。真新しい仏像や、拝観順路の強制。少し辛い気持ちになったけど気を取り直して古い建物や仏像を探す。
ここ国東半島は、八幡神の総本山宇佐神宮の社領だったので、八幡神とは何か?を考えるには丁度いい。
清和源氏の守り神で、国防の神様。東大寺の大仏の言い出しっぺで、銅による鋳造の技術も、半島や大陸への強いパイプもあり、仏教も神道も混合していながら、山伏系が強い。当然鉱山開発も関係してるだろう。
恐らく新羅系の渡来神でしょうね。韓国の慶尚北道に残る石の技術(大仏や石塔)にも近いものがあります。
そのうち調べてみたいと思います。

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文殊仙寺を見た後、富貴寺に到着。
浄土様式の建築で、ほんとに綺麗です。端正でシンプル、プロポーションも良くて、安定感と軽快さを兼ね備えてる。
全盛期の槙文彦という感じ。内部の色は失われてますが、もともとは朱に塗られていたようです。
宇佐神宮の宮司のためのものでしょうか。

さらに南に下がると真木大堂があります。ここの庭には、国東のあちこちから集められた石の塔や碑が集められています。
本堂にはかなり激しい仏像があります。その当時の仏教と人の距離感や役割のようなものが透けて見えてきます。

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次の熊野磨崖仏は、国東の仏教遺跡では最後になりました。
不動明王は古いようで、荒々しい表現ながらユーモラスな表情になっています。
大日如来は安定感と親しみにくさを感じさせるものです。こうした岩の崖面に彫る仏像は、やはり韓国でも見ました。
元々はガンダーラのギリシャ人の技術だと思うのですが、そうした先端技術の多くがこの半島に根付いているというのも、豊後地方の地勢的な重要性を物語っていると思います。

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なんの計画もなく大きな半島に入って、移動してたので、行動の無駄がやたら多かったですが、思ったより緩やかな山並みが続く土地は、漁業だけでなく、農業や林業でも栄えただろうとは思います。
翌日帰るつもりだったので、竹田津に近い半島の先のキャンプ場にテントを張りました。
それから前から気になっていた料理屋に魚を食べに。しばらく漁には出てないという事だったので無難に。
暗くなるまで、浜に降りて本を読んでると、向いにある姫島の山頂だけに白い雲がかかってるんです。
翌日は、キツネの格好で子供が踊る事で有名な姫島の盆踊りがあります。
家では植物が水を欲しがってるだろうなと思ってなんども躊躇したのですが、あの雲には何かあるんだろうと思う事にして一日延長することにしました。

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西瀬戸内紀行その3

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目が覚めたのは5時半。
涼しい砂浜を散歩して、身支度と、テントの撤収。
7時のフェリーに乗る。
船のあちこちに、いわゆるゲロ袋があるので、おかしいなと思っていた。港の外に出て納得。うねりと風がきつくて船が左右だけじゃなく、前後にも揺れる。まさに外洋という感じです。
この日は日曜日なのに、鯖釣りの船がたくさん出ています。
佐賀関に到着したのは8時過ぎ。鯖はおろか何か食べれるところはどこも開いてない。店が開くところは10時以降ということなので、泣く泣く南へ向かう。

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ほどなくお隣の臼杵の石仏群に到着。朝の気持ちのいい時間帯なので、絵も描いてみる。
ここができた時期は平安朝期なので、浄土系の仏像が多い。大日如来、阿弥陀如来。
みなさん穏やかでおおらかな表情をしています。

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その後、佐伯市内を通りすぎて鶴御岬に向かう。そこで恐れていたことが、、、
小雨がしとしと降り始めたんです。
週間予報で雨無しとのことだったので、雨の装備は無い。しかたがないのでゴミ袋を前掛けにして走る。
降ったりやんだりで、この日は夜まで降ることに。

佐伯市街を通りすぎて、海岸線の道を進む。
水がやたら奇麗で、あちこちにアワビやサザエをとったら違法だという看板あり。よほどいるんだろうな。
すごく奇麗な浜に一家族が海水浴。隣の浜にはじいちゃんがもぐって何か取ってる。
製塩の会社があちこちあり。美味しいそうな海水だから。
老後はここで塩作りもいいなと思いながら走る。

鶴御岬には展望台があるので行ってみる。人気はなし。自分だけ。
思わせぶりな階段があったので、昔の砲台跡にしては奇麗だなあと思いながら上る。
RC打放しのブリッジ状の展望台。
おっやってる。と思って定礎石を見たら、山口隆さん設計。安藤事務所出身のモダニストです。
眼下に灯台を見下ろし、強い波と風がよく見える。
岬は気持ちいいですね。
しばらく絵を描いたり本を読んだ後、北上。
途中、佐伯の道の駅で温泉と柿の葉寿司を堪能。
これが唯一の鯖体験となる。

国道10号線をひたすら北上。
この日の宿営地はいきあたりばったりで決めようと思っていたので、大分が近づくとなんとなく意識しながら走る。海や川のような水があるところが落ち着くので、結局ピーンと来ずに別府着。
とりあえず温泉に入って、再びスタート。この時点で7時半。
宿営地を見つけて、鳥の唐揚げを買ってご飯にしようと思ったのに、なんとなく決まらずに走り続ける。
派手な観光地だから、穏やかな水辺空間なんてないよね。
結局、杵築も通り越して、国東半島の南向きの砂浜のキャンプ場に到着。
松林の中のいい雰囲気。
小雨の中、テントを張り終えたのは9時半。この日の走行距離は277km。

西瀬戸内紀行その2

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松山観光港に降り立って、先ず南の伊予市に向かった。目的地は内子だったのですが、愛媛の西側の海岸線を見ておきたいということと、大きな幹線道路は避けたいという事が理由。原付はスピードが出ないので、びゅんびゅん車が走る道路は苦手なのです。
伊予市については事前のイメージも無く通ったのですが、どこもかしこも材木を井桁に組んで乾燥させてる。どうみても木材の積み出し港ですね。杉のいい香りがします。
通り過ぎて、内子に向かう山道(昔の街道でしょうね)に通りかかると、今度は杉林のいい香り。
生産と流通と町の成り立ちは非常に分かりやすいです。

内子の町はすごく感じよかったです。古い建物が集中的に残っている場所は、あちこちありますが、普通に奇麗に暮らしているところはなかなか無いです。ちょっとしたすだれの掛け方、ちょっとした花のいけ方。
しっくいも、白と黄のバランスも非常に上品でした。又ゆっくり来てみたい。今回は三回目なのですが。

大洲も三回目。これまでは鰻を食べた記憶しかないので、古い町並みを歩いてみることに。その前に伊予の海岸の魚屋さんが売っていたアナゴと炊込ご飯でアナゴ丼。大洲城の木陰で食べました。最高ですね。
大洲の町並みは、んんんという感じ。悪くないし、うまく使っているのですが、内子を見た後だとまじめな感じ。

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八幡浜に向かう途中、あまりの暑さにお地蔵さんの小屋で休息。ありがとう。

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八幡浜は、ジャコ天のみ。萩森商店が美味しいということで、そこではらんぼ天を買う。美味しかったし、その後、飯を食べそびれた時に、はらんぼ天が救世主に。
保内を通って佐田岬へ。
ちなみに、石原慎太郎、裕次郎のお父さんは山下汽船の重役だったのですが、このあたりの出身です。
明治あたりに栄えた町らしくて、海運も盛んだったのでしょう。
石原兄弟の独特の品のなさと、人懐っこさは、南伊予の気質なんでしょうか?
司馬遼太郎は日本で一番好きなのが南伊予の人らしいです。

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佐田岬ではいきなり原発。道の駅があったので入って展望台に上がっても原発鑑賞。
どう考えても、活断層地帯なんですが。佐田岬は、九州の巨大火山の痕跡の阿蘇と、フォッサマグナをつなぐ東西の中央構造線の活断層の大動脈です。迷惑施設は人がすんでないところにつくるしかないので、しかたがないのかもしれないけど、、、確かに、地盤が堅固で広々した敷地で、天災や地震に遭う可能性が低い土地なら、縄文時代から人が住んでるはず。万単位の世帯を移住させるということが、日本では不可能なので、どうしても本来建物を建てるべきじゃないところに、こうした物が建つということになってしまうんでしょう。
同じ岬でも、なぜ瀬戸内側なのか?なぜ太平洋側じゃないのか?という疑問があったのですが、現地に行って納得。波が猛烈に強いんです。岬の南側と北側ではまるで違います。

ほんとは佐田岬のあちこち寄りたかったのですが、岬の先端を目指しました。
岬の先端からぐるっと海を見渡すと、豪快な風景が広がっています。
海の向こうに、佐賀関が見えます。しかも、その狭い海峡に向かって太平洋の黒い荒波が迫ってきます。
風も強い。風力発電の巨大風車もたくさん立ち並んでいます。すごいとこです。

ウニ丼を食べて、日暮れ前に三崎港の近くのキャンプ場に到着。
初日はとにかく走って通り過ぎたという感じでした。走行距離192km。