【韓国6日目】広島に帰る

朝起きて荷造り。
いろいろ買い込んだものが果たして持ち帰れるか心配だったけど、なんとかなりそう。
リムジンの乗り場も旅館の目の前なので、実際に持ち運ぶのは、距離としては大したこと無い。

朝食はバス停の近くの店を見てたら、粥の店があったので、入ってみた。
僕は、釜山に行くと決まってから、とにかくアワビの粥が食べたくてしかたがなかったけど、ソウルの最後にメニューに載ってるのも何かの縁だろうと思って頼んでみた。
済州島の本を読んで食べたくなったのが悪かったみたい。
粥を隠すほどアワビが乗っているという済州島のアワビ粥とソウルのアワビ粥は別物だった。
生椎茸が粥に浮いているのかと思ったらアワビ。
それもそうだよなーと思いながら、今回の旅を振り返る。

そもそも、韓国や日本に近いアジア諸国が大好きなのは、日本の歴史と文化に接点があるから。
韓国は、意図的に見せかけようという意識が無く、何をするにしても表現がストレートだから、日本の文化との共通点や相反する点を非常に見付けやすい。
奈良時代の白村江の戦いまでは、ほとんど二人三脚で歩んできた両国が、離れている間にそれぞれ成熟させた文化が、時々相互に影響を与えてきた。
特に千利休が生み出した侘寂の美学と建築様式は、両班住宅など当時の李朝文化なくしてはあり得なかった。

しかし、今回は多少あざとさは見受けられたが、相変わらず韓国はストレートに走ってるなというのが感想。
結構体力使ってしんどかった面もあったが、一緒に走ってみて、東アジアの未来の姿が、ちらりと見えてくる。
30代も中盤のせいか、ソウルよりも田舎がいい。
安東とその周辺は、すごく気持ちがいいです。

是非行ってみてください。

麻と紙と牛と赤唐辛子とチムダクとコンククスと両班住宅と仮面劇がある町です。

【韓国5日目】最終日

この日は、少しゆっくり目に起きて、朝ご飯を食べに行った。
牛の骨を煮込んだソルロンタンの店でソウルでは一番と言っていい老舗。
朝食にいいと日本のガイドブックに書いているせいか、日本人が非常に多かった。

それから、仁寺洞をぶらぶら。
仁寺洞は、王宮に勤めた両班達の屋敷があった地域で、蔵の骨董品を並べたり、広い屋敷を旅館にしたりということからスタートした町。
古いものはほとんど省みられないソウル(騎馬民族は皆そうだが)では、唯一といっていい古いものや伝統的なものを扱う町。

ここも数年ぶりだったが、随分かわった。
伝統的なものが商品化されたという感じ。観光客が求めるし、韓国人も伝統的なものに関心が出てきているみたい。

しかし、両班の里、安東や河回邑からやってくると、どれもが小綺麗で高い。
しかし現代美術の画廊があったりするし、面白い建物もちょこちょこでいている。
あちこちに寄りながら、小物をお買い物。

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その後、さすがにばてて、宿で昼寝。
子どもも調子悪いし、警察に盗難証明書をつくってもらいに出かけることに。
電話で確認すると、ソウル駅前の警察署で一括して旅行者用の盗難証明はつくるとのこと。
地下鉄でソウル駅まで行ってみた。
この日は、丁度60年目の光復記念日(日本では終戦記念日)。
鐘路というと、王宮の前に広がる地区で、前面の道路は歩行者天国になって15日は一日中イベントをやってたみたい。
昨夜も夜中に花火をすごい量あげて、歌も歌っていた。
日本は幸いに植民地になったことがないので、独立記念日的なイベントはないから、さすがにピーンとこない。

これで8月15日にソウルにいるのは3回目(なぜか)なので、町中に戦闘警察(機動隊)が充満して、労働組合がデモをする光景もみてきたけど、今年は違った。
南北統一を呼びかけるブルーの朝鮮半島のマークのチラシや資料を配っていた。

そうした状況なので、警察署に行っても、カウンターに韓国語しかわからない警察官が一人いるだけなので、お互い困ってしまった。駅前の交番にたらい回しにされたら、駅前でもイベント。
交番で森喜朗に似た警察官に無理矢理証明書をつくってもらって、やっと宿に帰れた。

夕方になったので、東大門市場にカーテンに使う麻(中国製)を買いに行った。
運良く麻を扱う店が開いていて、しっかり値切って、バズーカー砲のようなロールを又持ち帰ることに。

夕食は宿の近くの店で、大好きなサムゲタンを食べた。
これまで二度ほどつくったことがあるが、又つくりたい。

それでもう燃料切れ

【韓国4日目】ソウルへ

河回邑始発のバスは7:15だったので、早起きしていたおばばに挨拶したら、門まで送ってくれました。
最後まで、女当主としての威厳とプライドはしっかり保ったまま、威勢良く送り出してくれました。
安東に帰ってバスに乗って、ソウルを目指しました。
ソウルに着いたのは11:30。
そこで二日間宿泊する旅館を探しに鐘路に行こうと鉄道のホームに立ったときに、デジカメケースのファスナーが開いてることに気付きました。
ターミナルの職員にも、バスを掃除したおばちゃんにも、運転手にも聞いたのですが、出てこず。
すられたのでしょう。
200枚以上撮った写真が残念。

気を取り直して、鐘路に行き、目星をつけていた旅館で空き部屋を聞いた。
運良く空いていたのですが4階だったので、無理矢理2階に買えて貰い(大砲のような紙を持っていたので)、とりあえず町に出た。

この日のメインは、サムソンの現代美術館。

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Japan Design Netによるレポート

サムソンの財力をまさに見せつけるように、マリオ・ボッタ、ジャン・ヌーベル、レム・コールハースの三人による自社のコレクションを展示する美術館となっています。

ボッタの韓国の伝統芸術館は、中央の真っ白のシリンダーの中心に闇の中に浮かぶ器や金属器が非常に美しい。
ヌーベルの建築は、韓国や欧米の近、現代美術。
内外装とも着色(酸化)されたステンレスでできています。
コールハースの建築は、企画展や地下の子ども用の展示館となっています。

美術の作品そのものはまずまずという感じですが、建築の密度がすごいです。
非常にソウル的な建築とも言えます。
息を抜く場所がない。ずーっとハイテンションのままという感じです。
一応予約制となっていますが、地元の人は普通に来ていました。

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【韓国3日目】河回邑のおばば

この日は、韓紙をつくっている豊山韓紙で紙を買って、河回邑に行くというコース。
朝食をお願いしていたので、板の間でお膳を囲んで食べた。
ごはんと、汁と、たくさんのキムチ類。どれも美味しかった。

バス停でしばらく待つと目指す11番のバスが到着。一応「ぷんさんはんじ?」と聞いて運転手に確認。外国人ということを認識させる意味もある。
豊山の集落が終点なので、歩いて工場に向かう。
異国の田舎をふらふら歩くというのは、妙な開放感があって気持ちいい。
観光客をまるっきり想定していないので、等身大のその国の風景と向かい合える。

いよいよ紙屋の売り場(収蔵庫?)に到着。
日本語を習っている社長の息子と言われる方が登場。日本語も上手だし、非常に好青年だし、仕事も熱心。非常に好感度が高かった。
壁に貼る紙は、厚めの紙になるので、種類は限られてくる。
漂白しているか/無漂白か。楮の黒皮が入るか。楮の繊維が入るか。
それぞれ楮の味がしっかりあって、非常に魅力的。
とりあえず100枚買って帰ることに。しかしこれを丸くまいたら結構なボリュームに。
しかし、最大の目的だったので、がんばって持って帰ることにした。船便だとえらくかかるし、航空便で送るほどのものでもないし。

その後工場を見学させてもらった。
楮を貯蔵し、煮て、漉いて、乾燥させる。
どれも非常にシンプルな工程。
工場と言うより、大きな工房という感じ。
職人さんは1日500枚漉くという。
こうした職人さん達の人件費が紙の値段ということになる。
機械で紙をつくる前は、紙は非常に大切なものだった。そういうことに気付かせて貰った。
豊山韓紙は、日本からも結構買い付けに来るらしい。韓国では一番大きな韓紙会社だし、原料もよくて品質も高いようです。
先日も日本からこられました。といって、中国の地名を・・・。おいおいと思ったけど、似たような印象なのかもと。書をやっている人が良く来るようですね。面白い紙がたくさんありましたから。

忙しいのに河回邑まで送ってくれるというので、お言葉に甘えることにしました。

見渡す限り豊かな水田の豊山地方を通って河回邑に到着です。
道路を工事しているし、前回よりもかなり観光地化した感じです。
前回は、韓国人にとって憧れの聖地みたいな印象がありましたが、今は観光地としての地位を確立した感じ。

でも、建築には手を入れることなく、大切に生活しているので、非常に嬉しかった。
なんとなくただいまといいたくなる感じです。
大好きな建物が一つの塊をつくっているわけですから。

大砲のような紙もあるので、とりあえず予約していた民泊に直行。
ネットで調べても、日本人の宿泊が一番多い「ジョヨンハン民泊」に泊まることに。
ここも観光案内所の崔さんに予約して貰いました。

河回邑に民泊はいろいろありますが、舎郎房のある宗家(本家)クラスのものは非常に少ないのです。
ほとんど藁葺きの農家です。
韓国は儒教的な先祖の供養が非常に熱心なので、宗家は単に財産を受け継ぐということではなく、祖先の法事をする義務も受け継ぐのです。
一族の神主みたいなものですね。だから年中法事をしてるようです。
それもあって、宗家が機能している両班住宅は、民泊にしにくいのです。

ジョヨンハン民泊は門が藁葺きで、建築はシャープなエッジの瓦葺きです。(写真が無いのが悔しい)
門の前の舎郎房(両班のオフィススペースですね)の横の小さな門をくぐると、広い中庭があり、女性が仕切るスペースがあります。
そこに、噂に聞くおばばがいました。
予約していたものですが、、、というと、あんた達の部屋には、まだ荷物があるから、荷物はここに置いて邑を見てきなさい!といいます。(最後までこの調子でした。)
はい。といって、邑を散策。

公開されているもので主要な建築は、、、、
養真堂、忠孝堂、北村家、遠志精舎
軽く再会の挨拶をする程度に見て回って、昼ご飯を食べに。
そこも民泊でもある両班住宅で、カルククスという豆乳スープのククス(細いうどん)を食べた。
店の主(両班の子孫)から、何処泊まっている?ここに泊まらないか?と聞かれたので、ジョヨンハンに泊まるというと、苦笑いして、あのおばばか?という顔したので、おばば五月蠅いでしょとジェスチャーすると、笑ってた。

ここは、河がUの字に曲がっている先端にできた邑なので河回邑とよばれている。
この河の向かい岸に、両班達がつくった精舎(遊びの建築)がある。
前回来たときには渡し船が廃止されていたが、復活したらしいので川岸まで行ってみた。
確かに簡単な桟橋と木製の船はあるが、人がいない。
岸に向かって適当に手を振ってたけど反応もない。

子どもと砂浜で遊んでいると、船頭さんらしき人が来て、乗れと言ったので乗ってみた。
丘の上の玉淵精舎は、シンメトリーを意識した建物で、非常にバランスの取れた配置と空間の置き方がよかった。管理はされていないので、綺麗じゃないけど、拭き掃除をして一日ぼーっとしてみたいものだ。

夕食はどうするか?ここで食べるか?とおばばが聞くので、何がある?と聞いたら、鶏一匹食べないか。美味しいぞ。食べろ。という勢いに飲まれて食べることに。
後で調べたら、安東の名物でソウルや釜山でブームだという、チムダクだった。
子どもは辛いの無理なので「アンメッケ」とさんざん言っていたのに、とどいた大鍋にはシシトウのような、真っ赤な大唐辛子ぶすぶすと突き刺さっていた。
辛くて甘くて鶏も美味くて最高なんだが、子どもはいじけてご飯だけ食べてる。
おばばに「メッケ」で子どもが食べるものがないというと、わしに任せろといって、塩鯖と小皿のものを持ってきてくれた。
さすがおばばだ。頼りになるなあと言って、安東名物でもある塩鯖を食べた。味は日本と一緒。
チムダクは、日本でも受けると思う。鶏を一匹使ったすき焼きのような肉じゃがのような甘辛の鍋料理。汁だけで三杯飯食べれるくらいです。

土日は邑に伝わる仮面劇をやっていて、夏は土曜の夜に宿泊客向けにもやるというので、松林に行ってみた。
安東の仮面劇は、両班に虐められた農民達が、両班を風刺したコミカルな劇をやることで、日頃の鬱憤を晴らしたという。両班は、河に船をうかべて花火をやったという。
先ず、金属楽器や打楽器の人たちが丸く円を描いて登場。小刻みな音で軽快な音は、島根県の神楽に近い印象。
その後あちこちの土産物屋で扱っているお面をかぶった役者が出てきて、音楽に合わせていろいろ演じる。基本的には滑稽話みたい。
子どもは馬鹿受けしてました。

宿に帰ったら、舎郎房のもう一つの部屋の人たちが裏庭で宴会中だった。韓国人のカップル2組なんですが、カセットコンロや鍋や米を持ち込んで、夕方からずっと宴会。

僕たちは、両班になった気分でぼーっと建築を堪能してるのに、地元の人は、単なる安い民宿でしかないのか。当たり前かも知れないけど納得。

この日も窓開けっ放しにして、蚊帳を吊って寝ました。