【韓国2日目】安東の臨清閣

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泊まった旅館は、ターミナルの隣の駅の真ん前だったので、5:30に旅館を出たら、すぐ列車に乗れて、予定通り6時発のバスのチケットを買えた。
朝一に安東に行くなら、非常にいい宿泊先かも知れない。
どうやら、ターミナルの地下や周辺に24時間営業のサウナがあるのですが、結構そこに泊まる人も多いみたいです。

バスの時間待ちにコンビニに寄ったておにぎりを買った。案の定二つに一つは赤い具だった。
開封も日本と同じ。

安東は、前回行ったときは高速道路が工事中だったけど、今回は完成していたので、非常に速く行けた。こういった工事は韓国はびっくりするくらい早い。
確か5時間半かかっていたのが、今回は3時間弱。
この差は大きい。

なので安東に着いたのは朝の9時。
旅行の移動は早朝に限ると実感しました。
そこで、駅前にある観光案内所に行く。
そこの崔さんに、宿泊の予約や、安東や河回邑のことを教えていただいていたのです。

宿泊予定の部屋は空いているので、行きましょうと、車で送ってくれました。
臨清閣は、1515年に建てられた、現存する住宅で最大のものです。(当時の総理大臣の第6子が建築)
最古というのは、秀吉が片っ端から焼いてしまったので、それ以前の木造建築はほとんど残っていないようですね。
当時は今の倍の長さ(99間)あったのですが、日本が鉄道を通すときに、庭を横切るようにあえて設定して、半分になったそうです。それでも最大なので、昔がいかに栄えていたかがわかります。
昔は、目の前に流れる洛東河にダムがなったので、もっと河床が低く、鉄道もなかったので、川から道を伝って門まで登ってきていたようです。
今回、ここと河回邑でこうした両班住宅に泊まることにしていたのですが、非常に重要視したポイントが、舎郎房に泊まるということ。
韓国の両班住宅は、主である両班(官僚)のスペースと、家族のスペースと、従業員のスペースに別れています。それを中庭が繋いでいるのですが、特徴は夏の生活スペースである開放的な板の間と、冬の生活スペースであるオンドル部屋が交互に配置されています。
その両班が暮したオンドル部屋に泊まり、板の間でのんびりすると言うのが、僕のささやかな夢だったし、今回是非実現したいことだったのです。

その臨清閣に行くと、僕たちが泊まるスペースに案内して貰ったのですが、舎郎房でした。
板の間で、崔さんといろいろ話をしたのですが、この建物の戦時中の主は、中国でつくられた亡命政府の初代大統領だったとか。
僕たちが泊まる前日には、この建物で光復60周年のイベントをやったということでした。
なかなか日本人としては非常に居づらい建物のような気がしますが、気持ちを明るくしないと、国際交流できないので、部屋にあった額に、先祖が迷惑かけたと家族で手を合わせました。

すごく気持ちいいので、たまたま買ったスケッチブックと絵の具で、家族交代で絵を描きました。
それから、建物見て回って、ご飯を食べに行くことにしました。

旅行中は、以外とお腹空かない上に、あれこれ買い食いするので、食事のタイミングとお腹の空き具合の調整に非常に苦労します。
この日は、夕食はそれほどお腹空きそうもないので、お昼に牛を食べることにしました。
町までは徒歩20分くらい。
途中の骨董屋で、台付の小皿と、真ちゅうの皿と匙と、麻の糸を買う。
店主は高倉健そっくりで髪型も同じ。シャイな人なのですが、店に入った瞬間から子どもをすりすりさわる愛嬌のある人でした。

目指すは、「ソウルカルビ」と言う店。崔さんお奨めの店です。
カルビも美味しかったし、ククス(うどん?)も美味しかった。
白飯を頼んでも、小鍋にチゲが出てきて混ぜて食べろと言われました。普通に白飯を食べないのかな。

さて次は、町を横断しながら、「安東布(あんどんぽう)」と呼ばれる麻布を買いに行きます。
前回も少し買ったのですが、妻は箪笥の肥やしにしていたのでした。
今回は、機織りもはじめたことですし、ちょっと覗いてみようかというつもりで、麻問屋に行ってみました。
あれこれ韓国語と日本語を応酬するなかで、こちらは少し買いたい。向こうは切らずに売りたい。
ということに気づきました。それで、一番小さなロール(女性用の半袖のブラウス2着分)を買いました。(後でソウルの東大門市場で聞いたらそうるの1/4倍でした。)
熱を吸い取るし、肌ざわりもいいので、安東布は韓国でも超高級の素材として扱われているようです。
確かに、中国製とは全然違います。
何が出来るか楽しみにしましょう。

それから、2と7がつく日は市が立つので、市場をぶらぶらしました。ニンニクや赤唐辛子が結構出ています。これも名物らしいですね。
確かに安東のキムチは、刺すような辛みがありました。

夕方になったのですが、お腹空かないし、宿でのんびりしたいので、市場で色々買って夕食にしました。
板の間でご飯をたべながら、だんだん暗くなっていく情景は非常に気持ちよかったですね。

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臨清閣 http://www.imcheonggak.com/

【韓国1日目】ソウルの夜

仁川空港に着いたのは夕方でした。
とりあえず両替して、携帯を借りて(1日200円)たが、初日何処に泊まるかは決めてなかった。
翌朝、安東に朝一に行きたかったので、バスターミナルから始発のバスに乗る予定にしていた。
バスが6:00発。しかし地下鉄が動くのは5:30
安東行きのバスが出るのは、東ターミナルだけど、前回の記憶では、周囲は高層ビル街なので、ターミナルにつきものの旅館街は無さそうだった。子連れで初日に彷徨うのもなんなので、韓国観光公社に聞いてみたけど、よくわからないみたい。ロッテワールドの川向かいなので、高級ホテルは二つくらいあるのだが、初日は寝るだけなので、もったいない。
それで、とりあえず行ってみようと言うことで、ターミナルまで行ってみた。
やはり無いので、鉄道沿いを歩いて行くと、次の駅周辺が繁華街になっていて、「旅館」とハングルで書かれた看板がいくつかあった。
ほっと一安心。
若い頃は、バックパック背負って、少しでも条件が良くて安い宿を探すというのは、旅の当然の儀式と思っていたけど、もう無理だなと思った。

宿は、いわゆる韓国の場末の旅館。3万5000Wだったけど、3万Wに負けてもらった。
韓国は4回目だけど、しゃべれる韓国語は、「空室あるか?」「いくら?」「負けてくれ」「美味しい」程度です。あとは、目を見ながら体で表現すればなんとかなります。
しかし言葉は覚えるのが苦手です。

ご飯を食べたくて町に出たけど、結構美味しそうな焼き肉屋がいっぱいあって、いろいろ覗いてみた。
翌日には牛肉が名物で物価も安い安東に行くので、牛の焼き肉はやめようとの判断で、看板に豚の絵が描いてある焼き肉屋に入った。
看板と本を突き合わせても、なかなか一致するハングルが見つからないので、客が多いかどうかと、実際食べてるものを参考にするしかないのは、他のアジアの国と同じ。

豚の焼き肉もいろいろあったけど、頼んだつもりのものじゃないものがきたけど、美味しかった。
下味付の豚カルビなんですが、肉が非常に軟らかくて、美味しかった。店のアジュマは、伯母によく似てた。
他にも頼みたかったけど、メニューも読めないし、身振り手振りも伝わってなかったので、ピピムパプとネミョンくれと行ったら、ネミョンは隣の店から持ってきて貰った。あとでレシート見たら計上してなかったので伯母ににてたアジュマが、妻にビールをひっくり返してこぼしたお詫びかも。

翌朝のための買い物をするためにセブンでオレンジジュースを買った。
レジにはお兄ちゃんとお姉ちゃん2人がいたけど、日本人とわかって、嬉しそうに反応してた。
このあたりでは珍しいのだろう。

【韓国0日目】出発まで

そもそも韓国に行こうと思った理由は、現在建築中の自宅の壁に、韓国の紙を貼ろうと思ったからです。
韓国の古建築のオンドル部屋は、床が茶色い油紙で、壁と天井が韓紙を貼っています。調理の熱を床下に入れて暖房するので、床は一酸化炭素の侵入を防ぎ、壁と天井はすきま風を防ぐように考えられています。

数年前に行った安東は、慶尚北道に位置し(三国時代の新羅)、日本では出雲と深い縁がある地域です。
慶尚道は、統一新羅から李朝の間、政治家を多く出した地域で、独立後も長く政界を握ってきた地域です。安東は中でも名物が両班と言われるくらい、有力な官僚を生んでいます。(ちなみに韓国は日本のような封建制ではなく、官僚制だったので、いわゆる大名はいない。)

その安東の名産である韓紙と、麻布を買いに行こうというところからスタートしたのです。
最初は、広島市唯一の海外との交通機関であるフェリーで行こうと思ったのですが、出発する一週間前に老朽船の機関が壊れたとの連絡があり、飛行機で行くことにしました。(結局、航路は廃止になるとのこと)

気を取り直して、旅程を変更し、安東に2泊、ソウルに3泊することにしました。