源義経とアイヌとイザベラ・バード

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、脚本家の腕が素晴らしく、歴史的な史実をうまくエンターテインメントとして作り上げています。特に、菅田将暉の源義経は、これまで演じられてきた源義経のイメージを塗り替えてしまった感じです。

源義経伝説は各地に残っているようです。武力に特別秀でていた八幡太郎義家のひ孫で、当時の常識を覆す戦術は、驚きと共に強さとして歴史に残っています。

明治初期にアジアを旅して、貴重な書物を残したスコットランド人地理学者のイザベラ・バードは、「日本奥地紀行」の中に北海道を訪れたときの記録を書き記しています。

「副酋長が私に、病人に対して親切にしれくれたことに対するお礼として、外国人が今まで誰も訪れたことのない彼らの神社に案内したい、と言った。
「ジグザグ道の頂上の壁ぎりぎりの端に木造の神社が建っている。」「明らかに日本式建築である。」
「棚には歴史的英雄義経の像が入っている小さな厨子がある。」「義経の華々しい戦の手柄のためではなくて、伝説によれば彼がアイヌ人に対して親切であったというだけの理由で、ここに義経の霊を絶やさずに守っているのを見て、私は何かほろりとしたものを感じた。」

とあります。
日本建築の神社であることから、いつの時期かに建立したのは東北地方から来た日本人なのか。アイヌ人に親切であったという伝説は、判官贔屓の私たちにも嬉しい伝説ですが、アイヌ人に親切にしたイザベラ・バードがここに招かれたこともまた興味深いです。

世界一周に向かうNakula

広島の観音マリーナに入港したNakulaの広島湾を周回する短時間のクルーズに乗せてもらいました。
Nakulaは、これから5年をかけて世界一周に向かうカタマランのヨットで、全長70ftもある最大級のもの。
停泊できるマリーナも少ないうえに、カタマランであるために幅も広くて、運用には大変苦労しそうです。しかし、屋内外のキャビンの広さや、デッキの安定感など、大変すばらしい体験でした。
有志がメンバーとなって購入して、交代で乗り降りしながら世界の様々な海を巡るようです。

東南アジアからインド洋を通って南アフリカへ。大西洋を北上して地中海で一年半過ごし。再び大西洋を横断してパナマ海峡を通って南太平洋の島々を巡った後に、東南アジアでゴールインの予定だそうです。
海が違えば空も、風も、植生も、人も変わると思います。
たくさんの港でも、多くの出来事があると思います。
すばらしい航海を祈っています。

似島

似島の國田鍼灸院の國田さんが、昨年似島ではじめての民泊「くにへいハウス」を開業されたので、やっと泊まりにいくことができました。ちょうど一年前に申請の相談があって、お話を聞いたり、建物の実測図を作ったりして、秋に無事開業。
開業したら泊まりに行こうと思っていたら新型コロナの流行で、今の時期になってしまいました。

似島に最初に行ったのは20年近く前。1万トンバースで知人と音楽のイベントをやったときに、ちょうどクリスマス時期だったので収益金をどこかに寄付しようとなり、目の前の島に児童養護施設があるから絵本と図書券を買って持って行こうとなりました。
児童養護施設について少し知ることができたことは、何よりの収穫でした。

その後、民泊の調査で二度目、今回は三度目で初めて観光という目的の上陸になります。
似島港の前には、ウエルカム似島という案内所があり、情報提供やレンタサイクル、釣竿のレンタル、バームクーヘンの体験などができます。
くにへいハウスは、港から右に向かって徒歩3分くらいのところにあります。

島を一周する道路を進むときれいな砂を整えているビーチや、再生の作業中の元キャンプ場があり、山をくりぬいてる元軍用トンネルもあります。
似島港の裏側に、日清戦争後の元検疫所、日露戦争後の捕虜収容所の跡地。現在の学校や少年自然の家、似島学園などがあります。
似島学園の庭には後藤新平の銅像があります。島の二箇所目。
日本の歴史上最も優れた行政マンの5本指に入るような人物。

鍼灸では、長年の腰の問題の原因をピタリと指摘してもらい、その後、アドバイスしてもらったストレッチを続けて調子良くなっています。
現役のバスケの選手兼監督でもあり、とてもすっきりした治療と納得できる説明をしてもらえました。

広島湾で二つ目の遊べる島。
というキャッチフレーズを流行らせたいのですがいかがでしょうか?
フェリーで20分の島の民泊に泊まって、島をサイクリングしたり、山に登ったり、ビーチで遊んだりした後に、鍼灸の治療を受けてリフレッシュできるのはなかなかいい遊び方だと思います。

瀬戸内の島

お盆に祖父母や先祖のお墓参りに行ってきました。
とびしま街道を渡って愛媛県の小さな離島へ。
陸路は広島県とつながっていますが、生活の軸は四国の一部として機能しています。

子供の頃、盆踊りで賑わった神社はひっそりと駐車場になっています。
祀られているのは大三島の大山祇神社の大山津見神の娘である木花之佐久夜毘売です。富士山の御神体と同じ。
島の裏側には、大崎上島と向かい合っていて、西方面から大三島に向かう水道を構成しています。その水道に面した岬に前方後円墳があります。

空き家となった祖父母の家はもちろん、集落の多くに生活の兆しは失われています。
子供の頃から年に何度も遊びに行っていた集落を歩くと、当時の顔見知りのおばあさんたちの声や笑顔が目に浮かびます。
何軒かの家から生活の音が聞こえてくると、ほっと喜びがこみあげてきます。

それでも島の若手の人たちは、ブランド鯖や、柑橘類の加工食材を活用したチャレンジをして未来につなげる努力をしています。
昔の記憶を大切に思うかぎり、今後も足を運び続けたいと思いました。