阿波踊りヨットレース

知人から以前から誘われていた阿波踊りヨットレースに、今年始めてクルーとして参加できました。
以前予定していたときは、レースそのものが中止になったり、仕事が忙しくて盆休みがなかったり、、、
噂に聞く楽しいレースとのことなので、すごく楽しみでした。
タモリに早稲田でヨットを教えた方が始めたレースで今回で46回目になります。

往きは同窓会とかぶったので、バスで現地に。
前夜祭、レース、広島に回航という4日の旅です。

徳島まではバスで一日二便、4時間。
県庁の前の川が、ケンチョピアと呼ばれる伝説の係留地になっていて、大会事務局も、ゲストの係留もそこになっています。
駅から歩いて県庁まで行く途中、阿波踊りが始まって二日目のせいか、夜のためにひっそりと息を潜めてる街の空気を感じます。

前夜祭では、野外で立食の後、奴連さんの踊りと、翌日のための練習がありました。
はじめての阿波踊りなので、かなり興奮気味。
その後、市役所前演舞場に観に行きました。
世間ではいろいろニュースになっていた総踊りは、この日の夜にあったようですね。
当日券をコンビニで買っていったのですが、自由席のみ。指定席には空席がありました。このあたりも改善の余地はあると思います。

レース当日は、暑く、適度に風が吹くコンディション。
60艇ほどの中で、最もレースに向いていない高級クルージング艇なので、制限時間までに完走することが目標。
ウミガメを見たり、下りでかなり吹いてパニクったりとかなりドラマはありましたが、なんとか完走。
そこでオーナーは帰っていったので、クルー仲間と阿波踊りに。

ヨット連という連で参加するようなので、ハッピを着て演舞場に行き、嬉し恥ずかしの初阿波踊り。
まさに、踊る阿呆そのもの。
いやー楽しい。

翌朝、3時半に真っ暗なケンチョピア発。
昨日の午後の風の状況から、この日も吹くことは予想してたけど、徳島港を出て紀伊水道に出て、猛烈な波、風、うねりに遭遇。台風が四国沖を通過したときの南風とそれが引き起こした波なのだろう。
鳴門の潮が止まる6時15分に通過することから逆算してるので、南から押されるように、2〜3mの波にもみくちゃにされて2時間。
落水すると見つからないだろうし、すくい上げることもできないだろうから、とにかく落水をしないように、雨の中をしがみついて見張り。
引き返しても、近くの漁港に入っても、いいことにはならないという判断で、予定通り鳴門を通過。
鳴門を超えると、水面は突然穏やかになり、なじみのある瀬戸内の景色に戻ってきた。

その後、弓削島で一泊し、母港である江田島沖ノ島に無事寄港。
20時間の船旅でした。

吹屋

週末に、備中地方を廻ってきました。
まず行ったのが弁柄で有名な吹屋地区。
朝早くて人のいない町並みが驚くほどきれいでした。

建築や焼物などの塗料に使われる弁柄や、銅の算出、加工、流通で栄えた街です。明治初期には倉敷と並ぶ繁栄をしていたようで、市になるのが倉敷が先か、吹屋が先かと言われていたようです。
日本は資源がない国だと教わってきましたが、埋蔵量と生産性の問題ではないかと思います。
金も銀もかつては大量に出ましたし、輸入しなくてはならなかった鉄も、砂鉄を利用した国産化にも成功。
4つのプレートがぶつかる地震国なので、地下深くの鉱物が採掘可能だったということでしょう。

  

  

  

  

 

二里の松原:唐津

唐津の虹の松原に行ったとき、近くでレンタル自転車を借りれたので、自転車で松原を走ってみました。
もともと二里の松原と言われていたようで、徒歩で2時間の距離なので端から端まで8km。
結構な松原でした。松原というよりも松林。シートン動物記に出てきそうな。
散歩している人が数人。自転車は僕たちだけ。
途中のからつバーガーは、ライダーや車でかなり賑わっていましたが。
整備もほどほどなのがよかった。

北西の終端へ

平戸島と生月島を結ぶ橋からの日の出でスタートした。
生月島は、平戸島の先にある陸からつながる最北西端の島。その最北西端の灯台を目指す。
南から到達する海流がこの角を曲がって日本海に向かう場所です。
ちょうど、突風が吹く天気だったために、海も白波が立っています。この海を風に向かって走るのはかなりしんどい。怖い。そんな海ですね。遣唐使船は途中で沈むことを前提に、複数の船で出発したようですが、その気持ちわかります。
生月島の厳しい自然に晒されている島の西側をそのまま保存してくれています。
集落は風を避けるように、平戸島との海峡に向かっていくつかあります。

平戸島では、最南端の宮之浦に向かいました。
この港は、本州から陸路で行ける最西端の土地。最西端の港。そこの小さな丘の木立の中に、小さな神社がありました。
エビスさんを祀っていました。
豊かで厳しい海と対峙する漁師の安全を守ってきた風格があります。

平戸の城下町に入ると、目の前には非常に穏やかで、風や潮の影響も少ない湾が広がっています。
海難も珍しくない地域では、恵みの港だと思います。
が、元寇では対馬、壱岐の次に襲われたようですし、その後の倭寇ではかなり活躍もしたようです。
海で生きていく厳しさも味わってきた土地なのでしょう。