エオラス

エオラスが沈んだ。

ヤマトが古代と森と一緒に沈んだ時、ホワイトベースがアバオアクーで沈んだ時と匹敵するような衝撃的な事件です。

エオラスは、比企さんがアメリカから持ち込んで長い時間をかけて外洋で安全に航海できるように育てた船。
これが沈んだというということは、よほどの状況だったと思います。

何かが船体に衝突し、船を放棄しなければならない状況で、二人が無事に帰還した。
100点満点の結果だと思います。

辛坊さん自身の前のヨットは、エタップというフランスのメーカーのもので、船体に発泡体を埋め込んだ沈まない構造で有名でした。
辛坊さんは、過剰と思えるほどの安全に対する配慮をしていた人なので、船を放棄するという判断は、早く、正しいものだったと思います。

あのような不幸な事故に会いながら、視覚障害のあるパートナーを確実に救出に導き、家族の元に送り届けるという以上の成果はあり得ない。
もしもエオラスじゃなかったら。辛坊さんがパートナーじゃなかったら。
もっと悪い結果だったかもしれない。

日本社会は、結果だけで賞賛したり叩いたりする傾向が強いですね。
ナイス トライ!ナイス チャレンジ!
なかなか聞けない言葉です。

堀江さんが初めて太平洋を横断した時も、日本社会は犯罪者として扱い、アメリカは英雄として扱いました。
もしもサンフランシスコ市が名誉市民にしなかったら、今でもマスコミは犯罪者扱いしてたかもしれない。考えただけで背筋が凍ります。

今回の事故で、我々の子どもたちが、トライしたり、チャレンジしたりすることに躊躇することのないような社会の雰囲気になることを期待したい。

ブラインドセーラーであることが今回の事故と関係がないと思いますし。
太平洋など航行する大型船は、近づいてみると、船体は衝突痕でボコボコみたいです。
東北の瓦礫の影響も大きいかもしれない。

藝人春秋

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今朝、早く目がさめたので水道橋博士の「藝人春秋」を読みました。
水道橋博士は、youtubeの「博士も知らないニッポンのウラ」「博士の異常な鼎談」で目に止まった人物。
ゲストを読んで話を聞く、インターネット番組ですが、ゲストの質がいい。
サブカル好きで、80年代に思春期だった世代には非常にツボにハマる内容だった。
通常の対談番組は、ゲストのいいところをゲストに都合よく引き出すものが多いが、この番組は、水道橋博士のしっかりとした事前準備(資料の読み込み)と絶妙な突っ込みで、知的な笑いを生み出すものでした。

特に傑作だったのが、苫米地さんの最初の回。
「藝人春秋」でも触れられていたが、苫米地さんの延々と続いた自慢話の後に、いかがわしい着メロの話を突っ込む。
苫米地さんのうろたえながらの切り返しも見事。

「藝人春秋」は、ネットの「博士の〜」の世界観をそのまま文章にしたもの。
作りこまれた文章と選ばれたエピソードは、短い時間で読み進ませて、涙とともに心地よい読後感を生み出します。

細部にこだわる物知りの突っ込みというのは、お笑いではなかなか難しかったと思います。
特に理屈っぽいところもあるので。
特定の対象(相方)に突っ込むのではなく、社会全体(特に自分が好きな世界)を対象に突っ込むというポジションをうまく創りだすことに成功し、新たな話芸を展開してる。そんな感じです。

実際、師匠であるビートたけしからは40代で行き詰まると心配されたが、50代で自分の道を花開かせました。

百田尚樹さん

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百田尚樹さんの「海賊と呼ばれた男」が、本屋大賞を受賞しました。
本屋大賞は、全国の本屋さんの書店員による投票によって選ばれる賞です。去年は三浦しをんさんの「舟を編む」。
百田さんの本は立て続けに読んだところだったので、ちょうどいいタイミングでした。

「海賊と呼ばれた男」は、出光佐三がモデルとされた小説ですが、内容が詳細であまりにも濃い上に、文体が平たく量も多い。
読んでる自分が、物語の渦中に放り込まれたような感覚になってしまいます。
かつて、一人称で描くノンフィクションが注目されましたが、それに近い感じ。
文章の力だけでなく、時代の間隔を詳細に捉える力、もちろん取材する力に圧倒されます。

「錨を上げよ」は、自伝的小説と言われています。
百田さんとほとんど同じキャラクターの主人公の青春時代を描いた物語とも言えますが、あまりにも生々しく、激しく、痛い。
夏目の「坊ちゃん」が高度成長期の関西に生まれてたらこんな感じだったかなとも思わせる。

百田さんの文章の世界は、他では感じることのない独特の世界。
破天荒な人間が描く、破天荒な人物とその時代。
面白いけど、かなり疲れます。
少し時間を空けて、次に取り組もうと思っています。

海賊とよばれた男 人物相関図

ドリトル先生の再翻訳

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福岡伸一さんが、ドリトル先生シリースを再翻訳するようですね。
井伏鱒二さんの翻訳には、深い愛着がありますが、単語や表現に時代を感じますから仕方がないのでしょうか。
期待しています。

アーサー・ランサムシリーズは、神宮輝夫さん自らが現在再翻訳中です。
岩波少年文庫としては、将来も長く出版を続けるという意志の現れのようにも感じます。
心にしみついた言葉が変わってしまうものは寂しいですが、将来の子どもたちにスムーズに伝わるような翻訳の手直しは必要かもしれません。
その点、翻訳文学はまどろっこしいですね。