健さん2

仕事の流儀の高倉健さんの特別番組を観ました。
たけしが言っていた孤独な人とという表現が一番言い表してるように思います。
撮影でも、撮り直しはありません。廻りがダメ出しをすることはあり得ないですし、本人もやり直しはしないでしょう。スタッフも粗相がないように最大限の配慮をしていますからトラブルもない。
何を言っても聞いてもらえる。どんな行動をしても許容される。
自分が受け止められてるのか?それとも自分の名前が受け止められてるのか?我々には想像しかできない環境に置かれてると思います。

去年、金田一さんの講演会で、人の立場によって言葉遣いが変わってくるという話をしていました。
例えば美智子皇后の言葉遣いが美しいという話。しかし我々が同じ言葉遣いをしても滑稽なだけです。
それは、断れない立場で、何を言っても叶えられる立場の人は、それに応じた言葉遣いをしないと廻りが迷惑する・・・という話でした。
特定のものを公の場で褒めると、それ以外のものから相対的に持ち上げることにもなります。

健さんも同じような立場にいながらも、それを引き受けて、俳優としての人生を歩んでいる・・・という話でした。
もちろん俳優だけではなく、あらゆる業界の神格化されている人は、誰しも陥る孤独感だと思います。

今夜ジョブズ亡き後、最大の新製品の発表会があります。
神格化された創業者亡き後、残されたスタッフは何を語り、何を表現するのか?
楽しみにしてる人も多いと思います。

健さん

今日、22時から高倉健さんの番組があります。
先日、仕事の流儀の再放送があったのですが、そこに入りきらなかったインタビュー等のようです。
高倉健さんは、確か20年以上前に沢木耕太郎が書いていたのを読んで、見る目が変わった人です。
一つの国の大衆の期待を全て背負って表現するということを長く続けてる人。

次元とは何か

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20代の頃、SF作家のルディ・ラッカーが好きで、いくつかの本を読みました。
様々な科学の概念をテーマとして小説として仕上げるというスタイルでした。その中で、空間の次元をテーマにしたのが「四次元の冒険」です。
歴史的に様々な空間に関する考え方が提示されてきましたが、僕らが認知している三次元以外の別の次元がこの宇宙に存在してるんじゃないかという話は、非常に夢を感じます。

「次元とは何か」と言う本は、ニュートンのムックスタイルの本で、ビジュアル豊富で文章も少なく、簡潔に難解な概念を説明してるので、僕のような初心者には丁度いい。
超ひも理論や余剰次元もあわせて一連のものとして短時間で知ることができるというのもわかりやすい。

すごく勉強になったことは多いのですが、特に・・・
・3次元以外の次元では、物理の法則が変わってくる。→原子核の廻りを廻る電子が飛んでいってしまうので、他の次元では三次元の物質は崩壊する。
・どうやら重力の力が小さすぎる。→重力のみ他の次元に逃げて行ってるのではないか?
・10次元まであると想定すると、計算が矛盾なく成り立つ。
・4次元以上の余剰次元は、小さく折りたたまれてる?

異次元空間に行ってみるとどうなるのか?基本的には想像は不可能なはずですが、考えて見ることはありました。
どうやら無理のようですが、重力だけが異次元に行ってるらしい。
僕達のような高度な生命体には、目や鼻、耳、舌など様々なセンサーがあって外界の情報を手に入れていますが、そうしたセンサーを獲得していない原始的な生命体は、どの情報を得ているのでしょう?
なんとなく重力のような気がします。
感覚や感情にもつながるような気がしていますがどうなんでしょう?

いのししのもも肉

知人にいのししの肉を大量に頂きました。恐らくもも肉でしょう。
猟師さんが撃った野生のもののようです。
いのししといえば、僕が設計の修行一年生の時、棟梁が猟師を趣味というか、そちらを人生の最優先事項として働く人でした。
自宅で一度すき焼きをごちそうになった後に、狩猟の本拠地である実家におじゃましてちょっとしたパーティーもしました。
その村は当時、本州で一番人口の少ない村で、平家の落武者伝説がある上に、花祭りという古くから伝わる祭りも残っている豊根村というところでした。
築200年の大きな農家の囲炉裏で猟師の自慢話を散々聞いて、(内緒で猟銃も撃たせてもらって)、それはそれは楽しい一日でした。
海の見えるところで育った僕としては、鉄砲で獣を撃つということを楽しみとする人に会うのははじめてのことでしたし、そこの生活に足を踏み入れることもはじめてのこと。
日本の生活文化の奥深さを体験したのです。

今回の肉の件。
とりあえず1/3ほど解凍して、いろいろチャレンジすることにしました。
先ずは焼肉。
堅い。匂いがやはり気になる。
次に醤油と酒と砂糖で煮込む。
血が滴っていたので、水から茹でてアクがわっと出てきたらザルにあけて、その後煮込む。赤唐辛子とにんにくを入れたら、まことに美味しくなりました。
今日はカレー。
下ゆでしたら、そうはいっても肉の旨味が出て行ってると思うので、ザルにあけて洗った後、赤ワインに漬け込む。
そして野菜と炒めて圧力鍋で煮込む。そしてルーを投入。臭みもなく、硬くもなく美味しくなりました。

野生の肉であるということ以上に、肉の中の毛細管に血が残ってるというところが、臭いと敬遠される理由なのでしょう。
豚や牛など普通の肉は、心臓が動いてる状態で血抜きをするそうです。心臓のポンプの力で血を絞り出す仕組みのようです。
猟の場合は、恐らく確実に仕留めてからさばくことになると思うので、完全には血は抜けないのでしょう。
それで、下ゆでの工程を入れることで、かなり食べやすくなったということだと思います。

海が見えるところで育っていながら釣りもほとんどやらずに育ってきたので、食材として直接命をいただく経験はほとんどないのですが、今回は試行錯誤の過程で実験的に料理の研究ができるということとあわせて、野生の命をいただくということが経験できたので非常にありがたい。
野菜も含めてですが、なかなか命をいただくという感覚は日頃持てないので。