台風の進路の予測

台風が気になる季節です。
台風予想図は、いつも円形の中心予想位置が次第に大きくなっていってる図で、基本的には予想円の中心よりも右にずれながら通りすぎるケースが多いと思います。
広島の場合は、険しい四国山脈に遮られていますから南からやってくるものは基本的には四国でぶつかって曲がります。
豊後水道から北東方面に登ってくることもありますが、柳井〜岩国の山に当たって日本海に抜けます。
10年に1回のペースで、豊後水道から瀬戸内海に侵入したものが石鎚山と柳井にぶつかって瀬戸内海を東に縦断することがあります。これに恐ろしい被害を受けます。

近年、天気予報は民間に解放され、天気予報を行う機関が複数ありますが、台風に関しては気象庁のみにしかゆるされていないようです。
コースが気になる時。
オススメはアメリカ海軍(U.S. NAVY)の予想です。
ここの予想は、台風の中心位置をはっきりさせていますし、実際のコースも、気象庁よりも最終的なコースと近いように感じます。

今回の台風9号(MUIFA)は、南から北上し沖縄に近づいていますが、その後東に曲がるかどうか?現時点ではわかりません。
そういう時は、週間天気図を見ると参考になります。
一週間先の予想天気図には、台風がしっかり描かれています。
台風のコースは、台風しか描かれていないので進路のイメージが難しいですが、天気図は台風以外の低気圧や高気圧、前線が描かれていますので、実際の気圧の状況が非常にイメージしやすいです。
今回は、右に曲がらず、大陸に抜けていくということのようです。

この3つをみておくと、この太平洋で台風と共に暮らしてる気分を味わえますよ。

なでしこジャパン おめでとう!

女子W杯でなでしこジャパンが優勝。フェアプレー賞、澤がMVPと最多ゴール賞。
すごい快挙です。
いかに素晴らしかったか・・・ありとあらゆる所で書かれていますから、割愛しますが、ひとことで言うと、すべてがうまくいっていたということでしょう。
チームを作ること、強化すること、メンバーの選考や采配、メンバーのモチベーションや雰囲気、気持ち。
これまでは、男子のスポーツをやってる女子チームという若干間違った認識があったかもしれませんが、団体スポーツ特に球技においては、学ぶべき大きな成果を成し遂げたと思います。

僕達人類は、個では生きていけない特性を持っています。
必ずグループの中でコミュニケーションを持って活動する宿命です。
それをスポーツの中で発揮できる最も魅力的なものがサッカーだと思います。

大きな目標をみんなで獲得するためにはどうすればいか?
たくさんのものを教わったように思います。

ちなみに、生物学的には男性よりも女性のほうが若干進化しているそうです。
特にコミュニケーション能力。それも実感できたんじゃないかと思います。

PKとはいえこんなチームに勝ったなでしこはすごいです。
なでしことは別のスポーツをやってる人たちみたい。これからもライバルなので、次こそはサッカーで勝ちたいですね。

ワンバックは男子のプロリーグに入っても普通に活躍しそうな勢いでした。

決勝戦のレフリーはBibiana Steinhausさん
男子サッカーの試合でも笛を吹いてて人気のある方ですが、以前不可抗力に依る接触事故で話題になってました。

radiko

http://radiko.jp/

7月20日より、広島地域でもradikoが聴けるようになりそうです。
東京や他の地方のAM放送が、インターネットで聴けるんです。
いろいろ話題になってる番組が、これまでyoutubeで流れていましたが、リアルタイムで聴けます。

「地球の歩き方」の歩き方

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「地球の歩き方」の創刊30年の節目に、スタートした熱い4人の話をまとめたものを中心に出版されたものです。
地球の歩き方と言えば、世代によって様々なイメージを持ってると思います。
時代とともに旅の手段や方法、スタイルが変わってきましたが、日本の若者の傍らにはこの本が常にあったと思います。
「歩き方」メンバーは、1970年代前半からの活動のスタートですから、僕が初めて使った91年は、スタートから20年経った円熟期だった訳です。
そのときの「歩き方」の持つ独特の気配が何をルーツとしていたのかもよくわかるいい本でした。

91年に最初に旅は、大学の卒業式が終わったあとで、有り合わせのお金をかき集めて中国行きのフェリーに乗り、そのままユーラシア大陸を放浪することになったのですが、、、旅のあとで就職することになる設計事務所の所長から、フレーム式のバックパックを借りて行きました。
その所長も若い頃、ヨーロッパを放浪してて、その話をさんざん聞いていたこともおおいに影響を受けてました。所長が旅したのが、ちょうど「歩き方」創刊直前の時期だったと思います。
所長の熱い旅のエネルギーと同じ熱さを、創刊時の4人から感じましたし、旅というものの意味も熱かったんだと思います。

中国だけ旅行するつもりだった僕は、「歩き方中国編」と日本円のチェックだけ持っていました。その後、パキスタンやイラン、トルコ、ギリシャに行くのですが、当然情報は皆無。通貨の名称も、陸路で出入国する町も知らないという状況。
日本人と出会うと、夜に「歩き方」を借りて、行きそうな都市の情報をノートに書き写す日々。面倒になって、次第に、バスターミナルと安宿街がだいたいどのあたりにあるか、美味しい飯屋がどのあたりにあるか。その程度になっていきました。おかげで今でも、町の気配を読んで行動するのはかなり得意ですね。
イランは当時日本語のガイドブックが存在しなかったのですが、陸路で旅する人たちが、紙にイランでの旅情報をメモした「イランへの道」という数枚のコーピーがありました。いろいろな人が書き加えていたり、書き直されていたり。バージョンもたくさんありました。
究極のガイドブックです。

最初に「歩き方」を作った人たちは、そういうものを目指していたんでしょうね。
旅をする人が、同じ道を行く人に伝えるメッセージ。その感謝の気持ちを次の旅人に伝えることで、旅の時空間が醸し出されていくということ。
旅のフロンティアがなくなってしまった現在、情報誌としての「歩き方」の使命は終わってしまったと思いますが、逆にあふれる情報とどういう距離感を持って自由に旅をするのか?という状況でしょうね。