マゼラン 最初の世界一周航海――ピガフェッタ「最初の世界周航」

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マゼランの航海は、子供の頃から世界史の授業まで何度も何度も歴史のお話や偉業としては見聞きしてきました。エピソードとしてはわかってたつもりですが、この本は、無事帰国した船員の航海記の翻訳だったので肉声のようなものを期待して
読んでみました。
もともと欧州と、東の国々との貿易は、地中海を経て、中東のイスラムの商人たちを中継したものでした。
イスラムの商人は、今でもそうですがかなりえげつない商売をします。バザールでも平気で10倍にふっかけてくる。
当時の欧州というとユーラシア大陸の辺境で、資源も、公益に有利な生産物もない、戦争が強いだけの貧しい地域でした。
それを造船と航海術で克服したのがポルトガル。

アフリカ大陸の南端を東に廻って、アジアと直接貿易するルートを開拓することで、イスラムの商人を中抜きすることに成功したのでした。アラブ人にぼったくられていた香辛料が、現地では木に生えてるわけですから、ちょっとした珍しい加工物を持っていくと喜んで交換してもらえます。莫大な利益を生んだということは容易に想像できます。
現在で例えると、100円ショップの商品と、籠いっぱいのアワビ(キャビアとか)を交換してもらうという感じだったのでしょうか。

ライバルのスペインは、東はライバルに先んじられたので、西に向かいます。
そこで、地図に載っていなかった北と南のアメリカ大陸を発見することになります。
しかし、アメリカ大陸からは、タバコや赤唐辛子、トマト、砂糖や金は得られますが、香辛料は無い。
そこで、アメリカ大陸を越えようとするわけです。陸路で太平洋の存在はわかっていたので、パナマに海峡はないか探してみたりしますが陸続き。そこで南を廻ろうということでマゼランの航海になります。

南米の最南端は、現在でも超がつく難所で、風と波がすさまじく、かつてここを超えた船乗りは、椅子に座ったときに机の上に足を乗せるのを許されるといわれたほど。
マゼランはホーン岬と南米大陸の間の海峡を発見し、無事太平洋に到着します。栄養失調でバタバタと仲間を失いながら、東南アジアの島々に到着します。

何の予測もしない状況で、大きな船に乗った外国人がやってくる。船に乗った人たちも、島にどんな人がいるかわからずに交流するわけです。
現在では、認識の限界の外にいる人とコミュニケーションする機会は、宇宙人とでも会わない限り無いわけで、その時、どんな感覚だったのか?想像するだけでぞくぞくします。
しかし、慣れというのは怖いもので、慣れてきたときに、現地の小競り合いの片方に加勢してマゼランは死んでしまいます。そのあたりは戦国自衛隊っぽい感じです。実際に、マゼランの船から降りて、島に残った人もいたようです。

マゼランが死んだあとは、病気やポルトガルの意地悪に苦しめられた、敗走する敗残兵のような状況ですが、なんとか無事帰還したところが大きな救いです。
5隻に乗っていた235名が、ビクトリア号で帰還したときには18名。
この時、スペインに「発見」されなかった日本は、いかに幸運だったのか・・・ということはスペインの植民地だった国の現在でもつづく社会の歪みを見ればよくわかります。
商人が作った国であるポルトガルと、国王や貴族の既得権益が強かったスペイン。
世界一周を成し遂げた英雄マゼランの航海は、太平の国々をこの両国がかき乱すことになるさきがけでもあったようです。

17番

今朝は朝3:30に起床。
テレビの前で、今シーズンの最後を飾るCL決勝に立ち会う。
先制点はシャビからボールを受けた17番のペドロ。
昨シーズンから注目してる選手です。ペドロのフリーになる動きと、間接的シュートと言ってもいいようなシャビのパスのタイミング。マンUがこんな失点をするということ自体ありえないことです。
マンUは、ルーニーのワンツーによる1点を返したものの、メッシの綺麗なゴールで追い越され、ビジャのゴールで止めを刺されてしまいます。
ファーガソン監督が四半世紀でナンバー1のチームと評したFCバルサの今シーズンは、世界の人達を魅了し終ったのでした。

FCバルサや近年のスペイン代表は、世界の強豪が様々なスタイルで挑んできましたが、何をやっても歯がたたない。
現時点で可能な最高のフットボールを実現しています。これも、長年にわたる組織の意思統一と成熟が生んだ成果だと思います。
シャビが活躍できる限り今の形は続くと思います。あと何シーズン、シャビの輝きを見ることができるか。
楽しみでもあり、時間の厳しさも感じるところです。

午後、仕事をし、現場で打合せをしてたら、ひょんなことで広島×鹿島戦のチケット頂くことになりました。
晴れてれば当然参戦するところでしたが、台風の余波もきてるので、BS観戦かなと思ってたところ。
せっかくなので、息子と一緒に行きました。
雨は予報通り5mm程度の弱いものでしたが、風がやっかいでした。
雨風に吹かれて軽く震えながらの観戦でしたが、ゲーム自体は非常に緊張感があるものとなりました。
故障者を抱え、意地でも勝ちたい両者。
それぞれのストロングポイントが風でぶれながらも激突した好ゲームでした。
しかし、この試合は、森崎浩司の試合となりました。
広島は、攻撃時は前線、守備時はバックラインが厚くなるため、中盤はかなり人が薄い状況で、攻守のバランスを取ったいい仕事をこなしました。
綺麗なミドルシュート2発は、献身的な仕事のご褒美のようなもの。
広島のシャビと呼びたくなるような不可欠な存在です。

その森崎浩司のアテネ五輪の時の背番号が7番。
僕が入ってるフットサルチームの最初のユニフォームをつくったのがその時期だったので、浩司にあやかって(一桁じゃ恥ずかしいので)17番にしたのでした。

放蕩息子が一時帰国

浦島太郎

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小澤俊夫さんが収録した民話がシリーズとして刊行されています。
とりあえず浦島太郎を読んでみました。

どの話も、長年人の口と耳を通して引き継がれてきた言葉のリズムが非常に心地良い文章です。
最後の唐突な展開も、どれも共通してて、子どもがびっくりして喜ぶ情景が目に浮かびます。

のぼうの城

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息子に勧められて読んでみました。
寝る前に読み始めて、次の朝、早起きして読み続け、仕事前にギリギリ読了。
なぜか涙がぼろぼろ。

豊臣秀吉が天下統一直前の小田原攻めの時期。
小田原方の一支城をめぐる守備方と攻撃方のドラマ。
守る側は、(でく)のぼう率いる坂東武者たち。
攻める側は、石田三成率いる近江商人たち。

時代の流れを決定づける小田原攻めの裏ストーリーでありながら、時代の流れに反する渾身の戦い。
それが実は、次の次の時代の幕開けともなる皮肉な結末。
主人公が、劉備っぽかったのは若干残念。