SEA TO SUMMIT

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今日の朝7時前にカヤックがスタートし、イベントが無事スタートしました。
僕達ヨットチームは、コースであるビーチと小黒神島との間にアンカリングして、カヤックが行き来する間、海上で目印となるだけの単純な仕事。僕は知人の船のクルー役なので、前夜の夕食調理が最大の仕事でした。
心配はよそに、去年よりも盛り上がってたと思います。
丁度、撮影チームのカヤックが乗船をしてくれたので、モンベルの担当者から一連のイベントの話も聞けてよかったです。

SEA TO SUMMIT という大会は、このモンベルの大会固有のものではなくて、世界中で行われてる一般的な名称だと帰ってから知りました。
SEA TO SUMMITという名前のSEA TO SUMMIT向けのアウトドアブランドもあるようです。

モンベルのサイトによると、、、

「海で発生した水蒸気が、雨や雪となって山に降り、川となって森や里を潤し、再び海へと還ってゆく…。
「SEA TO SUMMIT(シー トゥー サミット)」は、人力のみで海(カヤック)から里(自転車)、そして山頂(登山)へと進む中で、自然の循環に思いを巡らせ、かけがえのない自然について考えようという環境スポーツイベントです。

2009年、鳥取県の皆生・大山で初めて開催した環境スポーツイベント「SEA TO SUMMIT」。
各地域の自然や文化などの魅力を“まるごと”感じることのできる本イベントは、その後、全国各地に広がり、これまでに全国6カ所21大会を開催してきました。
そして、7年目となる2015年は、7カ所で開催します。

単にアウトドアスポーツを楽しむだけではなく、自分たちを取り巻く自然環境を再認識し、各地域固有の自然の魅力を知りうる機会を提供する、とっておきのイベントです。」

江田島で開催されるようになったのも、モンベルと懇意のある会社の方の親戚が広島にいて・・・ということ。
その会社は、東北の被災地のイベントでも真っ先に参加してくれるメンバーらしく、このイベントでも4人乗りカヌーで2時間近く掛け声を切らさず盛り上げていました。

海上目印もほどほどにして、来年は出場しようと!小さい声で話しあいつつ帰路につきました。

江田島 SEA TO SUMMIT 2015

去年に引き続き、江田島 SEA TO SUMMIT 2015が開催されます。
去年はしまのわの関連イベントだったので、告知も順調だったようですが、今年は広報の勢いが落ちてるような感じ。
カヤックとサイクリングとハイクの大会で、一人でも三人でも五人でも参加可能。
僕は当日、知人の船の上の目印となります。

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アメリカズカップ参戦

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softbank社というより、孫さんがアメリカズカップに参戦するようです。
世界最高のマリンスポーツイベントで、100億はかかるといわれるスケールですので、よくぞ決心したという思いです。
前回参戦した時は、ベースキャンプが三河湾に面する蒲郡市にあり、僕は隣の市の大学のヨット部で、(たまに)活動してたのが同じ蒲郡市の県営のハーバーでした。
何度か見学に行ったこともありますし、ホームタウンの片隅でささやかに応援してたという感じでした。
あの時は、日本の文化をかけた戦いという感じでしたが、刃が立たず、日本も空白の二十年に突入したという感じ。

今回の孫さんは、オラクルのラリー・エリソンとの個人的な関係から参戦したのかなと。
挺の建造はアメリカですし、おそらく技術も操船もあちらの人達でしょう。スキッパーはニュージーランド人。
ですから、今回の挑戦は、孫さんが挑戦するのを遠くから応援するという形になるのでしょう。
オールジャパンで応援できる雰囲気ができればいいですね。

瀬戸内海

広島にまつわる様々なエピソード満載の本です。
歴史や地理を縦糸に、人を横糸に織り込んだ内容で、選んだエピソードも的確で、歴史&地理のバランスも良く、人のつながりも興味深い話ばかり。
手にとった時はそれほど期待していなかったのですが、無駄なく教養を感じさせる内容で一息で読んでしまいました。次作を期待したい。

一つ興味深かったのは、、、
第一次大戦時に似島のドイツ軍捕虜収容所の捕虜や青島在住のドイツ人が、大戦後に日本に残って様々な技術や文化を伝えていった。
ユーハイムさんのバームクーヘンは有名。
サッカーもその一つで、捕虜チームと対戦した広島一中チームは惨敗し、その後収容所まで教えを請いに行った。
そこで学んだドイツサッカーの技術を伝えたことが、後にドイツ人監督のクラマー招致につながり、東京五輪やメキシコ五輪の躍進につながっていったという。
又、そのドイツから学んだ広島一中から東洋工業サッカー部(現サンフレッチェ広島)をつくった山崎芳樹、三菱自工サッカー部(現浦和レッズ)をつくった岡野良定を輩出する。
現在は激しい因縁のある両チームですが、その因縁は似島捕虜から始まっているということのようです。
その浦和を作った岡野が招聘したブッフバルトがかつて所属したドイツのクラブをつくったのは、このとき似島にいた捕虜だったという話も有。

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島めぐり人めぐり―広島編